牛車で往く

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キレる和田まんじゅうと自意識の無間地獄(VELTPUNCH「MOUSE OF THE PAIN」)

キングオブコントは終わったけれど、まだまだ関連番組は放送されていて楽しめる。キングオブコントの出場者がトークするといった番組、Abema TVのThe NIGHTを見た。

 

abema.tv

 

ジャルジャル、わらふぢなるお、ゾフィー、ネルソンズといったファイナリストたち、そしてなぜか準決勝で敗退したザ・マミィを加えた5組が、MCのスピードワゴンとともにキングオブコントの感想などを話していく。ネタ作りの話題になったとき、スピードワゴンの小沢さんはジャルジャルのネタの作り方がすごいと大絶賛。ジャルジャルのネタは、台本を書きながら作るのではなく、遊んでいたらできるという感じらしい。そんなジャルジャルのことを小沢さんはビートルズに例えて「二人はジョンとポールなの?」と興奮していた。そして、たまたまジャルジャルの後藤がそのときに着ていた、ビートルズのアルバム「Abbey Road」のジャケットが描かれたTシャツが可愛かった。後藤って60、70年代の洋楽が好きなんかな?昔なにかの番組で、カーペンターズの「Top of the World」を抑揚なしで歌っていたのが面白かった。ああ、名曲。ネタ作りの話に戻るけど、ネタなんて自分で考えたことがないから、ジャルジャルの作り方がどれだけすごいものなのかは分からない。だけれども、とにかくスピードワゴンの小沢さんがすごいと言っていたからすごいのだろう。小沢さんはファンかというぐらい、終始、ジャルジャルのことを褒め倒していた。小沢さんのお笑い大好きな感じ、見ていてホッコリするし、本当に好きなんだなということが伝わってくる。ネルソンズもジャルジャル同様に台本を書かずに、ひとつの設定を決めて、あとは立ち稽古で作っていくと言っていた。それなのに、ネット上で台本がクソつまんねえというコメントが書かれていることに対して、和田まんじゅうがキレていたのが面白かった。

 

本(台本)でやってねえから。

じゃあ本だけ見とけと思うんすよ。

マジで腹立つんスよ。

なんも分かってねえような奴らが。

 

和田まんじゅう、魂の叫び。ネルソンズのネタは台本(ネタの構成)が特徴なのではなく、和田まんじゅうが追い込まれたときに出てくる感情をのせた一言こそがキモであるのだ。和田まんじゅうが、どれだけコントに本気になっているのかが伝わってくる。こういう風にお笑いに熱くなっている芸人を見ると、なぜ、面白くもありながら、なんだか嬉しくなってくるのだろう。彼らのこだわりが垣間見えたときに、なぜ嬉しくなってくるのだろう。その他にも、福徳が「(M-1よりも)キングオブコントのほうがちょっと軽めですね。」と言ったことや、ゾフィーのサイトウの番組中に偶然生まれたギャグ「やめなよ」(本人が押してる「チェだぜ!」は一回も出てこなかった)、ザ・マミィが来年決勝に行くであろうコンビの予想としてフランスピアノを挙げていたことなど、見所満載で面白かった。なにより、小沢さんのMCが優しくて最高でした。もちろん、ハンバーグ師匠も面白かったです。

 

そして最近、第四次Peeping Lifeブームが自分の中で起こっている。去年の今頃もハマっていたような。

 

www.gissha.com

 

夏が終わり秋が近づくと、Peeping Lifeが見たくなるのだろうか・・・。今回は聖剣エクスカリバーの回をひたすら見ている。

 


聖剣!?エクスカリバー 前編 Peeping Life-World History #12

 


聖剣!?エクスカリバー 後編 Peeping Life-World History #13

 

アーサー王とランスロットのやりとりが面白い。王のはずなのに剣が抜けないアーサー王。「長年突き刺しすぎやろ」と文句を言い出す。特に後編のやりとりが好きです。徐々にタメ口になっていくランスロット。仲良くグダグダ、ウダウダ話しているがいいですね。

 

 

音楽ではVELTPUNCHをよく聴いています。カッコいい。

 


VELTPUNCH - MOUSE OF THE PAIN

 

感動はけっこう 自身の肯定 

 

という歌詞が刺さる。この作品の素晴らしさが分かるのは自分だけだっていう肯定とか、クズみたいなキャラに感動するのは、実はクズみたいな自分を肯定したいからとか、この作品に涙を流せる純粋な自分は美しい感性をもっているという肯定とか。そんなことばっかり気にしてひねくれてるなあなんて言われたとしても、そこをあえてこの曲のように叫んでほしいときもある。っていう風に共感することは、やっぱりみんなとは違うところに気づいているという自身の肯定になる?ああ、がんじがらめ。この曲を聴くと、芥川龍之介の「枯野抄」を思い出す。

 

枯野抄

枯野抄

 

 

www.aozora.gr.jp

 

松尾芭蕉の死の淵を目の前にした弟子たちの心情を描いたこの作品。読んでいると、自意識というものを意識させられて、身動きが取れなくなってくる。物事を客観視している自分のことが、やたらと嘘っぽく、演技臭く思えてくる。例えば、いじめられている子を目にした時に、見て見ぬふりをしてしまった。そんなことを思い出し、あのとき、自分が勇気を出して助けてやれていたなら、なんてことを思ったりする。そう思ったことを誰かに話したり、ブログに書いたり、他人に発信したりするときに、果たして自分は純粋にいじめられていた子のことだけを考えて発信しているだろうか?それを発信している自分が他人にどう思われるだろうかといった視点や、それを発信することでなにか罪悪感から解放されようとしている自分を意識してしまわないだろうか。といったことを考え出すと、もう出口が見えなくなる。自分の行動を客観視する自分に気づいたとき、また、その自分を客観視しているという行為がわざとらしく思えるような、新たな客観視する自分が出てくる。客観視の客観視の客観視の客観視の・・・・。ああ、抜け出せない自意識の無間地獄。こんな作品を書いた芥川龍之介、そりゃ考えすぎて自殺してまうわと思わないこともない。

 

なんか話の緩急がえげつないことになってしまったけれど、とりあえずお笑いは最高と言っておきたい。NHK新人お笑い大賞が楽しみです。

 

natalie.mu