牛車で往く

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東京にフラっと行けるほどのフットワークの軽さがほしい(スズキナオ「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」)

最近読んだスズキナオ氏の「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」が面白かった。

 

深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと

深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと

 

 

深夜高速バスに乗って様々なところを訪れ、そこで出会ったひとやお店のことなどが書かれたエッセイ。わたしは最後の章である第6章の「私が知らなかったこの町は、こうしていつもここにあった。私がいなかっただけだったのだーーー散策」が気に入った。有名人でもないパンピーの友人の史跡を巡ってみたり、気まぐれに降りたことのない駅に降りてみたり、あえて終電を逃したつもりで自宅の最寄り駅まで歩いてみたりといった、ともすれば「ただの暇つぶしやん」と思われるようなことをしており、それがなんとも楽しそうなのだ。なによりスズキナオ氏が何かしようと呼びかけるとすぐに集まってくれる友人たちがいい。そのフットワークの軽さ。ていうか、この本を読んでいるとフットワークの軽さって人生を楽しむためには大事だなあと感じる。わたしは何かしようと思いついたときに、それを行動に移すのを少しためらってしまい、最終的に段々とやる気がしぼんでいって『まあ、ええか。』となってしまうことがよくある。いわゆるめんどくさくなるってやつです。土日にフラっと東京に行けるような人間になりたいなあと思うこともあるのだが、結局そんな人間にはなれていない。好きな芸人やアーティストなどのイベント情報を見ていると、東京で開催されるものが多い。ここで『じゃあ東京行くか。』とすぐに行くことができれば色んな楽しいことに出会うことができると思うのだが、『でもなあ。東京かあ。』と考えてしまい結局行かないことが多い。いや、多いんじゃなくて絶対に行かない。ゆnovationの「ある程度ある」の歌詞にある

 

心躍ることあるけど、家から出るほどじゃない

 

に『そうやねんなあ~。わかるわあ~。』となってしまっている自分がいる。悔しいです。

 

 

いきなり東京に行くほどのフットワークの軽さを身につけるのは難しいので、とりあえず暇な友人に声をかけて、終電を逃したつもりで自宅の最寄り駅まで歩くというのはやってみたい。深夜のテンションでめちゃくちゃ楽しいと思う。わたしは友人と過ごす中身のない時間が好きだ。ファミレスで晩ご飯を食べながらダラダラし、終電の時間になったら店を出発して開始したい。そんな金曜日を過ごしてみたい。そして、これを足掛かりにして、東京に行けるほどのフットワークの軽さを身につけたい。未来の自分に期待したい。

 

そして、この本には各ページの下段に訪れた場所や食べたものの写真が載せられている。これを見て不意に、大学生のころ、徳島か愛媛かの旅行に行ったときに食べたスズキの味噌焼きが美味しかったことを思い出した。ただ美味しかったという事実だけが強烈に頭の中に残っており、それがどんな見た目の料理だったかは全く思い出せない。大学生のころのわたしは、旅先で出される料理の写真を収める友人の行動が全く理解できなかった。『コイツ食べ物の写真なんかとって、その写真見直すことあんのかい。おれは写真なんぞに収めずにこの目に焼き付けて脳裏に刻むわ。』と、なぜか息巻いていた。でも今なら思う。写真、取っておけば良かった。今になって『あれ美味しかったなあ。また食べたいなあ。』と写真を見直したくなっている。記憶なんて人間生きていれば次第に薄くなっていく。一生脳裏に刻み続けることなんて不可能だ。ていうか、だからこそ写真が発明されたわけですし。ああ、なんて愚かだったんだ、昔のわたしは。変に意固地にならずに写真を撮っておけばよかった。素直に生きることは大事。それが一番大事。

 

この本では、実際に深夜バスに乗っている場面の描写は最初のエピソードひとつだけであるが、タイトルからスズキナオ氏は100回以上は深夜バスに乗っているであろうことが窺える。普通にすごい。自分は深夜バスに3回ぐらいしか乗ったことがないが、全然寝られなくて大変しんどかった。わたしは電車では座りながらグッスリ眠ることができるのだが、バスなどの車ではなかなか眠ることができない。眠りやすさには揺れが関係していると聞いたことがあるが、車の揺れ方がわたしには合っていないのだろうか。今はもう働いているから、大学生のころよりお金を持っており、深夜バスに乗る機会は減ってしまった。わざわざ深夜バスに乗るくらいなら、新幹線に乗ってしまおうとするような人間になってしまった。いや、別に悪いことではないんだけれども。ただ、大学生のころの守銭奴のような生活から考えると、よくもまあ偉くなったもんよと思う。それにしても人間は、科学の発展のおかげで、行動することで消費される様々な時間を短縮できるようになったはずなのに、いまだに時間に追われているような感覚を抱きながら生きているのはなぜなんだろう。より移動時間の短い新幹線に乗れるようになった今よりも、深夜バスに乗っていた大学生のころのほうが時間に余裕があった。お金と時間はトレードオフ。金持ちの大学生になれたら最強なんじゃないか?

 

そして話はめちゃくちゃ変わるけど、スピッツの楽曲がサブスクリプションで解禁されましたね。

 

 

 

バスの揺れ方で人生の意味が解かった日曜日  

 

スピッツは好きだけれど、スピッツの歌詞は分かるようで分からない。ただとりあえず、この曲はひとりで乗る深夜の高速バスについて歌っているのではないことは分かる。この曲は恋について歌っているはず。ただ、

 

 愛はコンビニでも買えるけれどもう少し探そうよ

 

といった部分や

 

 余計な事はしすぎるほどいいよ

 

といった部分は、妙にこの本の内容としっくり合うところがある。自分たちで面白そうなことを考えてやってみたり、なにかよく分からないこともやってみたら意外と楽しかったり、そんなことがこの本にはたくさん書かれている。Let's get it on.