新年明けましておめでとうございますということで、初売りに行きました。靴を見に行ったところ店員さんに話しかけられまして。見ていた靴はどんなファッションにも合いますよと。そこで「ああ、今履いてるジーパンにも合いそうですね。」と相槌を打ちましてん。そうしたら向こうが「お客様の履かれているデニムにも大変お似合いになると思います。」と言ってきまして。いやジーパンをデニムって言い直してきてるやん。仕掛けてきてるやん。ジーパンってもう言わんようになってんの?もしかしてダサい?ただ仮にダサいとしても、そこはお客さんに合わせたら良くない?「こいつ未だにジーパンって言ってるやん。こっちもジーパンって合わすことも出来るけど・・・。でもなあ、ジーパンってダサいしなあ。仮にもアパレルショップで働いてる自分がダサい言葉使うんもなあ。プライドがなあ。」みたいな逡巡があったのだろうか。いや、それは絶対になかっただろう。やつはノータイムでデニムと言い直してきた。迷い無し、その意気や良し。いや気に入らんけど。そもそもデニムって生地のことやん。おれ生地買いに来たんじゃなくて、ズボンを買いに来た訳ですから。ん?ズボンもダサいですか、ナウいのはパンツですか。でもパンツって下着のことやん。おれは下着を買いに来たんじゃないですから。ん?ナウいもダサい?まあ、ナウいはナウくないか、ダサいか、確かに。
その靴結構いいなと思ったけれども、自分の財布から出ていったお金が、デニムと言い直してきたきゃつの懐に入ると思うと悔しくて見送りました。家に帰ってきて、なんか完全敗北した気分です。せめて買えばよかった。
長かった年末年始のお休みも明日で終わり、月曜日からは仕事と思うと憂鬱でございます。あんなに楽しかった休みがあっという間に終わりました。
TOKYO HEALTH CLUB「supermarket」
どんだけ遊んでも残るものは
たったこれだけってふっといつか思うのか
この歌詞が沁みて仕方がない。この年末年始の休みが始まる直前の金曜日に戻りたい。あの金曜日が一番幸せだった。最近は土日の休みよりも金曜日の夜が一番楽しい。旅行も行く前にやんややんや言っているのが楽しい。いざ楽しいことが始まるとそれはもう終わりの始まりってことを強く意識するようになってしまった。それは楽しいことをする機会が限られてくるようになってしまったからだろう。楽しいことが終わった後には、何もなかったかのように日常が始まる。何回こんな虚しい気持ちを繰り返すのかと思うので、今年の年末年始はそういう状況を打破するべく、何かしらの行動を起こそうと思っていたけれど、例年通りゆっくり過ごして終わってしまった。恐るべきかな、年末年始のゆったり感は。グッバイ2018年。
まあでも、年末年始ゆっくり出来ただけでも良かったと思う。実際初売りに行ったときにサービス業の人は働いているわけでございまして。それはもう大変頭が下がる思いでございます。この消費者へのサービス過多の時代において、誰かが楽しい思いをしている裏では、誰かが苦労しているというのが、自然の摂理となっておりましょう。わたしが呑気にジーパンほしいと思っている裏では、デニムを売るべく働いている人がいると。そりゃジーパンなんて言う奴にいちいち合わせてられんと。物事の裏側を考えることで、ジーパンをデニムと言い直されたことも自然と受け入れられるようになりました。新年早々、ひとつ成長することが出来ました。悟りを開いた気分でございます。しかし、デニムは生地のことを指すことは変わらぬ事実でございますので、ジーパンはジーパンとして頑なに呼んでいきたい所存でございます。以上新年の抱負でございました。