牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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夏風邪が呼び起こした大学生のころの暇な昼間の記憶

先週、風邪をひいてしまった。夏風邪なんて人生で初めてかもしれないというくらい、この時期に風邪をひいた記憶がない。なんでも咳が止まらないタイプのものであった。ということで、一日会社を休んで病院へ。わたしは基本的に仕事なんて好きじゃないから、風邪をひいているとはいえ会社を休めて少し嬉しかった。朝、布団の上で目を覚ますと身体がいつもよりも重い。そしてのどがやけにイガイガする。これまで生きてきた経験から「これはもう風邪でしょう・・・」とすぐに分かった。正直、無理をすれば働けるぐらいのしんどさではあったが、「周りの人に風邪をうつしてしまっても悪いし・・・」というのは建前であって、会社を休む口実ができたので休もうと即座に決心した。いざ会社に連絡し、今日は休むということを告げると、それだけでもう幾分か身体が楽になった。どんだけ働きたくないねんと自分で思わないこともないが、平常時でも働くのはしんどいのに、しんどいときに働くなんてもっとしんどいから、もう働きたくないのだ。もはや子どもが駄々をこねているようなものではあるが、これは本当にそうだからもう仕方がない。とはいえ、確実に風邪をひいてはいるので、お昼前ぐらいに電車に乗って最寄りの病院へと向かった。

 

家を出て駅に向かっていると、夏なのにそんなに暑くないなと感じた。とはいえ汗は絶えず噴き出てくる。ホームにて電車を待っている間、やはり少し身体が重く感じられた。しんどさっていうのは動いているときよりも、止まっているときのほうが感じやすいような気がする。歩いているときはそんなにしんどくなかったのに。中学の部活のときもそうであった。球拾いをして動いているときはしんどくなかったのに、集合がかかって後ろに手を組んで先生の話を立って聞いていると急にしんどさが顕在化してきた。急に暑さとか疲れとかがジワァーっと頭の中を満たしてくるような感覚。ただ、思ったよりも電車はすぐに来てくれたため助かった。クーラーの効いた車内に座ると「フゥー」と大げさに息をつきたくなった。各駅停車の電車が動き出し、車内の様子を見渡すとお年寄りと子ども連れの母親が多いことに気づく。それでもやはり平日の真昼間ということで会社で働いている人が多いのであろう、車両の中はガラガラであった。人がガラガラで進行方向と直交する向きに座るタイプの座席であったから、向かい側の窓の景色を座りながら堂々と眺めることができた。窓の外の景色を見ていると、空に浮かんでいる雲はほとんど動かないのに、軒先の景色は次々と横へと流れていった。ああ、ここの駅は学生っぽい人がよく乗ってくるから大学でもあるんだろうな。お昼に高校生がいるけど今ってテスト期間で早く学校が終わったんだろうか。もしかしてサボり?など、色んなことを考えてしまった。そしてふと、なんかこの感じ、大学生の暇なころの昼からしか授業が入ってなかった一日に似ていて懐かしいなと思った。なんだかそれに気づくと急に嬉しい気持ちが湧いてきて、あのころは確かに暇で退屈でこんな毎日いつまで続くねんって思っていたけれど、社会人になった今、そんなころの空気がふと顔をのぞかせるとこんな感情になってしまうなんて、思い出補正は恐ろしいなと感じる。思い出は美化されて全てがフィクションっぽくてそれっぽいワンシーンになってしまう。まあでもそれで心が軽くなったのも事実、そんな感傷が呼び水となり、大学生の夏によく聴いていたThe Beach Boysの「California Feelin'」をウォークマンで再生した。

 

 

懐かしい。なんといってもコーラスが最高。YouTubeに別バージョンのPVが上がっているのだが、私はこのアルバムバージョンが好きなのである。あのころ考えていた、このまま何者にもならずにフラフラしたまま生きれたらいいのにという感情まで呼び起こされる。そしてなぜか、思い切って仕事をやめてもどうにかなるんじゃないかという浅はかな考えまで頭に浮かんできた。どうにもならんよ、ノープランのノービジョンじゃあ。それにやめる勇気もないだろう、自分よ。それにしても車内はクーラーが効いていて心地よく、このままずっと乗っていられるなあなんて思った。

 

病院のある駅に着き、受付に行って問診票を受け取った。その際に自分の受付番号を教えられ、およそ1時間後ぐらいに呼ぶことになると告げられた。まあまあ待つなと思ったが、こんなときのために小説を持って来ていたから、どうにか暇は潰せそうだ。長嶋有の「夕子ちゃんの近道」を読む。

 

夕子ちゃんの近道 (講談社文庫)

夕子ちゃんの近道 (講談社文庫)

 

 

この小説の主人公は、「フラココ屋」という名の骨董屋の2階に住んでいて、その骨董屋の手伝いをしながら生活している、いわゆるほぼほぼプー太郎のような感じの人物である。先ほどの電車内において浮かんだ「仕事やめてもどうにかなるんじゃないか」という考えは、少なからずこの小説から受けた影響が起因している。自分にとって都合の良い部分だけに影響を受けてしまうのはいかがなものかと自分でも思うが、なんだかそんなことを繰り返しながら生きてきた気もする。それはさておき、私はこの「夕子ちゃんの近道」の収録されている一篇「瑞枝さんの原付」において、瑞枝さんが主人公を心配してストーブを運んでくるシーンがとてつもなく好きなのだ。重そうにストーブを運んでくる瑞枝さんの姿を、フラココ屋の2階から見つけた主人公が「手伝いにいかなくては」と思いながらも動かなかったこと。主人公のためにストーブを持って来てくれた瑞枝さんの姿を見て、今ここで庇護されているのは、ストーブを与えられようとしている自分のほうではなくて、瑞枝さんのほうだと錯覚してしまったこと。人のやさしさに感動するも、そんなやさしい人の姿がなぜか、とてもか弱いものに見えてしまうといった気持ちがものすごく分かる。なんなんだろう、この感情は。本当の本当にやさしい人っていうのはそんなにいるわけじゃなくて、でもやさしい人について考えたときに何人かの顔は頭に浮かんで来る。そんな頭に浮かんだやさしい人たちのやさしさを純粋な"やさしさ"としてそのまま素直に受け止めてくれる人って、一体どれだけいるのだろうか。そのやさしさにつけこむと言ってはなんだか違うかもしれないが、あまりにも無防備なそのやさしさが利用されることもあるんじゃないかと心配になってしまうときもある。それでもそんな彼らの無垢なやさしさ、やさしい姿はやはり尊いものであり、愛おしくて抱きしめたくなる。

 

小説を読んでいるうちに自分の順番がきて、先生に診察してもらった。自分の家に体温計がないため体温を測定できていないが、おそらく熱はないだろうと先生に伝えた。すると、念のため測っておきましょうということになり、いざ測ってみるとゴリゴリに熱があった。道理で外に出てもそんなに暑さを感じなかったわけだ。あとで夕方の天気予報を見て知ったが、この日は普通に気温が30度を超えており真夏日であったようだ。そして、熱があると自覚すると急にしんどくなってきた。知らないほうが幸せってこともある。処方箋をもらい、薬局で薬をもらってとりあえず帰宅した。

 

家に着くやいなや、すぐに布団に倒れこんだ。手持ち無沙汰になりスマホをいじるが気分が悪くなってくる。風邪をひいたときや二日酔いのときにスマホをいじると気持ちが悪くなる。熱があると知って急にしんどくなり、スマホを手放して目を閉じ眠りについた。目が覚めたころには夕方になっており、眠る前よりも身体が熱く、本格的に熱が出ているようであった。晩ごはんに冷凍うどんを作り食べた。風邪をひいたときって、なんだか感覚が冴えているような気がする。元気な時よりもうどんの味がはっきりと分かる。いつも冷凍うどんを美味しいなあと思いながら食べていたが、今日は味の細かいところまで分かってなんだか不味い。それでも、少しでも栄養をということで残さずに食べたが、果たしてうどんにどれだけの栄養があるのだろうか。うどんを食べ終わって、また寝ようかと思ったが、今度は咳が止まらない。咳が止まらないから眠れない。最悪だ。とりあえず部屋の電気を消して横になる。すると、普段は意識しない周りの音が急に気になってきて余計に眠れなくなった。冷蔵庫ってこんなにモーター音がしてたっけ。家の前を原付が通っただけでうるさいなあって思う。しまいにゃあ、なにか分からない「ボコッ」という音。眠れなさが焦りを生んで、より眠れなくなる。それでもこまめに時計を見ると、意外と時間が進んでいない。夜って結構長いんやなあということに今さら気づいた。そして気が付けば眠りに落ちており、朝、目が覚めたときには身体はずいぶん楽になっていた。

 

風邪をひいてしんどいといえばしんどかったが、なんだかゆっくりできたような気もする。ひいて良かったとまでは思わないが、ひいても悪くはなかったような気がする。そんな気がするということで終わりです。風邪をひくたびにバンプの「supernova」を思い出し、名曲だと思うことも書いておきます。

 

夜の松屋からの古本屋で漫画立ち読みのコース

この前、友人と買い物に行った帰り、晩ごはんを食べに行きつけの松屋に行った。行きつけの松屋って表現、なんだか変な感じやけども。私、松屋が大変好きでございまして、その日はブラウンソースハンバーグ定食を食べようと心に誓い、店へと足を運びました。夜の9時を回ったころに松屋に着いたのだが、店内にはなかなかお客さんが入っていた。珍しいなと思いながらも席に着き、店内の様子を眺めてみると、ある音楽フェスのTシャツを着ている人が多いことに気が付いた。なるほど、フェス帰りの人たちが松屋に晩ごはんを食べに来ているんだな。そして、そこでは同じフェスのシャツを着たそれぞれ別のグループ間で謎の一体感が生まれており、互いに会釈などをしていた。『あなた方もフェス帰りで松屋ですか』、『今日のあのバンドの演奏、最高でしたよね』なんていう心の会話が聞こえてきそうであった。自分はそもそもフェスに行ってはしゃげるような性分でもないし、仮にフェスに行ったとしても見ず知らずの人たちと急に仲良くなれる気なんて全くしない。なんなら心の中に聖なるバリアミラーフォースを張ってしまうタチだ。だから、そんな同じフェスに行ったという一体感によってすぐに仲良くなれる人たちのことをすごいなあと思う。

 

なんてことを考えていたのだけれど、まあ混んでるからブラウンソースハンバーグ定食がなかなか来ない。いつもの松屋なら速攻で来るのに。そして、ようやく定食が来て、いざ食べようと思ったときに、あることに気が付いた。サラダが付いていない・・・。『あれっ、ブラウンソースハンバーグ定食ってサラダ付いてなかったっけ? 定食って全部サラダ付いてたよな。あ~、でも自信ないしなあ。それになんか今忙しそうやしなあ』なんてことを考えて、結局サラダが付いていないことは伝えずにそのまま食べてしまった。そして、お店を後にして外に出てからHPでメニューを調べてみると、やっぱり定食にはサラダが付いているのが普通であった。

 

自分はこういったイレギュラーなことが起こったときに、スッと行動ができずに固まってしまうところがある。頭の中では色んなことを考えているのだが、いかんせん体のほうが動かない。とにかく自分が正しいという自信がもてないのだ。店員にサラダが付いていないことを伝えた場合に、もしサラダが付いていないほうが正解であり自分の認識が誤っていたらと思うとビビッてしまうのだ。そうなるぐらいなら、よく分からんけどこのまま食べようと思ってしまうのだ。そして、この私がよく行く松屋の店員さんが結構な頻度でミスをする。おそらく中国人の店員さんであるのだが、なかなかに日本語がたどたどしい。そして、本人もその自覚があるようで、非常に声が小さくビクビクしながら接客をしている。今回のサラダのつけ忘れも恐らく彼によるものであろう。その日のキッチンの様子をチラッと見ていると、盛り付けをしていたのは中国人の彼であったからだ。さらに、以前にも彼に定食のご飯大盛の食券を渡したにも関わらず、普通盛りのご飯を出されたことがあった。そのときも私は『あれ、なんかご飯大盛の割に少なくない? ていうか大盛のときって器のデザインが違うかった気がすんねんけど、これ隣の並盛のおっちゃんとおんなじデザインやな。間違ってんのかな? え、どうしよ・・・』と悩んでしまった。スッと言えばいいのに、自分。「これって大盛ですか?」って聞くだけやんって、今振り返れば思う。私はそのとき、結構な時間悩んだ末に、大盛かどうかを中国人の彼ではない店員さんに聞いて、やっぱり大盛ではなかったようで取り換えてもらったのだった。

 

ただですね、やっぱり異国に来て言葉もおぼつかないのにそこで生活をして、なんなら働いてお金を稼ぐなんてことは、すごいことだなと思うわけですよ。自分なら絶対にしないなと。中国人の彼がどんな理由で日本に来ているのかは知らないけれど、その勇気が凄いなと思うわけですよ。かといって私も注文ミスをスッと指摘できる性格じゃないので、彼と私の組み合わせは最悪だなと。私にとって。でも松屋が好きだから行ってしまう。自分が変わろう。

 

そんな松屋での出来事がきっかけとして、大学生のころ、親が家を空けて自分で晩ごはんを用意しなければいけないときに、よく松屋に行っていたことを思い出した。夜の9時ぐらいに歩いて松屋に向かい、晩ごはんを食べた後に松屋の近くの古本屋で漫画を立ち読みするのがたまらなく楽しかった。なんなんだろう、あの夜の古本屋での漫画立ち読みの楽しさは。ひたすらスラムダンクから幽遊白書、ハチワンダイバーにバガボンドなどを読んだ。買えよってぐらい読んでいた。でもあのころはお金がなかったからしょうがない。そして当時、そんな古本屋からの帰りによく聴いていたのがHomecomingsのこのアルバムだ。

 

Somehow, Somewhere

Somehow, Somewhere

 

 

このアルバム、本当に全曲いいんだよなあ。当時はこのアルバムに収録されている楽曲のPVなどもYouTubeでめちゃくちゃ見ていた。

 


Homecomings "LEMON SOUNDS"(Official Music Video)

 

このアルバムを聴きながら帰る夜道は、なんだか涼しくて楽しかった。私は特にアルバムの最後に収録されている「Ghost World」がお気に入りであった。

 

 

友だちを誘って晩ごはんを食べるという手もあったであろう。でも当時の私にとっては松屋に行って、古本屋で漫画を読んで、Homecomingsの「Somehow, Somewhere」を聴きながら帰るといった、そんな時間がたまらなく楽しかったのだ。至福の時間であったのだ。なんやったんやろう、あのときのあの感じは。そんなことを思い出して、ブラウンソースハンバーグ定食にサラダを付け忘れられた帰りに、このアルバムを聴きながら帰ったのだけれど、相も変わらず最高であった。多分このアルバムはずっと聴き続けるんだろうな。そして、その度に松屋に行ってから古本屋で漫画を読んでいた夜のことを思い出すのだろう。

 

歌の出だしがスッと入ってくる楽曲たち

金曜日にたまに誘われて飲みに行くことがある。で、飲みすぎるじゃないですか。そして終電間際の電車に乗って、家に帰ってきてしんどいからそのまま寝る。あんまりお酒が強くないので、2時間おきぐらいに目が覚めてはまた眠るということを3、4回繰り返す。気づけばカーテンの隙間から太陽の光が差し込んでいて、朝が来ていることに気が付く。それと同時に昨日のお酒が残っていて、そのせいで頭が痛いことにも気が付く。頭が痛いから起き上がる気が全くせず、寝っ転がりながらスマホを触る。スマホの画面を眺めていると頭痛がひどくなってくる気がして、すぐに触るのをやめる。二日酔いになったときのこの一連の流れがしんどい。

 

二日酔いがめちゃくちゃ嫌いだ。なんだか昨日を引きずったまま今日になっている気がして、気持ちが切り替わらずフワフワしている。そして土曜日が台無しになり、2日間の休日が大変短く思える。もったいない。実にもったいない。

 

それでも二日酔いになったときに唯一好きなことがある。それは二日酔いのときに食べるカレーだ。なんかめちゃくちゃ美味しく感じる。お酒をめちゃくちゃ飲んだ次の日って、なんだかいつも以上にお腹が空く。けれども頭が痛くてあんまり食欲が湧かない。そんな時はカレーに限る。カレーが身体に沁みる。

 

そして先ほど言ったように、動く気は起きないけれど、寝転がってスマホを触ると頭痛がひどくなる。目の疲れが頭痛につながるのは風邪を引いたときに似ている。じゃあもう視覚に頼らずに、かつしんどいから受動的に楽しめるものと言えば、それはもう音楽になる。ということで先週の土曜日に二日酔いになった私は、音楽に頼ることにした。そして、音楽の中でも特に、曲の冒頭の歌詞がスッと入ってくる曲を聴いた。

 


Sweet Soul

 

 

冒頭の「真夜中がいまぁ」のスッと入ってくる感じ。「真夜中がいまぁ」のスッとさ加減が凄い。声が透き通ってる。まるで静かな水面に水滴を一滴落とした際に生じる波紋のように、「真夜中がいまぁ」の部分が心の中にスーッと広がっていく。エコーでもかかってるんじゃないかというほど。二日酔いにも優しい。この部分だけで何十回もリピートできるほど。タール(コールタール)という言葉は、この「スウィートソウル」に「汗染みは淡いブルース」、「君の胸に抱かれたい」などのキリンジの曲の歌詞から学びました。

 

そしてシャカラビッツの「モノローグ」。

 


[SHAKALABBITS] "モノローグ" Full Ver. [Music Video]

 

 

冒頭の歌詞の「相変わらず無力で」の「あぁい」の部分ね。この「あぁい」がもう最高。めちゃくちゃ好き。カッコいい。まずイントロから醸し出されている雰囲気がいい。そしてイントロでゆっくり期待感が高められたところに来る「あぁい」。シビれます。ボーカルUKIの声が色っぽくて良い。キリンジの「スウィートソウル」同様、この曲も「あぁい」の部分だけで何回もリピートできる。あぁいい。

 

最後にサニーデイ・サービスの「太陽と雨のメロディ」。

 

 

ここまで来たらもう二日酔いは関係ない。ただただ、出だしの部分が好きな曲です。この曲は「東京の街には」といきなり歌から入る。この「東京」の部分が好きだ。なんか「東京」の前に、ちっちゃい"ン"が入っているような感じがいい。「ンッ東京」みたいな感じ。実際にちゃんと聴くと全然入ってる感はないけど、なぜか自分にはそう感じられる。まあなんにせよ、この「ンッ東京」の部分を一聴するだけで、グッとサニーデイのこの曲の雰囲気に引きずり込まれる。そして、この曲はアルバム「MUGEN」の一曲目であり、この曲に引きずり込まれたままアルバム全体をまるっと通して聴いてしまう。「太陽と雨のメロディ」は最高のトップバッターじゃないでしょうか。サニーデイの「MUGEN」は個人的名盤。

 

MUGEN

MUGEN

 

 

個人的に歌の出だしが好きな曲について書きましたが、みなさんのオススメを教えていただければ幸いです。

シティポップって結局どんなジャンルやねん

つい最近公開されたSugar's Campaignの楽曲、「City Pop」がめちゃくちゃいい。

 


Sugar's Campaign / City Pop (Audio Only)

 

背景の模様が80年代のそれっぽくていい。でも曲の感じ、めちゃくちゃインディーロックやん。ていうかシティポップってなに?まずシティポップがなんたるかを、自分はちゃんと理解していない。最近のオシャレな楽曲は、全部シティポップというジャンルでくくられている気がする。もっといえばインディーロックってなに?さっき自分でめちゃくちゃインディーロックやんって言ったけれども。それすらもちゃんと分かっていない。ちょっとスカスカ気味のリズムギターが入ってて、こもっている感じのボーカルがインディーロック?ややチープな感じがインディーロック?それにオルタナティブロックも分かりません。オルタナティブってどういう意味よ。

 

調べてみると、インディーロックは、最初はどこのメジャーレーベルにも所属せず独立しているレコードレーベルを表すために用いられていた用語のようだった。それから意味が変化していき、時にはオルタナティブロック、ギターポップと同義になったこともあるとのことで、結局、時代時代によって意味がなんとなく合わせられてる感じだと認識した。そりゃつかみどころがないわけだ。そして、オルタナティブロック。当初はメインストリームのロック(いわゆる商業ロックと揶揄されるもの)とは、一線を画した商業的ではないロックのことを表していた。しかし、オルタナティブロックというジャンルに人気が出てメインストリームに近づいてしまい、当初の意味とはズレが生じることもあったようだ。さらにはオルタナティブロックは、ブリットポップからグランジといったジャンルを内包している説もある。オルタナティブロック、幅が広すぎませんかね。結局、なにがなんだか分からない。高校の数学Aで習った集合みたいな感じで誰か教えてくれ。なんとなくでジャンル分けするしかないのか・・・。

 

まあなんにせよ、とりあえずいいものはいいものとして受け止めることにしよう。にしてもこの「City Pop」というタイトル、なんかあえて付けられているような気がしないでもない。だって「City Pop」って今更感あるし。なんとなく、都会的な雰囲気を出していればシティポップというざっくりとした認識はあるのだが、これは正しいのでしょうか。歌詞の「Ideal girl」なんて部分は、イケてる都会の女の子感があるけれど。「きまぐれオレンジロード」の鮎川的な。古いっすかね。まあ深読みというか、考えすぎはやめよう。相手の思うつぼです。

 

それにしてもこの曲を聴いたら、The Drumsを思い出した。曲の感じといい、歌詞の「Let's Go」の部分といい、Drumsを喚起させる。

 

Summertime!

Summertime!

 

 

このEP、好きです。アルバムのタイトルにビックリマークが入っているあたりも、絶妙にダサくてDrumsっぽさが出ていていい。イケてない感じ。「Ideal girl」とは真逆の、冴えない男の子。特に3曲目の「Don't Be a Jerk, Johnny」が好きです。

 

 

夏が来たら、またこのEPを聴こう。

 

そして、冴えない男の子の恋の物語といえば、バスティアン・ヴィヴェスの「塩素の味」。

 

塩素の味 (ShoPro Books)

塩素の味 (ShoPro Books)

 

  

恋は甘酸っぱい味ではなく、塩素の味がする。いや、失恋は苦い味ではなく、塩素の味がするといったものかな、この漫画は。この「塩素の味」では、主人公の一人称視点の移り変わりが、セリフの無いコマを細かく刻むことで表現されている。

 

sample.books.shopro.co.jp

 

まるで漫画とアニメの中間のような印象。このように主人公の目に映る風景を描くことで、セリフはないけれども、主人公が何を探していて何に心が惹かれているのかといったことがより印象的に伝わってくる。あんまりこういった表現方法を見たことがない気がする。私が知らないだけかもしれないけれど。

 

それにしても、このようにコマを刻んで描写する方法って、最近のスマホの縦読みマンガと相性がいい気がする。熊倉献も「生花甘いかしょっぱいか」において、吹き出しのセリフがグニャグニャと変化して夢から覚めるシーンを、コマを刻むようにして描いていた。

 

 

スマホの縦読みマンガって、意外と既存の漫画とは異なった新しい表現方法が生み出されて面白くなるかもしれませんね。なんか偉そうなことを言ってしまいました。反省します。

 

縦読みマンガというスタイルをとっている、そして登場人物の一人称視点の移動によって心の機微を表現している漫画のひとつに、発狂するエラーというサイトで描かれている「鈴木さん」がある。

 

dnsksrn.web.fc2.com

 

この漫画の「空隙」というエピソードなんて絶妙です。

 

dnsksrn.web.fc2.com

 

最後の空を映しているシーンなんてね、もうね。目は口程に物を言うとは、相手の目の表情から考えていることを読み取るという意味だが、相手の視点になってみて実際になにを見ているかが分かれば、それ以上に心の機微が分かる。実際には無理なんだけれども、漫画ならそれが表現できる。素晴らしいよね。

 

あだち充にも実験的に縦読みマンガに挑戦してみてほしい。H2において木根が甲子園で完投したことを告げるシーンなんて、まさにセリフの無いコマ、しかも直接的ではなく、家電屋のテレビに映った中継映像によって表現するという粋な演出。あれにはグッときた。あだち充って、こういう視点をずらした描写が上手い。

 

なんか話が色々飛んだけれど、Sugar's Campaignの「City Pop」いい曲。

 

結局モスバーガーはチリドッグが最強

5月なのにちょっと暑すぎやしませんでしょうか。私の住んでいるところは昨日、気温が33ºCほどあったらしい。梅雨もまだ来ていないのに、こんなに暑いなんてクレイジーだぜ。平方イコルスンの「スペシャル」で、伊賀とさよちゃんが、今年の夏は暑くするのが下手くそと会話していたのを思い出す。

 

to-ti.in

 

さながら今年の夏は、まだ呼ばれてもいないの来てしまった早とちり野郎でございましょうか。もっとゆっくりしてていいのに。

 

今日のお昼はなんだか暑くて食欲があまり湧かない、けれどもお腹は空いているという混沌とした状態になってしまった。ガッツリご飯を食べる気が起きないので、ハンバーガーでも食べに行こうとモスバーガーへ。店内に足を踏み入れたときの外気との温度差に夏を感じる。この店に入って感じるクーラーの恩恵、「ふぃ~」と声を漏らしてしまいそうになるのが夏よなと思う。そして、モスバーガーに行くたびに、メニューを見るまでは「今日は何を食べようかな」と思いながらレジ前に立つのだが、いざメニューを見てしまうと毎回チリドッグに視線が吸い寄せられてしまう。

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この前もチリドッグを食べたし、たまには違うのを食べようと心に誓うときもあるのだが、それでもメニューを見てしまうとチリドッグが食べたくなってしまう。なんなんだ、このチリドッグの求心力は。最強すぎる。結局今日もチリドッグを注文した。

 

飲み物のオレンジジュースだけを先に渡され、チリドッグとポテトは出来上がり次第、席まで持って来てくれるということに。カウンター席に座ると、カウンターのテーブルと椅子が遠いことに気づく。椅子を引こうと思ったら固定されている。もうちょい椅子は前のほうが良かったやろと思うも、まあしょうがない。たまにあるよね、距離感のイマイチなカウンター席。

 

暑くてのどが渇いていたから、オレンジジュースがめちゃくちゃ美味しい。そして、チリドッグとポテトが届いたころには結構な量を飲んでしまっており、ペース配分を間違えていることに気がつく。しょうがねえよ、何回も言うけど暑いもん。まだ体が慣れてないもん。ということで、オレンジジュースを飲む頻度をセーブしながら、チリドッグとポテトを食べるしかない。だが、セーブしようと考えていると、余計にのどが渇いてくる気がする。「ああ、めっちゃ一気に飲んでしまいたい」と思いながらも我慢しながら食べていたが、とうとう耐え切れなくなり、チリドッグがまだ半分ぐらい残っているのにオレンジジュースを一気に飲み干してしまった。めちゃくちゃ美味しい。なんだか刹那的に生きてしまったという背徳感も相まって、のどごしがすごいと感じるのは大げさでしょうか。そんな風に勢いで道半ばにしてジュースを飲み干してしまったが、幸いにも店内には水が用意されており、なんとかその後も喉の渇きを癒すことができた。まあ水がなくても追加で注文すればいいんですけど。そして、この水もまたうまい。もう今なら飲み物全部美味しく感じるんやろうなと思うほど。そして、チリドッグからはみ出したソースをポテトにつけながら食べるのも美味しい。全部美味しい。マクドナルドのチキンナゲットのバーベキューソースも、ポテトに付けて食べると美味しいですよね。小学生のころにめちゃくちゃやってました。

 

 

ポテトを食べた後はこれをやっちゃう。やっぱりあるあるなんやね。油と水やからイマイチ落ちない感じもあるけどやっちゃう。

 


そして、私が食べている途中で隣の席に人が来たのだが、その人のメロンソーダがめちゃくちゃ美味しそうに見えた。あの透き通った緑色。あの色が化学的な色に見えて体に悪そうと思う日もあるが、今日はめちゃくちゃ美味しそうに思えた。これも暑さのせい。話は飛ぶけれど、ご飯を食べに行ってどっちのメニューにするか迷ったときに、頼まなかった方を友達が食べていたら「ああ、今日はあっちが正解やったわ」って思っちゃうことあるよね。なんであんなにも他人が食べているものは美味しく見えるんだろう。私は卑しい愚か者なんでしょうか。

 

ここのモスバーガーは、私の最寄り駅から2駅ほど行ったところにあるのだが、お客さんがいつも少ない。だから、なんだか広々としていて居心地がいい。この駅からさらに1駅進んだところはかなり栄えた駅となっており、そこから近いこともあって、この駅自体はそんなに利用客が少ないわけではない。しかし、大半のお客さんは栄えている駅のほうのお店を利用するのだろう。そんなこともあって、この駅周辺の飲食店やスーパーなどは割と閑散としている。それでも私はこの駅周辺の雰囲気が自分の肌に合っているなと感じており、なかなかに気に入っている。この駅周辺に引っ越してもいいなあとまで考えていた。しかし、やっぱり利用客が少ないということは問題であるようで、この駅にあったスーパーは最近閉店してしまった。スーパーが潰れてしまうのは中々に痛手であり、私の引っ越し計画もそれを受けて中止になってしまった。まあ引っ越してから潰れられるよりもマシかと思うことにしたが。それでも自分の気に入っている町がそんな状況になってしまうのは残念なことである。ここのモスバーガーも、お客さんが少なくて居心地がいいから気に入っているのだが、潰れられると寂しい。どうにか良いバランスを保ちながら残ってほしいところだ。

 

一人暮らしを始めたばかりのときは寂しくて、「私があんまり好きになれないこの町も、誰かにとっては故郷であり、帰りたい場所なのだろう。そして、私にとっての故郷が、誰かにとってはあんまり好きになれない町であることもあるのだろう。」みたいなことをよく考えていた。けれども時間が経つと人間は慣れるもんで、今住んでいる町のことも好きになってきている。

 

 

別に強がっているわけじゃなくて、本当に。

熊倉献の「生花甘いかしょっぱいか」があっさり終わってしまって悲しい

熊倉献のウェブ漫画、「生花甘いかしょっぱいか」が終わってしまった。悲しい。

 

comic-days.com

 

終わり方がなんともあっさりしていて、少し物足りない感じがしたが、それでも全体を通して面白かった。主人公の相田君の変なポイントでときめいてしまうところが好きでした。女子のちょっとした行動を拡大解釈して、深読みして、どんどん自分の中で妄想が膨らんでいく感じ。『え、もしかしておれのこと好き?』みたいな。女子とちょっとしゃべっただけでいちいちときめいていた中学生のころを思い出して、なんだか甘酸っぱい気持ちになりました。最終話のコメントには「体力の限界...ッ」と書かれており、描くのに疲れてしまったんだなということが分かる。お疲れさまでした。でも、できればすぐになにかしらの媒体で帰ってきてください。終わってすぐに言うのもなんだけど。それぐらいファンです。

 

熊倉さんの描く漫画のキャラには、絶妙に男心をくすぐられる気がする。分かってるなあって思います、偉そうにも。そして、熊倉さん初の単行本である「春と盆暗」を読んでいる時点では、熊倉さんのことをてっきり男性だと思っていた。しかし、ある日ネットサーフィンをしていて、熊倉さんが対談している記事を見つけたのだが、なんと予想外にも女性であった。

 

www.cinra.net

 

対談相手であるシュリスペイロフというバンドのボーカルの宮本さんも「てっきり男性だと思っていた」と言っている。やっぱりそう思うよね。だってホントにキャラが絶妙やもん。前にも書いたけれど、「春と盆暗」の、嬉しいことがあると手が出てしまう女の子のキャラとかめっちゃいいもん。『うわあ、いいなあ』ってなります。そういう女子のちょっとした心惹かれる仕草を描くのが上手い。あざとくない自然な女子の感じ。そして、この対談で熊倉さんは漫画の描き方に関して

 

ストーリーを組み立てるというよりも、「こういうシーンを描きたいな」というイメージが頭のなかにいっぱいあって、それを組み合わせながらひとつのお話にする、という描き方をしているからかもしれないですね。自分でもどういうあらすじになるのか、最後までよくわからないんです。

 

と言っている。そうだとすればやっぱりストーリーものよりは、一話完結型の話のほうが書きやすいのかな。ぶっちゃけ「生花甘いかしょっぱいか」の終わり方は、もう話が思いつかないから終わり!って感じやったもんなあ。

 

小説家の長嶋有は、男性であるのになぜこんなにも女性の気持ちが分かるのかと言われている。

 

www.bookbang.jp

 

熊倉さんはその逆で、女性なのになんでこんなにも男心が分かっているのかと思ってしまう。なんかあだち充の漫画を読んでいるときと近い感情を抱くときもある。「春と盆暗」なんて何回読み返してんねんっていうぐらい読み返している。

 

春と盆暗 (アフタヌーンKC)

春と盆暗 (アフタヌーンKC)

 

 

「春と盆暗」に収録されている話は全て、明日からの人生、ちょっと楽しくなるんじゃないかという予感を残しながら終わっていくのがいい。いいことがあった日の夜、布団に入りながら一日を振り返って、「今日はいい日だったなあ。明日も楽しみだなあ」と少しだけワクワクする感じに似ている。要は最高ってことです。表紙もいい。黄色がいい。もうべた褒め。

 

そして、熊倉さんと同様に、シンガーソングライターのカネコアヤノも男心が分かってるなあと思う。いや、この言い方には語弊があるかもしれない。男心が分かっているというよりは、自分と物事に対する考え方が近いというか、歌詞の内容が自然に受け入れられる気がする。曲もそんなにキャピキャピしてないし、恋の歌を歌っているけれど、それが大げさではなくどこか素朴でミニマルな世界観であるのがいい。カネコアヤノの「恋する惑星」は本当にいいアルバム。

 

恋する惑星

恋する惑星

 

 

「マジックペンと君の名前」がすごい好き。

 

 

でもこのアルバムの曲は全部好き。最近の曲も、もちろんいい。先ほども書いたけれど、熊倉さんもカネコアヤノも、女性なのに男心が分かっているとかではなく、ただ単に人としての気質が近いだけなのかもしれませんね。男でも別に二人に共感できない人はいると思うし。人生においてなにを大切に思っているのか、それが一緒かどうかが肝心なのかもしれません。単純に気が合うかどうかってことやね。

 

色々書いたけれど、熊倉さんの描いた漫画をまたどこかで読めることを楽しみにしております。

 

www.gissha.com

 

一年も経たずに終わっちゃったんだね・・・。

 

ハトとスズメはハトのほうが少し賢い気がする

最近川の土手を自転車で走っていたら、生い茂っている草と舗道の境目、草際とでも言おうか、そこにミミズの死骸がめちゃくちゃ落ちているのを目にする。

 

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怖い。何が起きているんだ、ミミズたちに。と思っていたら、その草と舗道の境目にスズメが数羽いるではないか。なるほど、おそらくミミズの死体はスズメが食べ残した残骸であろう。にしてもミミズが結構丸ごと残っている。スズメは小食なんだろうか。確かに身体は小さいけれど。どうせそんなに食べないのなら、ことあるごとにミミズを掘り返さなくてもいいのにと思ってしまう。スズメたちの世界に、エサのミミズの鮮度などの問題があるのだろうか、などという少しグロテスクな想像をしてしまう。

 

このスズメたち、私が自転車で脇を通り過ぎようとすると、別にぶつかりそうにもないのに飛んで逃げようとする。飛んで逃げようとするのはいいのだが、飛ぶ方向が問題なのである。私がいる方向に飛んでくるのである。だからもう、そこにおってくれたらいいのに飛んだほうがぶつかりそうになるという、よく分からないことになっている。「何かが近づいている」⇒「危ない」⇒「逃げる」までのシステムは組み込まれているが、逃げる方向まではちゃんと考えられないのだろうか。そしてなんだか、歌人の穂村弘が、車が来ているにもかかわらずいきなり道路に飛び出す、その死を恐れない猫の行動に憧れるといっていたことを思い出した。その点、ハトはまだ少し賢い、というか厚かましい。ハトはよく舗道の真ん中で堂々とエサを食べている。私がぶつかりそうだなあと思いながら自転車で脇を通ろうとしても、ハトたちはギリギリまで飛んでいかない。けれども、こちらがどこから近づいてきているかはしっかり認識しており、私から遠ざかる方向に少しずつ歩いていく。ハトとスズメだったらハトのほうが賢いんだろうな。

 

生き物の賢さ自体(賢さと書いたら曖昧な表現にはなるが)は、脳の大きさに左右されると思われがちだが、その脳が備わっている容れ物、つまりは身体の構造が重要であるとは池谷裕二さんの本で読んだ。

 

進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)

進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)

 

 

脳は身体の構造によって使う領域が変化し、イルカの脳は大きいけれど身体の構造自体は人間ほど複雑ではないから 、脳のポテンシャルをすべて活かしきれてないんだったっけ。もしイルカに手足や指が生えていたら、もっと賢くなっていたかもしれないといったことが書かれていた気がする。また読み直そう。

 

最近はすっかり暑くなって、先週の土日は半袖でも十分なぐらいであった。ゴールデンウィークが終わってしまって、仕事が始まるのが嫌だなあと思いながらも、いざ始まると割とすんなりいけてしまう。いつでも嫌なのは久しぶりに仕事が始まるその最初の日だけだ。とはいえ、モチベーションは確実に低いままであり、五月病とまでは言わないがやる気は出ませぬ。正直、ゴールデンウィークが始まる前からその感じはあったけれども。終わってしまったゴールデンウィークは、もはやフィクションだったように思える今日この頃。

 

 

キリンジの「五月病」、めちゃくちゃ好きだ。タイトルとは裏腹に爽やかな曲調。歌詞の意味は全く分からない。なにが五月病なんだ・・・。そしてこっちのファミコンアレンジも可愛くて好きです。

 


キリンジをファミコンアレンジ 「五月病」

 

音程が外れている気がするのはわざとなんでしょうか。

 

「五月病」が収録されているキリンジのファーストアルバム、「ペイパー・ドライヴァーズ・ミュージック」もめちゃくちゃいい。個人的に捨て曲なしの名盤。

 

ペイパー・ドライヴァーズ・ミュージック

ペイパー・ドライヴァーズ・ミュージック

  • アーティスト: キリンジ,堀込泰行,堀込高樹
  • 出版社/メーカー: ダブリューイーエー・ジャパン
  • 発売日: 1998/10/25
  • メディア: CD
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今思えば「捨て曲」っていう表現、えげつないな。キリンジを聴きながらのらりくらりと五月病をやり過ごそう。

 

鎌倉高校前駅にはとんでもない数の観光客がいました(神奈川旅行 3日目後半)

神奈川旅行3日目の後半戦。

 

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友人が鎌倉高校前の踏切に行きたいということで、江ノ電に乗るために江ノ島駅へと向かう。江ノ島駅に到着すると改札を通らずとも分かるぐらい恐ろしいほどの人だかりが。これがゴールデンウィークか・・・。江ノ電大人気やなと思うと同時に、自分も江ノ電が好きなのでみんなの気持ちが分かる。わたしは関西出身であるのでICカードはICOCAを使っているのだが、現金をチャージしようとすると江ノ島電鉄の券売機ではICOCAをチャージすることはできなかった。まあ、残高がまだあったんで良かったけど。関西の皆さんはご注意ください。改札を通るとやっぱりものすごく人が並んでいる。どうやら江ノ電は混雑しすぎていてダイヤが1時間遅れているようだ。人が多すぎて乗れそうになかったので、最初に来た江ノ電を見送り、次の江ノ電を待つことに。せめてものといった感じで、去っていく江ノ電のお尻を写真に収めました。

 

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やっぱりいい。可愛い。好きです江ノ電。15分ほど待つと次の江ノ電がやってきたのでそれに乗る。めちゃくちゃ混雑しているにもかかわらず、予想外に座れてしまった。というか本当は立って景色を見たかったのだが、混雑している中、目の前の席が空いているのに立ったままなのは逆に迷惑なんじゃないかと思って座ってしまった。江ノ島駅から腰越駅、鎌倉高校前駅にかけては、一旦路面電車となったのちに、カーブで曲がった先に海が広がるという最高の景色が味わえる区間であるのに。小沢健二の「さよならなんて云えないよ」の歌詞

 

左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる

僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも

 

の世界観。

 


小沢健二 - さよならなんて云えないよ

 

本当に名曲。まあでも見れないのはしょうがない。諦めきれないけれど、座りながら見ることにしよう。自分が座った席の前に立っている人たちも関西出身の方たちであり、めちゃくちゃおしゃべりをしていた。やっぱり関西人は元気ですな。ちょっとうるさかったけど。

 

鎌倉高校前駅に着くと、結構な人数の人が降車した。やはり人気か。踏切前には観光客がわあっと集まっており、なんかもう凄かった。なんかもう凄かったとしか言えない。中国からの観光客と思われる人たちもたくさんいた。大学生のころ、夏休みを活かして9月に来たときはここまで人が多くはなかった。ゴールデンウィークにみんなの休みが集中すると、こんなことになるのかと思わずにはいられなかった。自分もそんな群衆の一員なんですけどね。とはいえやっぱり踏切越しに捉える江ノ電の姿は素晴らしい。

 

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海の向こうには江ノ島が見える。午前中に江ノ島に行った時には気が付かなかったが、こんなに海が光っていたなんて。まるで漫画に出てくる青春の1ページの光景のようだ。午後になり太陽が高くなった影響でこんなに海が輝いて見えるのだろうか。サーフボードをもって原付に乗っているサーファ―の姿を目にして、本当に海と生活が密接に関わっているんだなと思う。それにしても鎌倉高校に通っている学生たち、ロケーションが羨ましすぎる。なんじゃこのTHE青春って感じ。ずるい。自分が通っていた高校は鎌倉高校に比べたら平凡で何もなさすぎる。とはいったものの、自分が高校時代に自転車で通っていたことを思い出してみれば、そんなに悪くはなかったなあと思う。それと同時にすこし甘酸っぱい気持ちになるのは、やっぱり自分の高校時代がそれなりに楽しかったからなのだろう。うむ、高校時代は普通に楽しかった。でもやっぱり鎌倉高校みたいな場所の高校に通えていたらもっと楽しかった気がする。多分、きっと。来世に期待。

 

一通り江ノ電を撮影し、鎌倉高校前駅に戻って鎌倉駅へと向かう江ノ電を待つ。本当に目の前に海が広がっている。

 

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なんちゅう駅や。羨ましい。こんなに良く思えるけれど、毎日通学に利用していたら慣れてしまって何も思わなくなるんでしょうか。そう思うと旅行で来るぐらいがいいのかもしれない。鎌倉駅に向かう江ノ電に乗車するも、やはり満員電車。しょうがない。おそらくこの電車の中には、普通に鎌倉に住んでいて普段から江ノ電を利用している人も乗っているのだろう。そう思うと人気の観光地に住むのも良い面ばかりじゃないなあと感じる。

 

無事、鎌倉駅に到着し、小町通りを抜けて鶴岡八幡宮へ。小町通り、観光客のマナーが悪くて4月1日から食べ歩きを規制するための条例が施行されているんですね。

 

trafficnews.jp

 

食べ歩きを禁止にするまではできないようだ。確かに旅行を楽しむのはいいが、節度をもった行動をとらなければ、どんどんルールが厳しくなって自分たちの首を絞めることになってしまう。気を付けなければ。それにしても小町通りは飲食店が多いから、もし食べ歩きが禁止になるとお店のほうも厳しいよなと考えてしまう。

 

小町通りを抜け、鶴岡八幡宮に到着。鳥居をくぐった後、境内まで続く道には屋台が出展されていた。本宮を参拝するために階段である大石段を登る。ふと顔を上げると雲一つない天高い青空が広がっていた。

 

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気持ちがいい。お賽銭を済ませ、友人がここでも御朱印をもらうために行列に並ぶ。やっぱりすごい行列。鶴岡八幡宮をあとにして、鎌倉駅に向かうために、次は小町通りではなく若宮大路沿いを歩く。お土産を買おうとお店を探したが、なんだかしっくりくるところがなかった。鳩サブレーはこの前買ったしな。鳩サブレではなく鳩サブレ―。ちゃんと伸ばしましょう。ティッシュではなくティシュー。ちっちゃいツを抜いてちゃんと伸ばしましょう。そのまま何も買うことなく鎌倉駅に着いてしまった。

 

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が、ここで思い出す。江ノ電鎌倉駅の改札の中にお土産屋があったではないか。ということでICカードをピッとして改札を通る。やっぱりありましたお土産屋。江ノ電グッズやお菓子などが充実している。おすすめです。改札を通ったついでにそのまま鎌倉駅に到着した江ノ電を撮影。

 

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お客さんが無事に帰れるようにとの願いを込めて作られたカエルの車両止めの背中がキュートだ。

 

お土産を買い終え、帰りの新幹線に乗るために新横浜駅に向かう。もう終わってしまうのか、この旅行。ああ、嫌だ嫌だと思いながらJRに乗り、ひとまず横浜駅へ。横浜駅にて乗り換える際に路線を見ると、京浜東北線の文字が。

 

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『うわあ、ビーフの曲の「ドリーミン京浜東北ライン」やん!』とひとりで心の中で盛り上がる。

 

 

さらには大宮の文字まで。関東の人にとってはなんてことない路線であるだろうが、関西出身でこの曲が好きな自分にとっては『うわあ、ホンモンに乗るわ。思ってもなかったわ。』というほどの感動が京浜東北線にはある。実際、上に貼った京浜東北線の写真を撮っているとき、一緒に旅行に来ていた友達に「え、なんでこんな写真撮るん?どこがツボか分からんわ。」と言われた。ええんじゃい。

 

その後、新横浜駅について新幹線に乗り帰路に着く。新幹線の中で友人にひたすら「終わりたくない。帰りたくない。早すぎる。いやや。」と言い続けました。新幹線に乗っている時間ですらできるだけ長く続いてほしいと願ったが、人間の作った文明の利器はすさまじく、2時間ほどで新横浜から関西まで戻ってくることができてしまった。あっちゅう間やで、ホンマに。友人たちに別れを告げ、自宅の最寄り駅に到着する。ここでなんだかまっすぐ家に帰るのがもったいない気持ちになった。さらにはこの旅行で横浜・湘南・鎌倉にまつわる音楽が聴きたくなる刺激を受けたが、友人たちともに行動していたことから曲を聴く余裕がなかった。遠足は家に帰るまでが遠足であるとは小学生のころに学んだ。であるならば旅行もまた然りであろう。ということで音楽を聴きながら遠回りをして家路に。実際には旅行が終わっているにもかかわらず、その事実から目を背け街をさまよう姿は、さながらゾンビである。旅行が終わってもいまだにわたしの魂は江ノ島上空を浮遊している。

 

江ノ島にかかる橋を歩いている時点でもう楽しい(神奈川旅行 3日目前半)

神奈川旅行の最終日、3日目について書きます。

 

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1日目、2日目とあいにくのお天気でしたが、3日目はようやく晴れてくれました。それにしても楽しい時間はあっという間である。もう最終日。鎌倉観光は楽しみだけれど、終わってしまうのは悲しいといった複雑な気持ちに。ともあれ、過ぎる時間を惜しんだところで何にもならないので、早速電車に乗って江ノ島へと向かう。一旦JR東海道本線で藤沢駅まで行き、小田急に乗り換えて片瀬江ノ島駅へ。片瀬江ノ島駅といえば外観が竜宮城のようになっていて大変面白いのだが、駅に到着し改札を出ると、外観が工事中であった。なんでも駅舎の建て替えを行なっているらしく、2020年の5月に竜宮城感がよりパワーアップして帰ってくるとのこと。

 

hamarepo.com

 

竜宮城感ってなんだいベイベー。なにやら竜宮造りという伝統的な技法で建て替えるようだ。建て直されたら、それを見にまた鎌倉にお邪魔しに来るとしよう。

 

片瀬江ノ島駅から少し歩くと境川にかかる橋がある。

 

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この橋、映画ピンポンで窪塚洋介演じるペコが「アイキャンフライ!」と叫びながら飛び込んだ所だ。この橋からすでに江ノ島が見えており、もはやテンションが上がってきた。

 

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江ノ島っていたるところから目にすることができるから、来たぞ江ノ島、鎌倉といった気分になる。そして、江ノ島と言えばサニーデイ・サービス。

 

 

MUGEN

MUGEN

 

 

アルバム「MUGEN」、めちゃくちゃ好きです。アルバムを通して落ち着いた雰囲気があり、前半は割と明るく、日差しを感じるような楽曲が多いが、後半になるにつれてしっとりした曲が増えていく。夏の一日を表しているようで何とも言えない切ない気持ちになれます。平賀さち枝の江の島もいいです。

 


平賀さち枝『江の島』 (official PV)

 

そのまま数分歩いていくと、すぐに江ノ島へと続く橋に差しかかる。

 

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本当に天気がいいから江ノ島の姿がくっきりと見える。海を渡ってくる風が気持ちいい。海ではジェットスキーに乗っている人やSUPを楽しんでいる人たちがいる。ああ、やっぱり江ノ島いいなあ。江ノ島に到着し、江ノ島神社に向かって商店の間を真っ直ぐに歩いていくと、ひとつだけ5月にもかかわらず紅葉になっている木を見つけた。

 

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これホンモノなんやろか。なんでこんなタイミングでひとつだけ真っ赤なんやろう。そして、その反対側ではたこせんべいに並ぶ行列が。

 

江ノ島神社の鳥居をくぐってエスカーに乗り島の上まで上がる。

 

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江ノ島エスカー、思っているよりも普通のエスカレーター。ちょっと長いだけ。エスカーの両脇の壁には新江ノ島水族館やコカコーラの看板が。アジカンの江ノ島エスカー、好きです。「サーフ ブンガク カマクラ」は名盤。

 

 

サーフ ブンガク カマクラ

サーフ ブンガク カマクラ

 

 

エスカーを降りると辺津宮(へつのみや)が現れる。

 

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友人が御朱印をもらいに行っていたのだが、行列がものすごかった。なんと言っても昨日、平成から令和になったばかり。御朱印をもらった日付に令和の文字が刻まれることから、みんな記念に欲しがっているとニュースでやっていた。こっちとしては平成から令和になることに対してそんなに感慨も抱いていないから取り残された気分に。まあみんな楽しければそれでいいか。お賽銭をして二礼二拍手一礼する。いつからスムーズにこれが出来るようなったんだろうと自分でも思う。たまにお寺なのに二礼二拍手一礼をしてしまっている人を見るけれど、気持ちは分かる。慣れるまでは、それをしなければいけないという意識が強すぎて、よく分からずにしてしまうことってあるもんね。お賽銭が終わり、おみくじを引くと末吉であった。末吉と言われてもどうしたらいいのかが分からない。喜ぶもんでもないし、落ち込むほどでもない。結局いつも通り、一旦おみくじの中身を読み込みはするが、内容などすぐに忘れてしまうのだろうと思いながらおみくじをくくる。実際なにが書いていたのかはもう覚えていません。神様ごめんなさい。

 

続いて江ノ島のシンボルであるシーキャンドルを見にサムエルコッキング苑へ。綺麗な花が沢山咲いており、それぞれの花言葉が書かれている。おみくじ同様、この瞬間だけ花の名前と花言葉を覚え、数秒後には忘れてしまう。植物の名前とか分かるようになりたいなあと思うけれどもこんなんじゃダメですね。エレベーターに乗ってシーキャンドルに登ると湘南の海岸が一望できる。晴れているとはいえ、雲が多い。

 

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肉眼で見ると開放感があり爽快な気分になったが、写真で改めて見ると少し暗い雰囲気に見える。写真じゃ本当の良さは伝わらないかもしれないが、写真に残しているからこそこうして振り返ることができる。シーキャンドルから降りると、すぐ下でチュロスを販売している出店を発見。わたくしチュロスが大好物でございます。サクサクした食感に加え、シナモンと粉砂糖がかかっていて甘くて美味しい。映画館や遊園地、スキー場のゲレンデなどでしか食べられないから、見つけた瞬間興奮してしまった。出店のすぐ横に設置されているテーブルに座り、いざ実食するとやっぱり美味しい。ところでわたしはシナモンと粉砂糖のかかっている棒状のチュロスは好物であるが、ハチミツでコーティングされているハニーチュロと呼ばれている輪っかになったものはそんなに好きではない。ここは厳密に区別していきたい所存。そして、わたしが一足先にチュロスを買って食べていると友人達はビールを買ってやってきた。なんとも幸せそうな顔をしている。旅行はお酒を飲む免罪符となり得るから、この旅行中彼らは隙あらばビールを飲んでいる。出店の近くにあった売店でお土産を見る。江ノ島Tシャツが可愛くて買ってしまった。

 

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引き続き、江ノ島を奥へ奥へと進んでいく。途中で江ノ島亭という食事処を見つける。まだ11時であるにもかかわらず、人が並んでいる。恐るべしゴールデンウィーク。この江ノ島亭はくら寿司のように発券することで入店予約をすることができる。さらにはQRコードを読み込んでメールアドレスを登録すると入店する順番が近づいてきたら連絡をしてくれる。ということで、とりあえず発券して観光を続ける。岩屋という洞窟のようなところに入る。お昼が近づいてきて外は暑くなってきたが、洞窟に入ると涼しい。親子連れの子どもは洞窟でテンションが上がっていた。確かにダンジョン感あるもんね。1時間弱江ノ島をブラブラしていると江ノ島亭からメールが届く。すぐに戻るとスムーズに入店できました。天丼を食べる。もちろん美味しかったです。

 

ご飯を食べ終わり、江ノ島を後にする。江ノ島を離れる直前にアイスを買って橋を渡りながら食べた。来るときには全く目にしなかったが、お昼になるとトンビが数羽飛んでいるのが目に入った。お腹が空いて我々人間の食べ物を狙っているんだろうか。おれのアイスをお前らにくれてやるつもりなどないと警戒を強める。まあ実際にはトンビはかなり上空を飛んでおり、狙ってくることなどなかったけれど。トンビ、気持ちよさそうに飛んでいたなあ。そう言えば江ノ島はネコが多いというけれど、一匹も目にすることはなかった。前回来たときには境内で昼寝をしているネコを見つけて癒されたのに。今回はネコよりも江ノ島の近所に住んでいて散歩をしに来ている犬のほうが目にした。歩いて江ノ電の江ノ島駅へと向かう道中、驚くほど日焼けしている女子を見て夏を先取りした気分になりました。

 

3日目後半へ続きます。

 

雨の横浜中華街はまさに北京ダックの世界観(神奈川旅行 1日目)

ゴールデンウィークの中盤に神奈川県へと2泊3日の旅行に行ってきました。

 

まず旅行前日。天気予報を調べてみると、前半の2日間は雨の予報。もうこの時点で少しテンションが下がってしまう。10連休のよりによって旅行に行く2日間がピンポイントで雨。何してくれてんねんお天道様。とはいっても天に唾を吐いたところで自分に返ってくるだけであるので、気持ちを切り替えて明日からの旅行に備える。旅行に出発する直前になると急に家にいたくなる気持ち、なんなんだろう。ちょっと前まであんなに楽しみであったのに、すごく家にいたい。

 

そして旅行1日目。目が覚めると雨は降っていなかった。どうやら関西の天気は曇りのようだ。早速スマホで神奈川県の天気予報を調べると午後から雨とのこと。どうあがいても雨は降ってしまうようだ。とりあえず新幹線に乗って新横浜へ。途中の駅から友達が乗車し、一緒にしゃべりながら目的地へと向かう。「新幹線よりも飛行機のほうが旅感がでるよな。」とか「荷物そんなにないのになんとなくキャリーバッグで来てもうたわ。おかげで中身スッカスカやのにかさばるわ。」とか、そんな話をしながら2時間ほどで新横浜へと到着した。

 

電車を乗り換えて赤レンガ倉庫へと向かう。ゴールデンウィークの期間中、赤レンガ倉庫にて開催されているドイツの春祭り「フリューリングスフェスト」に行く。

 

www.yokohama-akarenga.jp

 

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色んな出店が出ていて、そこでビールやらソーセージやらを買って食事を外で楽しむといったもの。天気は曇りだがまだ雨は降っていない。外に設営されているテーブルに座って、みんなで乾杯する。特別ビールが好きというわけではなく、昼間からビールを飲んでダラダラするということへの憧れが我々をフリューリングスフェストへと誘ったのだ。そして、個人的には最近読んでいたチャールズブコウスキーの小説「勝手に生きろ!」の影響も多大にある。

 

勝手に生きろ! (河出文庫)

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  • 作者: チャールズブコウスキー,Charles Bukowski,都甲幸治
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2007/07/01
  • メディア: 文庫
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ああクズ人間になってしまいたいなんて、本当のクズ人間がどんなものかも知らずに思ってしまう。

 

それでも1時間ぐらい会話を楽しんでいると雨が降ってきてしまい、すぐさま赤レンガ倉庫内へと避難した。ゴールデンウィークということもあって、人がごった返していて自分もそんな大群の構成要員の一部であるにもかかわらず、棚に上げて「なんでこんなに人多いねん。家でじっとしとけよ。」だなんて思ってしまう。この日の天気は降ったり止んだりといった不安定なものであった。雨が止んだスキを狙って赤レンガ倉庫周辺を歩いて観光した。

 

赤レンガ倉庫の観光が終わると、横浜中華街へと場所を移動。

 

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細野晴臣がライブをした同發新館の外観をパシャリ。

 

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そういえばカネコアヤノもここでライブをしていたな。細野さんがライブをしたということで、ある種アーティストにとっては憧れの場所となっているのだろうか。アーティストでもなんでもないパンピーのわたしは写真を撮っただけでかなり興奮してしまったけれども。そして、今さらどうせなら晩御飯の予約を同發新館にしておけば良かったと後悔する。そうすれば中の様子も見れたのに。

 

予約している晩御飯までまだ時間があったので中華街をブラブラと歩いていると武器屋なるお店を見つけた。なんか急にRPGの世界っぽいなとワクワクしてきて、青龍刀や三節棍など中国っぽい武器が売っているんだろうかと気になり入ってみると、中国っぽい武器以外にも普通に銃とかも売られていた。幅広くやってますわ。らんまが履いているようなカンフーシューズなるものが1000円で売られており『おおっ』と少し心を揺さぶられてしまったが、勢いで買ってしまうほど若くもないので踏み止まることができた。小学生のころに宮島で木刀を買った子がいたことを思い出し、その子がその頃にここに修学旅行で来ていたとしたら、どの武器を選んでいたんだろうなんて考えてしまった。どの武器を選ぶにせよ、何かしらの武器を買うのは確実でしょうよ。

 

特に装備を整えることもなく武器屋を出ると、パラパラと雨が降っていた。雨の横浜中華街。これはまさしく細野さんの「北京ダック」の

 

横浜 光る街

雨が降る

まるで古い映画さ

"Singin' in the Rain"

雨男 唄う

 

といった歌詞のとおりではないかとひとり興奮する。

 

 

さらにはPANDA 1/2の「中華街ウキウキ通り」も思い出して、友達と一緒にいるけれど急激に音楽が聴きたくなってきた。

 


PANDA 1/2  / 「中華街ウキウキ通り」

 

ただ、『北京ダックの歌詞と一緒や!』と興奮したとはいえやっぱり雨はめんどくさい。ただでさえゴールデンウィークで人が多いのに、みんなが傘を差すと余計に窮屈になってしまう。晴れが一番だなあ。

 

18時になり、予約していた中華料理屋へ晩御飯を食べに行く。3000円で時間無制限食べ放題。北京ダックに小籠包、回鍋肉に青椒肉絲とモリモリ食べる。青島ビールも飲んでしまった。友達と円卓を囲みながら食べる中華は、とても美味しく幸せな気分になった。色んな料理をみんなで分けあえるところが中華のいいところであるなあとつくづく思う。

 

ご飯も食べ終わり外に出ると、空の色は真っ暗で夜になっていた。ベタではあるが、夜の中華街は雰囲気がいい。

 

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お腹もいっぱいになり、上機嫌で中華街を歩く。中華街を離れたあとは宿泊するホテルへと向かった。チェックインを済ませて部屋でゆっくりする。友達がお風呂に入っている隙に細野さんの「トロピカル・ダンディー」を聴く。

 

トロピカルダンディー(紙ジャケット仕様)

トロピカルダンディー(紙ジャケット仕様)

 

 

「HONEY MOON」を聴いているとなんとも言えない幸福感で満たされてしまった。

 

 

みんながお風呂に入ったあとはコンビニで買ってきたお酒を飲みながら談笑を楽しむ。『ああ、こういう時間が自分にとってはやっぱり必要だなあ』としみじみと思いました。まだ1日目が終わったばかりだけれども、あっという間であった。楽しい時間は一瞬で過ぎてしまうから、なんとかしてそんな時間にしがみつこうとして、なかなか寝ずに喋り続ける。こんな時間が一生続けばいいだなんて本当に思いますけれども、そうもいかないのが世知辛いところ。残り2日間も楽しみではあるが来てしまうと終わってしまうという複雑な思いを抱きながら眠りにつきました。