牛車で往く

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うんこ大好き水木しげる先生(水木しげる「妖怪になりたい」)

この前、龍谷ミュージアムでやってる「水木しげる 魂の漫画展」見に行ってから、水木先生のエッセイを読み直してます。

www.gissha.com

 

今読んでるのはこれ。

妖怪になりたい (河出文庫)

妖怪になりたい (河出文庫)

 

相変わらず水木先生の描く絵は可愛いな。表紙の猫娘も愛嬌がある。内容としては、戦争体験や貸本漫画を描いてた頃の苦労、土人への憧れなどに関するエッセイが書かれている。それにしても糞の話が多い。どんだけ好きやねんってくらい糞の話をしよる。

 

水木先生が太宰治について書いている話が興味深い。そもそも水木先生は、太宰治のことが嫌いらしい。太宰の書く話を女の腐った話と酷評している。キツすぎる。なんでも水木先生は、戦争から命からがら帰ってきたもんだから、生きて平和な空気を吸えるだけで幸せじゃないかという考えをもっている。そんな水木先生からしたら、太宰の話は、些細な人間関係を顕微鏡的神経で眺めまわした、小心翼々の文学に映るそうだ。太宰が自殺した玉川上水を見に行った時も、戦争中に一日中海を泳いだ経験のある水木先生からしたら、猫も死ねそうにない川でよく死ねたもんだと思ったらしい。確かに戦争を体験した人からしたら、太宰治のように悩む人は馬鹿らしく見えるかもしれない。けれども、やっぱり太宰に共感する人はいるわけで、現代には現代の悩みや苦悩がある。人間同士、そう簡単に互いの想いを共感しあえるものではないと思う。だからこそ、小説を読んで、自分が本当にそうだよなって思っていることが、言葉として書かれているときに深く感動するんだと思うんだけれども。どうでしょう。

 

また、水木先生は戦争中、大自然、ジャングルの美しさに魅了されたようだ。あんまりにも美しかったもんだから、敵を見張るように渡された望遠鏡で、ジャングルの鳥たちや花々を見るのに夢中になっていたら、味方が敵に背後から包囲されていたという、とんでもないエピソードが書かれていた。そんなんありなんか。それから水木先生は大自然に取りつかれて、楽園のような世界に住んでみたいと思うようになった。楽園、ユートピア、ザナドゥ、はらいそ。

 

「水木しげる 魂の漫画展」の映像において、水木先生のことを語っていた池上遼一先生のエピソードも書かれてある。やっぱりここでも、池上先生の声は、空気のたくさん入ったカステラを食べたような声と書かれている。あとがきでは、水木先生と池上先生の対談が掲載されており、水木先生からすると池上先生は絵が上手だったらしい。多分、給料も2万円じゃなくて、5万円もらえてたんだろうな(過去記事参照)。他にもつげ義春先生などの、他の漫画家とのエピソードもいくつか載っていた。

 

この本を読んでいて思ったのは、やっぱり水木先生にとっては、戦争というものが強烈な体験だったということだ。読んでいると、軍隊の仲間が死んでゆく話も多い。そして、戦争体験を乗り越えたからこそ、強い忍耐力や奇妙な自信が付いたと言っている。だからなのかは分からないが、水木先生が何か変な事件にあったり、困難なことに出くわしても、仕方ないなと切り替えてるのがすごいと思う。いや、それは仕方なくないやろってことも、仕方ないなってことになってる。大らかすぎる。そして、なんというか、本を読んでいて水木先生は戦争などの体験を、自分の人生としてしっかりと消化できているように感じた。もちろん戦争のことを憎んでいるとは思うし、思い出していやに気分になることもあったであろうが、文章から悲壮感のようなものは一切感じられないのだ。ただただ、現実に起きてきたことを書いているといったような印象を受ける。いやあ、偉大だよやっぱり。自分は、戦争とは比べ物にならないぐらい、過去のちっちゃいことさえ引きずってるのに。

 

水木先生が、幽霊と妖怪の違いを定義しているのも面白い。水木先生にとって、幽霊は恨みが主な原因として出てきており、復讐を目的としている。それに対して妖怪は、自然に初めからそこにあるものなので、たいして目的もなければ、なんでもない、ただ愛嬌があるものなのだ。水木先生の描く妖怪には、それが見事に再現されている。たいした目的もないっていうのがなんかいい。笑える。可愛いですね。これを読んだらタイトル通り、妖怪になりたいって思ってしまうよ。