牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

スポンサーリンク

秋の寂しさはどこから来るもの?

ただの日記を書きます。気づけば8月も最終日。ただ今実家に帰省しておりまして、こんなタイミングで夏休みをもらっても、友人たちは働いているからすることがない。でも家にいても仕方が無いので、自分が中学生、高校生だったころによく通っていた道をその当時よく聴いていた音楽を聴きながら歩くという、まあまあキツめの散歩を敢行することにした。この「キツめ」という言葉の意味は、読んでくれた方それぞれの解釈をしていただければ幸いです。8月も最終週に入ってからはだいぶ涼しくなってきて、散歩をしていてもそれほど汗をかかなくなった。もう夏も終わりなのかと思ったりもするが、テレビの天気予報を見ていると来週から暑さがまた戻ってくるらしい。夏が終わると思うと寂しい気もするが、一度涼しくなったのならそのまま季節が進んで欲しいとも思う。まあいずれにせよ、いつでもいいなあと憧れる季節は今現在の季節ではなく少し先の季節なのだ。

 
自分が中学生だったころにリリースされた曲、よく聴いていた曲をシャッフルで聴きながら地元を歩いた。今日は小雨が降っていて、雨上がりを歩いていると雨のにおいが鼻をついた。そうすると、中学生の頃の、雨が上がった日の部活のことを思い出した。雨上がりにグラウンドを整備しているときは、いつもこのにおいを無意識に嗅いでいた気がする。グラウンドを整備し終わった後には、ほとんど部活をする時間が残っていなくて楽しくなかった。それに、せっかくグラウンド整備をした次の日に雨が降るなんてこともざらにあった。自分達は阪神園芸並みの整備スキルなんて持っていなかったし、グラウンド自体もそんなに良い土ではなかった。それに加えてやる気も無かった。ないないないの三拍子が揃っていたから、雨の日の次の日は、まあ本当に楽しくなかった。それなのに思い出として振り返る当時は、そんな自分達のことさえも愛しく思えてしまうので、思い出補正とは本当に恐ろしい。星野道夫が著書「ノーザンライツ」において、

 

ノスタルジアからは何も新しいものは生まれてはこない。自然も、人の暮らしも、決して同じ場所にとどまることはなく、すべてのものが未来へ向かって動いている。

 
と書いていたが、果たして自分は未来へ向かって歩いていけているのだろうか。いや、こんなキツめの散歩を敢行している時点で現在、未来と向き合えていないのは明らかである。

 

ノーザンライツ (新潮文庫)

ノーザンライツ (新潮文庫)

 

 
それにしても、音楽を聴いたり、においを嗅いだりして昔のことを思い出すたびに、五感と記憶の関係がいつも気になる。それっぽいことを調べては「ふ~ん」となんとなく分かった気になり忘れてしまうということを繰り返してきた。これも良い機会と思い、ちゃんと調べてみよう。ということで調べてみたところ、どうやら記憶と一番強く結びついている感覚は嗅覚のようだ。

 

www.sankei.com

 

五感のうち嗅覚のみが、脳において記憶を司る大脳辺縁系に直結しているためとのこと。それでも調べているとそれっぽい学術論文等を引用したサイトは見つからなかったため、詳細を知るためには専門書等を読んだ方が良さそうだ。果たしてそこまでするのか私は・・・。

 

散歩を始めたのはお昼も回った比較的遅い時間ではあったが、途中に喫茶店で休んだりしていると実家の近くまで戻って来たときには18時ぐらいとなっており、結構遅い時間になってしまった。夕方になるとより一層涼しくなってきた。これまたひとつ思うのだが、夏から秋へと季節が変わるとき、なぜ少しだけ寂しくなるのだろうか。涼しくなることが何か関係しているのだろうか。ということでこれも調べてみた。

 

news.livedoor.com

 

気温の低下が生命維持の観点において人間に不安を抱かせやすくなること、日照時間の低下が精神の安定に作用するセロトニンの分泌を低下させることが関係しているらしい。一日中家に引きこもって全く陽に当たっていない日にも、セロトニンの分泌が低下しているはずなのに、別に寂しくも切なくもならないのは、人間として何か大事なものが欠けてしまっているからなのだろうか。それでも秋が近づいてきて寂しさを感じている間はまだ大丈夫だと思いたい。そしてこの時期、やたらとアジカンの「転がる岩、君に朝が降る」を思い出して聴きたくなる。

 

転がる岩、君に朝が降る

転がる岩、君に朝が降る

 

 

 

昔のことを思い出して感傷に浸っていると、

 

初めから持ってないのに胸が痛んだ

 

の部分を思い出す。なにかを失ったような喪失感に胸を刺された気になっているけれど、そもそも失うようななにかを持っていたっけ?この感傷はどこからくるものなんだろう?それが分からないから、ずっと同じようなことを繰り返しているんだろうけど。


そんなことを考えながら歩いていると、空もだいぶ暗くなってきた。2019年の8月31日は18時50分頃が夕方と夜の境目のようだ。西の空にはまだ少しオレンジ色が残っているが、反対の東の空はもう明るくはない。自分の前に歩いている人の姿が見えるが、こっちに向かって歩いているのか、同じ方向に向かって歩いているのかが分からない。実家に到着し、玄関の鍵を開けようとすると、鍵穴に一人暮らしの家の鍵を刺そうとしてしまった。今日は自分の昔を振り返ってばかりであったが、この瞬間、今の生活はこことは違う場所で営まれているということをはっきりと意識させられた。夏休みも終わりです。