牛車で往く

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キニキリームキロッキなんてよく思いつくわホンマに

ほめてるわけじゃなく、むしろちょっとけなしてるのに「〇〇さんって変わってますよね」っていうと、嬉しそうにする人がいる。なんなら自分から「俺ってちょっと変わってるから」とか「俺って普通じゃないから」っていう人もいる。正直、気持ちは分からんでもない。面白い人になりたい、個性のある人になりたい、唯一無二の人になりたい、そんなふうに思っている人って結構いると思う。変わってるって言われると、俺は普通の人じゃない、個性のある人間だって嬉しくなっちゃう気持ち、多少はみんな持っていると思う。でも、変わってるって言われて嬉しくなる人は、天然物の変わってる人じゃない気がする。人工の、自分から変わった人間でありたいって人じゃなかろうか。だから、やっぱりその点において、人工の変わった人は、人工の変わった人同士で、どこか似ている。

 

そもそも個性って出すもんじゃないでしょうよと私は思うわけです。自分で自分の個性として意識してる部分って、意識してる時点でちょっと自然じゃない。個性って本人は気づいてないけど、その人と付き合っている人がこの人こういうところあるよなって感じる部分のことだと思う。本人は普通だと思っているけれど、他人からしたら変わっている部分のことだと思う。だから、あなたの個性は何ですかって聞かれても、そっち側が私の個性を感じ取ってくれんとって思ってしまう。なんでもかんでも商品のように捉えてしまう考え方はやめてほしいね。

 

同じものを見ても、人によってどう感じるかが違う部分が個性なんじゃないでしょうか。言葉では表しにくい、もっと繊細なもの。

 

といいつつ個性的でありたいと、やっぱり思ってしまうジレンマ。ジョジョ第四部の吉良吉影に魅力を感じる。あっこまで個性的というか異常にはなりたくないけど。

 

まあでも個性にも、社会的な場における個性や、友人同士の関係のようなプライベートな場における個性など、その場によって求められる個性が違うんだろうけどね。

 

 

そして、歌人の穂村弘による、その人の世界像は言葉によってできているというお話。

 

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穂村 弘 ことばから生まれる世界 | 日本デザインセンター

 

内容は多少、穂村さんが書いた本である「はじめての短歌」と被っている部分はある。

 

www.gissha.com

 

うちの会社もこんな面白いトークイベント開催してくれよ。報告書もちゃんと書くからさ。全然業務には関係ないけど。

 

特にこの中でもキニキリームキロッキのエピソードが最高だ。

 

あるとき、Twitterで

 

「キニキリームキロッキ」

 

という女子中学生のツイートを見たんです。さかのぼってみると、数日前のツイートに「今日の晩ごはんは、カニクリームコロッケ。『カ』『ク』『ケ』『コ』、カ行が四つも入ってる。でも『キ』だけ入ってない、かわいそう」と書いてあった。それから数日して、突如として「キニキリームキロッキ」。素晴らしいなと。これは、「キ」をかわいそうだと思ったその子が「キ」のために作った、「キ」のためだけの異次元のカニクリームコロッケの名前ですよね。愛の中で一番価値があるのは、こういう、カ行の「キ」とかに対する愛だと思います。非常に崇高なものだと思いますね。

 

いやあ、なんて綺麗なエピソード。これを読んだときガツンとやられた。ホントに素晴らしい。後の文章で穂村さんが述べているように、この「キ」に対する愛は、女子中学生だからこそ生まれた愛であろう。大人になってしまえば、「キ」が仲間はずれになっていることなんかよりも、もっと現実的な給料のことや恋人との関係のことなどが気になるだろうと穂村さんは言う。実際そうだろう。大人になった今、いつの間にか世界は狭くなってしまった。もっとこの世の中には、素晴らしいことや美しいもので溢れているはずなのに。余裕がないぜ。大人になると純粋なものに憧れてしまう。でも、ちょっと中学生のことを美しい生き物として見過ぎだろうか。

 

個人的にカニクリームコロッケは嫌いやから、そこに含まれていない「キ」だけは許せる。「キ」はカニクリームコロッケの構成要素じゃないから。

 

とはいえ一体全体、中学生のころの俺にもこんな感性があったのだろうか。いやなかっただろう。断言できる。頑張れ中学のころの自分。頑張ってどうにかなるもんじゃないけども、さっきの個性の話と一緒で。

 

今思い返してみれば、それこそ中学生のころなんて、学校に行って、友達と会って、部活をやってるだけで毎日楽しかった。あの頃は芸術もいらなかったし、スポーツも見るよりやるほうが楽しかった。寺社仏閣の良さも分からなかったし、旅行に行きたいとも思わなかった。それでも十分満たされていた。それはそれで幸せだった。

 

社会に出てみると大人っぽくない大人は多い。しかし、大人っぽくない大人が、子どもの頃の気持ちをもったままの人だというわけではない。子どもの頃の気持ちをもったまま大人になるというのは、とても難しいのだろう。それでもやっぱり、中学生の頃の自分の抱いていた気持ちを、今でもちゃんと分かるような大人になっていたいと思う。

 

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