牛車で往く

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ファイナリストが着れる赤いTシャツがカッコ良くて仕方ない(キングオブコント2019 感想)

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待ちに待っていたキングオブコント2019。キングオブコントしかり、M-1しかり、大きなお笑いの大会がテレビで放送される日には、放送時間になるまでにすべての用事を済ませておきたい。何もかも終わった状態で、番組に集中したい。ということでキングオブコントが始まる19:00までに買い物やらお風呂やらご飯の準備を済ませて、テレビの前に鎮座した。ただ、キングオブコントを楽しみにしていない人もこの世にはたくさんいるのだろう。私がタピオカ屋に並ばないように、キングオブコントを見ない人がいるという当たり前の事実。こんなに面白いのに・・・。まあしゃあない。

 

今回のキングオブコントも、決勝進出者が当日のネタ順が来るまで発表されないということで、めちゃくちゃワクワクした。準決勝に進出したコンビは総勢34組。

 

www.king-of-conte.com

 

過去にキングオブコント決勝、M-1決勝へと進出経験のあるコンビから、最近売れてきているコンビまで様々。なんならキングオブコント優勝経験のあるコロコロチキチキペッパーズまでいる。ちなみに2013年に優勝したかもめんたるは、今年は準々決勝で敗退している。

 

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厳しいよね~。個人的には、ロングコートダディとかが屋、ジャルジャルが決勝に行ってくれたらテンションが上がるなあと思いながら見ていた。それにしても、最近面白いなあと思うフランスピアノというコンビが一回戦で敗退しているのが衝撃だ。

 

 

めっちゃ面白いのに・・・。でもそんなことを言いだしたら面白いコンビなんてたくさんいるし、人によって面白いと思うコンビも変わって来る。とはいえ、一回戦敗退かあと思わずにはいられない。キングオブコントって決勝に進出するだけでも大変ですな。ましてや優勝なんて。

 

そして、サクッと始まった決勝。ナレーションは海場瀬戸。

 

シルエットにジャルジャルが出てきたときはテンションが上がった。9年も決勝に進出できていなかったなんて。そして、ネタはキャッチャーの言葉が一定距離離れると英語に聞こえるというもの、奴。後藤がふざけてエセ英語を使うところが面白かった。そして、キングオブコントが終わって、早速YouTubeに決勝で披露したネタを上げるジャルジャル。流石です。M-1のときもそうやったもんな。そして翌日にはチャラ男番長パート39がアップされるというえげつない緩急。

 


『チャラ男番長のネタを見る奴 パート39』ジャルジャルのネタのタネ【JARUJARUTOWER】

 

でも好き、チャラ男番長。カメラがギュンって引いて、チャラ男番長が、ジャルジャルのYouTubeのコントにおいてよく見る謎の木の箱の上に立っていたときは笑ってしまった。キングオブコントでみるジャルジャルも良いけど、YouTubeでみるジャルジャルもいい。どっちもいい。キングオブコント直後にチャラ男番長をみて、その平常運転っぷりになんだか嬉しくなったのは私だけだろうか。

 

そして、どぶろっく。いやもう普通に面白かった。審査員のバナナマン設楽が言っていたように、コントが始まって暗転が解けたときに、セットに木が植えられている時点でもう面白かった。どぶろっくやのにちゃんとセット用意してるやんっていう面白さ。そしてブレないイチモツの歌。肩に担げるほど大きなイチモツを下さいというフレーズが気に入りました。神様にお願いしているときの江口のピンと伸びた手と指先も良かった。終わった後のSNSでは賛否両論がすごいけれど、単純な下ネタとも思えないというか、パワープレイっちゃパワープレイやけど、下ネタなら何でもウケるとは思えない、絶妙な下ネタ加減だと感じた。下ネタはいずれにせよ反感を呼ぶね。2013年のアルコアンドピースのネタもおもしろかったけどなあ。飲み会とかのオッサンのホンマに面白くない技術点ゼロみたいな下ネタとは違うと思うねんけどなあ。自分で言っといてなんやけど、技術点ってなに?

 

そして、待望のかが屋。巷では散々、かが屋は決勝に行くでしょうと言われていたけれど、やっぱり実際に決勝に進出したその姿を見ると感動した。ライブとか一回も観に行ってないけど。ぜひ関西に来てほしい。関西でやっていたヒガシ逢ウサカとの2マンには行けませんでした。そして、コントが始まった瞬間に花束を抱えて茫然自失した賀屋の姿が見えた時点で、もうその世界観に引き込まれてしまった。そしてなにより、普段、コントの際には黒シャツと白シャツというシンプルな恰好をしている2人が、ちゃんとした衣装を着ていることに胸が打たれた。普段のコントの手を抜いているとか言いたいわけじゃないんだけれど、ちゃんとした衣装を着ている姿にキングオブコントにかける本気さを感じてしまった。ネタは暗転して時間が戻るたびにワクワクさせられたし、現在の時間に戻ってくるときも、呆然とした賀屋がいると分かっているのに、毎回笑ってしまった。なんて上手いんだろう。ただ、かが屋のコントもSNS上で色々意見が飛び交っているようである(キングオブコント後のYouTube生配信動画において、俗にカレンダー事件と賀屋は呼んでいた。)。それとは別で、個人的に現在の時間に戻ってきたときに、蛍の光を毎回頭から流すのがちょっと気になってしまった。リアリティを求めるなら、蛍の光がフロアにずっと流れているとして途中から流したほうが良かったんじゃないか?なんてことを思ってしまった。素人が偉そうなことを言ってすみません。いや、本当に面白かったです。感動しました。そして何より、ネタ終わりの採点待ちの時間において、あのイブラヒモビッチに並ぶほどの悪童、ダウンタウン浜田雅功を前にして、あんなに穏やかな笑顔でしゃべっていた賀屋の凄さよ。ネルソンズの青山やジャルジャルの福徳が骨折しているにもかかわらず、どつこうとした浜ちゃんも、そんな賀屋の雰囲気に流されてほのぼのトークを繰り広げていた。

 

それでもこの日、個人的に一番面白く感じたのは、最終決戦のうるとらブギーズのサッカー解説のネタである。自分はこういう2人が面白い会話だけで進めていくコントに弱い。かまいたちの母親が万引きしたことを絶対に言わんとってなっていうネタも好きだ。ロングコートダディもこういった雰囲気のネタが多い。松っちゃんに、もうちょっと動きが欲しかったと言われていたけれど、それも気にならないほどの会話のセンスよ。「そうこうしてるうちに」とか「ゴーーール!ウソでーす!」とか「オハヨウのヨの人ですね。」とか、そのはしゃぎっぷりが見ていて楽しくて面白くて、これずっと見れるんじゃないか?と思ってしまうほどであった。そして2人の外見も絶妙。特に佐々木のほうの元サッカー選手感よ。八木じゃなくて佐々木の方がスポーツしてる感あるし。三村の「いそうなんですよね。」に共感。浜ちゃんには「何を言うてんの?」とツッコまれていたけれども。

 

そして、キングオブコントが終わった後にSNSで行われる審査員の審査の妥当性の検証。色々難しいよね。キングオブコントなんて異種格闘技戦みたいなもんに思える。面白さを色んなスタイルのコントで競いあう、しかも採点方式で。刃牙の殴り合わずに型を見せ合って技術点で競い合う版みたいなもんではないか。それは違うか。いずれにせよ、私たちはそれぞれの芸人のコントを、自分たちなりの色眼鏡を通して、自分たちなりの解釈を付け加えて見ている。ただ単に笑いたいのか、それとも感動したいのか、お笑いに人間賛歌を求めているのか。そして、それぞれの芸人が抱えているバックグラウンドも加味して。全ての芸人のバックグラウンドを知っているはずもないのに。でもそんな風に特定の芸人に肩入れしてしまうのはしょうがないことだと思う。お気に入りの芸人っていますもんね。そして、やはり自分のお気に入りの芸人には報われてほしいし、そうならなかったときはショックを受けてしまう。

 

どこまでお笑いに入れ込むのか。お笑いに人生を救われるというのは、分からんでもない。ただその度、松っちゃんが昔、自分の書いた本「遺書」において、野球の応援に熱狂するやつの気がしれないと言っていたことを思い出す。

 

遺書

遺書

 

 

それは自分の人生を頑張ってないやつが、勝手に他人の人生に乗っかって感動しているだけだと松ちゃんは言っていた。そして、それはわりと芯を食っている部分があると思う。まあ、何はともあれ、松っちゃんは尖っていた若かりし頃にそういう思想をもっていたような人物であるから、笑いとして捉えるのか、芸術としてとらえるのか、どこまで他人の創作物に熱中するのかといった感覚が、ただ単にお笑いを見るだけの側である視聴者とは異なる部分もあるのだろう。生み出す側とそれを享受するだけの側とでは、決定的に違う壁が一枚存在しているように思える。作る側に身を置く人間の視点と、見る側に身を置く人間の視点。でも、今や松ちゃんもだいぶ丸くなったよね。

 

それよりも私は、松っちゃんが5人全員同じような点数になるのを気にしてるのが気になる。なんかこう、それぞれの審査員個人個人にしか気づけないポイントがあって、割と点数がバラバラになるみたいなことがあってもいいと思う。コントを見る際に、どこに比重を置くのかは人それぞれだと思うし、素人とは違う観点からの評価もあるだろう。そして、ネタのどこを評価したかを一番分かりやすく話してくれていたのがバナナマンの設楽だと思う。さまぁ〜ず三村も思うことはあるんだろうけど、それが上手く言葉にできないからフワッとしちゃってるけど、それはそれでしょうがないとも思う。こういうのを見るたびに思い出すのは、保坂和志と永井均の言葉だ。保坂和志は、小説は小説を読んでいる間にしか存在しないと言っている。

 

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

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これと同じでお笑いも、実際に漫才なりコントなりを見ている間しか、それ自身の本当の面白さを感じることはできないのだろう。それを言葉にして、どこがどういう風に面白かったなどと評価するのは大変難しいことだろう。だから、審査員の5人が時折、言葉にするのは難しいといったように「う~ん」と唸ってしまう気持ちは分かる。一方で、永井均が、なぜ音楽評論家が必要かについて書いていたことも思い出す。

 

子どものための哲学対話 (講談社文庫)

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音楽評論家は、評論家ごとにそれぞれ好みが違うが、その好みの違いが何を意味しているかを言葉にすることができる。そして、それが、それぞれの人間が何を大切に思っているのかといった考え方の違いを理解する手助けになり、人間の世界の幅を押し広げる。この言葉を受けると、このキングオブコントの5名の審査員にも、素人では気づけない面白さを気づかせてほしいし、それぞれの好みの違いがもっと出てもいいと思う。それこそ、かが屋のネタにおいて、バナナマンの設楽だけが構成の巧みさを高く評価したように。でも、こういう風にお笑いについて書くと、大げさに思えてしまうところもあるよね。冒頭にも書いた通り、別にキングオブコントを楽しみにしていない人もいるし、キングオブコントは楽しみだけれど、別にお笑いに芸術性まで求めていない人もいる。かく言う私も、お笑いをどこまで真剣に見ているのかと言われれば難しいところではある。 

 

私は自意識が過剰であるから最後になんか大げさなことを書いてしまったと置きに行った一文を添えてしまうが、それにしてもキングオブコント決勝進出者が着ることを許された赤Tシャツがカッコ良すぎる。最高。本当に決勝に進出した方たちは、一組も漏れることなくカッコ良かった。来年も楽しみです。その前にM-1があるけど。最後に、最終決戦暫定ボックスにいるバイきんぐを呼ぶときに、浜ちゃんが終始、西村を無視して「小峠!」としか呼ばなかったことが、気になって仕方なかったです。