細野晴臣さんのエッセイを買いました。
この本には、1995年から1996年までと、2002年から2006年までに書いたエッセイが収録されている。
細野さんはとにかく声が渋いよね。Eテレの2355での細野さんのナレーションとか、聞いてたらマジで落ち着く。寝ちゃう。けど寝ちゃったら明日が来ちゃうから粘る。明日になれば仕事が来ちゃうから粘る。次の日寝不足でしんどくなる。そんぐらいリラックスできる。この本によると、細野さんは中学生の時点で声変りが終わっていたようだ。中学生でこの声は渋すぎるぜ。でも、えてして人間は録音した自分の声を聞くと、気持ち悪く感じるものなんだろうか。なんかがっかりするよね。あと、自分が歌っているところを録音すると、勢いよく歌っているつもりなのに、録音されたものでは全然抑揚がなくてのっぺりしているよね。録音したことないですか?
ジャルジャルのネタのタネ『すし屋やめて歌手目指す奴 パート1』【JARUJARUTOWER】
このネタ見たとき俺だけじゃないって思ったんですけどもね。カラオケとか行ったときに、みんなにどんな風に聴こえてるんやろう。気になる。カラオケは恥ずかしすぎて、お酒が入ってないと行けません。
この本も読んでいたら細野さんの渋声で再生される。寝ちゃいそうになる。別に退屈という意味ではなく。
それにしても細野さんは、なかなか生活に疲れていたんだなということが分かる。大自然に触れることに喜びを感じていたり、ネイティブアメリカンの考え方を参考にしたりしている。そして、スピリチュアルな話も多い。円盤、いわゆるUFOを見た話だとか、金縛りにあって白い靄が身体に入り込んだ話とか。ぶっちゃけ自分はそういう話を信じないほうだ。しかし、この本の中で細野さんは次のようなことを言っている。
ところで、人間が何かを感じる領域というのは、非常に限定されている。芸術にはその領域を広げる力がある。しかし、それだけの力を持つ者はそう多くない。同じ刺激が続くと麻痺してくるのは、人間なら誰しも同じこと。そして、違うところをくすぐってほしいと思うものなのだ。僕自身、音楽によって何度も感覚を広げられてきた。たとえばある時期、僕は音楽を聴く能力、そしてそれと表裏一体の表現する能力の限界を強く感じていた。そんなときに初めてマーティン·デニーのエキゾティック·サウンドに出会い、くらくらするほど未知の領域を刺激されたのだった。快感は、感覚が広げられたその瞬間にやってくる。未知の感覚があることを教えてくれるという点では、モンドも同じだと思う。 p44
色んな芸術に触れて感性を磨いた人間には、普通の人間には感じられないことも感じられるようになるのかもしれない。人間はそれぞれ見えている世界が同じとも限らないしね。それぞれの人間の世界って、受けてきた教育や触れてきた芸術によって、全く違うものになってくるのだろう。音楽家の中では当たり前のことも、一般人にとっては未知のことであろう。でも、このそれぞれの当たり前がコミュニケーションにおいては難しいよね。
そんな細野さんの疲れたエピソードもちょいちょいあるから、この本を読んだ後だと「はらいそ」の歌詞も皮肉めいて聴こえてしまう。
ここは 住めば都の大都市 明日も抜けられない島国
ここの歌詞は、移り住んだ先での楽園が素晴らしすぎて抜けられないと言っているのか、日本を皮肉しているのか。考えすぎかな。水木しげるも大自然のほうがいいとか言ってたし、楽園に行きたいって言ってたな。
正直はっぴいえんどの良さは、まだイマイチ分かっていない。「風をあつめて」と「暗闇坂むささび変化」ぐらいしか好きじゃない。けれども細野さんのソロ作品は好きだ。いわゆるトロピカル三部作のなかではトロピカルダンディーが一番好きです。
- アーティスト: 細野晴臣,M.Gordon,矢野誠
- 出版社/メーカー: 日本クラウン
- 発売日: 2000/12/16
- メディア: CD
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なんちゅう怪しいジャケット。最後の2曲のインストによって、このアルバムが映画のサントラみたいな雰囲気になっていて良い。全部通してスルッと聴ける。これまた落ち着く。
やっぱり人間、普通に生きていくだけでも大変やなと思いますよ。普通じゃないよホントに。なんか自分自身は色々悩んでいるのに、周りの人は自分ほど深く物事を考えていないんじゃないかって思ってしまうときあるよね。でも、細野さんが自分以上に色んな事に悩んだり考えたりしてて、冷静になったら当たり前なんだけども、意外と大変なんだなと思った。まあ、だからといって自分の悩みが軽くなるとかはないけどね。うちはうち、よそはよそ。といいつつ共感する日もある。人間のバイオリズムはよく分かんねえぜ。