最近テレビをつけたまま眠ることが多くなってきた。別に見たいテレビがあるわけではないのだが、テレビの音を遠くに聴きながら目をつぶるとなんだか寝つきが良くなる気がするのだ。音量をちょうどいいぐらいに下げ(わたしの家のテレビでは7くらいがちょうどいい)、オフタイマーを30分に設定し、まぶたを閉じておやすみなさい。なんなのだろう、あの妙な安心感と優しさは。
それ以外にもテレビを見ながらうっかり寝てしまうのもいい。上に書いたものでは、音量を小さくしオフタイマーをしっかりと設定して「寝るぞ」といったつもりでテレビをつけている。そうではなくて、例えば金曜日の夜、一週間の疲れがたまった状態でお風呂に入り、晩ごはんも食べ終え、やることを全部終わらせてゴールデンタイムのバラエティを寝ころびながら観ていると、だんだんウトウトしてきて気づけば寝てしまっていたといったようなものだ。ちょっとした夢を見て、夢から覚めたときには深夜の2時か3時くらいになっており、つけたままのテレビからは見たことのない芸人が出ているバラエティや知らないアニメが流れている。「ああ、寝てもうてた。よう分からん夢みたなあ」と思いながら、明日は土曜日だし仕事もない、そのことに気づいて少し幸せな気分になる。SMAPの「SHAKE」の歌詞みたいだ。
シャムキャッツ - AFTER HOURS @『TAKE CARE』RELEASE TOUR FINAL
シャムキャッツのこのライブにおける「AFTER HOURS」の入り方は最高。そして、改めて布団を敷きなおしてちゃんと寝るか、それともそれはめんどくさいしこのまま目を閉じてもう一度寝てしまおうかと逡巡する。楽な道を選び、そのまま目を閉じて寝てしまうたびに、ちゃんと布団を敷いて寝ていたほうが疲れはとれていたなあ、と朝になって思う。それでもこれからも何度もその場で2度寝する道を選び続けるのだろう。
the Loupesの「針の音」を聴くと、テレビをつけながら眠るときの、あのフワフワした感覚を思い出すことができる。
子どもの頃の夢は香港俳優でした
つけっぱなしのテレビの前で少し眠る
モロに歌詞に出てくるテレビをつけたまま眠る場面の描写。この曲はそれ以外にも様々な場面を描写している。
灯りの少ない路地で彼はひとりごと
22時の徘徊 タダで読む漫画
「大人になったらいつか山に籠る」ってさ
今になってわかる気がしてきた
夜の散歩に、その途中にある古本屋に寄ってする漫画の立ち読み。さらには大人に近づいてきたときに、山に籠るように静かに暮らしたいという考え方に共感できるようになった瞬間。これらのことを曲にするなんて、うまく言葉にはできないが絶妙なところを選んできたなあと、わたしは感動してしまった。これらすべて、人生においては些細な出来事であると思う。しかし振り返ってみると、夜に歌を口ずさみながら歩くようになる前と後の自分、夜に古本屋で漫画を立ち読みするのが楽しくなる前と後の自分、山に籠りたいという人の気持ちが分かるようになる前と後の自分では、何が変わったとはうまく言葉で説明できないが、確実に何かが変わったような気がするのだ。ドラマはないけれど、決定的な瞬間。この曲を聴くと、そんな瞬間の積み重ねが今の自分を形成しているように思えてくる。
こんなことを書いていると、子どものころ、布団に入りながら電気を消してテレビを見るだけで楽しかったことをふと思い出した。基本的にそんなことをするのは許されていなかったが、たまに親の機嫌がいいときに「今日はテレビを見ながら寝てもいいで」と言われることがあった。そうなるともうワクワクが止まらなくて、布団を口のあたりまでかぶりながら見れるだけで、どんな番組でも面白く思えた。それでもやっぱり子どもだから、ものの30分ぐらいで眠たくなってしまい、それほどテレビを見ることもなく寝てしまっていた。とはいえ、大人になった今でも電気を消して布団に入って横になりながら見るテレビは、普通に座って見るよりも少し嬉しさというか楽しさが感じられる気がする。そうするとなんだか無性にそんな風にして夜を過ごしたくなってきた。今日はまだ木曜日。明日のことは考えずに寝落ちしてグッスリ、なんてことはまだできない。それでも明日は金曜日。明日の夜は、何か映画のDVDをレンタルして、それを見てダラダラしながら寝落ちするのもいいかもしれない。