牛車で往く

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爪を切るなんて朝でも夜でも好きな時にすればいい(ayU tokiO「米農家の娘だから」)

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いつまでたっても爪をうまく切ることができない。なんでこんなに難しいのだろう。特に足の爪を切るのが難しい。自分は血行が悪いのか知らないが、足の爪のピンク色の部分と白色の部分の境界があいまいで、区別がつきにくい。ピンク色の部分が薄すぎる。わたしの血液よ、ちゃんと足の指の先まで行き渡ってくれたまえ。そして、足の爪はアーチ状に切るのではなく、まっすぐに切ったほうがいいということを今さら知った。アーチ状に切ると巻き爪になりやすいようだ。どうりで。

 

爪を切るという行為にまつわる言い伝えとして、「夜に爪を切ると親の死に目に立ち会えない」というものがある。えらいこっちゃで。この言い伝えのルーツとしては諸説あるようだ。そのひとつとして以下のようなものがある。

 

www.news-postseven.com

 

戦国時代には夜に城を警備する世詰めという仕事があり、この世詰めは大変重要な業務であった。そのため、たとえ親が命を落とすようなことがあっても持ち場を離れることができなかったという。そしてこのような親の死に目に立ち会うことが難しい業務を意味する"世詰め"と、夜に爪を切るという行為、略して"夜爪め"の語感が同じであることから、「夜に爪を切ると親の死に目に立ち会えない」ということになったらしい。いやダジャレやん。めちゃくちゃダジャレやん。まあでも昔は、切っても切っても伸び続ける爪には生命力があり、なにか霊的な力を感じていたそうだ。そう言われると、爪を切るという行為を親の死に目を結びつけるといったことに納得できないこともない。しかし、今の科学が発達した時代にこのような言い伝えを信じる人は少ないだろう。

 

そう思っていたところ、まあまあの人が「夜に爪を切るのが駄目ならばいつ切ればいいの?」という質問をインターネット上で投げかけているではないか。それに対して、「朝は身支度などがあって忙しく、そんなときに慌てて爪を切ると危ないよ。」、「朝も夜も爪を切ったらダメと言うならばお昼しかないじゃないか。でもお昼は仕事があるじゃないか。」などといったやりとりが行われているではないか。ここは本当に平成が終わろうとしている日本なのだろうか。逆に聞きたいけど、「朝も夜も無理というけれど、お昼は仕事があるじゃないか。」という方は、今までどうしてきたんだと。何をいまさら爪を切るタイミングを気にし始めているんだと。今まで通りに切ればいいじゃない。なんなら土日のお昼に切ればいいじゃない。そんなに急いで爪を切らなければいけない場面など果たしてあるだろうか。なんや、明日学校の体育館の集会の後にハンカチ、ティッシュ、靴下、爪の清潔さのチェックでもあるのか。そんなもん適当にやり過ごせばいい。第一ボタンを閉めているかのチェックもあったな。というか爪なんか好きな時に切ればいい。なぜそんなにがんじがらめになる。

 

爪を切るタイミングを質問するなんて、真面目に生きてる人が多いなあと思う。けれどそんな姿が少し愛しく思えるのも事実。他人の真面目さ、不器用さに心が救われるようなときがある。適当にやればいいのにってことを真面目に取り組んでいる人を見ると、普段は何も思わないが不意に感動してしまうときがある。あれは何なのだろう。バイオリズムの問題なのか。バイオリズムこそ信憑性があるのかしらないが。

 

おそらく自分にも、不意に親のことを思う夜っていうは人生の中にいくつか存在していて、そんな夜には「夜に爪を切ると親の死に目に立ち会えない」という言い伝えを思い出して爪を切るのを止めるかもしれない。そう思うと、爪を切るタイミングというものを気にしている人たちのことも少しは分かるような気がしてきた。ってことをayU tokiOの「米農家の娘だから」を聴いているときに思った。

 


ayU tokiO | 米農家の娘だから 'Album Version' (Official Depth Video)

 

父母に感謝したい夜もあるよね、なんとなく。