牛車で往く

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過去を振り返るのはいつだって今の自分(ペク・スリン「惨憺たる光」)

なんというか、9月、10月は時間があっという間に過ぎて行っている気がする。今年の夏はそんなに暑くはならなかったが、長くは続いた。9月中なんてずっと暑かったし、なかなか涼しくならなかった。そのため、9月になっても夏が終わった感がなくて、全然9月っぽくなくて、しかも暑いまま10月になってしまったから、9月の印象がめちゃくちゃ薄い。まるで8月がずっと中途半端に続いているみたいだった。そして10月に入っても一週目は普通に暑いままであった。ただ一週目が終わるとそこから急に涼しくなり、涼しくなり始めてから3日後にはジャケットを羽織らなければ朝と夜は肌寒いほどになっていた。家の中でも半袖半ズボンから一気に長袖長ズボンに。いつもなら長袖半ズボンの中途半端なキメラスタイルの時期があるはずなのに。寝るときも掛布団をかぶらなければ寒い。そしていまだに日本へと到来し続ける台風。今年はそんな9月っぽくない9月であったから、台風クラブの「飛・び・た・い」をセプテンバーのうちに聴くのを忘れてしまった。

 

 

この曲、間奏のギターが最高にかっこいい。オクトーバーになった今さら聴く。

 

そして、そんなにはっきりしない9月だったからなのか、ゆ~すほすてるも「九月」という曲を10月になってから発表した。

 

 

今年の9月は気づけば終わっていたし、今年の10月は気づけば始まっていた。そして、ラグビーワールドカップと野球の日本シリーズが気づけば始まっていて、日本シリーズはあっという間に終わってしまった。とはいえ、9月、10月って毎年こんな感じのはっきりした印象がない月だった気もする。ただ振り返ってみると、中学、高校のころは体育大会があったから9月を意識することはあったように思う。そういえば大学生のころも、住んでいた実家の近くに小学校があったから、網戸越しに聞こえてくる運動会の練習の音で、『ああ、もうそんな時期か。』と9月であることを意識していた気がする。学校は季節ごとに行事があるから、近い地域に住んでいると学生たちが季節の移り変わりを知らせる役割を果たしてくれていたことに今さらになって気づく。今住んでいるところは学校の近くではないから、ただただ気温の変化でしか季節の移り変わりを捉えていないのかもしれない。

 

わたしが抱く分かりやすい秋のイメージは紅葉だけれど、実際の紅葉が見ごろの時期はもはや結構寒くて、あんまり涼しいといった感じではない。どちらかというと冬の入り口といった感じだ。改めて紅葉を観に行ったときの写真を見返してみても、しっかりめの上着を着て、マフラーまで巻いている。秋って本当に分かりづらくてはっきりしない季節だ。だから「食欲の秋」とか「読書の秋」、「スポーツの秋」など、バシッとひとつに決まらずに色んな呼称があるのだろうか。

 

とりあえずは読書の秋ということで、最近は韓国の作家であるペク・スリンの書いた「惨憺たる光」を読んでいる。

 

惨憺たる光 (Woman's Best 9 韓国女性文学シリーズ6)

惨憺たる光 (Woman's Best 9 韓国女性文学シリーズ6)

  • 作者: ペク・スリン,カン・バンファ
  • 出版社/メーカー: 書肆侃侃房
  • 発売日: 2019/06/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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韓国で生きる若者の、先の見えない人生を不確かな足取りで歩んでいく様が描かれている。この小説では登場人物たちが、その時々でやたらと過去を振り返る。

 

確信の無いとき、人は往々にして偶然の中にある啓示の痕跡を探そうとするのだ。 p61

 

見通しのきかない現代を生きていると、ときに自分が今、何のために生きているのかが分からなくなってしまうことがある。そんなとき、ひとは過去を振り返ろうとする。それは過去の出来事をヒントにして、今の自分に起こっている感情や事象を理解しようとするために。

 

往々にしてわたしは、自分が過去を振り返るときは、自分にとって都合のいい解釈を加えてしまっているように思える。生きている意味を見出せない退屈な日々が積もり積もって過去になっていく。過去を解釈しようとするときはいつだってそこに現在の自分の意思が介入する。今の自分の人生、日々に空虚さを感じているからこそ、その反動として自分の人生は無駄ではないと思いたくて過去に意味をもたせようとしてしまうのだろう。他人からしてみればたいしてドラマチックでもない出来事であっても、自分の中では波乱万丈な出来事であった、あのころの自分にとっては輝かしい時間であったという風に都合の良い解釈を加えて。ただ、そんな風に過去を振り返っては自分が生きやすいように過去を捉え直すことは、果たして罪なのだろうか?ある意味では過去の改変、改ざんのように思えるこの行為も、自分の人生を肯定してなんとか必死に生きようとするがゆえの行為に思える。そして、わたしはたとえ今現在の生きている意味、理由が分からなくなっても、なんとか過去に意味を見出して生き続けることはできるのだろうか?もし、過去にすら意味を見出すことができなくなったとき、わたしはどうなってしまうのだろうか?この本を読んでいると、そんな不安が頭をよぎってしまった。

 

もちろんこの本では、わたしが上に書いたような今の生活における空虚さをもとに過去を振り返るといった行為ばかりが書かれているわけではない。ただ、どのエピソードを読んでも、過去はいつだって今の時間の中に、今の自分との関係の中にあるということを強く意識させられた。

  

秋にやたらと呼称を付けようとするのも、自分の過去に無理矢理意味を見出そうとするがごとく、不確かな季節をなんとかして捉えようとするためなのかもしれない。肌寒さを感じるこの季節は、なにか宙ぶらりんになったような気持ちになってしまう。そして、気づけば10月も終わろうとしている。あっという間だなあ。