牛車で往く

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音楽と煙草とその先にある自由(映画「NO SMOKING」)

この前の土曜日はいつもより早起きをして映画を観に行った。細野晴臣のドキュメンタリー映画「NO SMOKING」。

 

hosono-50thmovie.jp

 

上映されている劇場が小さなところであったため、早めに行かないとチケットが売り切れると思い、上映開始1時間前に買いに行った。渡された整理番号の数字は6番。全然余裕ですやん。まあ公開されてちょっと経つし、いまはそんなにみんな観に来ないのか。完全に時間を持て余したため、劇場近くの本屋へ行く。最近、歌人の伊舎堂仁のnoteを読んで、短歌を味わうときに雰囲気だけで感動するのではなくて、もっとちゃんと考えて意味を咀嚼できるようにならなければと思っていた。

 

note.mu

 

そんなところに下のツイートに出会った。

 

 

わたし自身、穂村弘のことは好きだし歌集もいくつか持っている。けれどもなんとなく分かってしまう「もっともらしいペテン」という言葉。このツイートが果たして具体的に穂村弘のどういう部分を指摘して呟かれたかは分からないが(この前のツイートがニューウェーブ以降の短歌の方法論に関する体系について呟かれていることから、穂村弘の短歌の作り方に関することかな?)、ここでオススメされている枡野浩一の「かんたん短歌の作り方」が気になり、立ち読みをしてみようと思った。短歌って5・7・5・7・7の型にはめてしまえば、それっぽくなってしまうことが大いにあると思う。実際、穂村弘などの著名な歌人が短歌を作る際に、31音全体のどこまで意識を巡らせているのかは想像できないが(穂村さんの著書、「短歌の友人」や「短歌という爆弾」を読めば、わたし程度のド素人では到底及ばないほど短歌について深く考えていることが窺えるが。そりゃ当然やろうけど。)、素人が短歌を作る際には雰囲気で言葉を当てはめてもそれっぽくなってしまうことってあるんだろうよ。そして、そのそれっぽさに深く考えずに感動してしまう。それが短歌のいいところでもあれば、欠点にもなりうるところではないだろうか。そこで、短歌の作り方を知れば、鑑賞する際の視点を学ぶことができるのではないかと。この本の内容を読んでみると、素人が投稿してきた短歌を枡野浩一が評価、解説、アドバイスをしていくといったもの。ずいぶん読みやすく、しばらく立ち読みをしていると映画の上映時間が気づけば近づいていた。そのまま勢いで本をレジに持っていき購入。家でゆっくり読もう。

 

かんたん短歌の作り方 (ちくま文庫)

かんたん短歌の作り方 (ちくま文庫)

 

 

上映開始10分前に劇場に入ったが、観にきたお客さんは全員で20人もいないくらい。意外と空いてました。「NO SMOKING」は、細野さんのインタビュー映像やライブ映像、昔の写真などがふんだんに出てくる。ドキュメンタリーだから、情熱大陸とかプロフェッショナルみたいなものにライブ映像が付いてきてる感じです。途中で細野さんがモヤモヤさまぁ〜ずに出たときの映像が流れて少し笑った。細野さんはモヤさまのファン。さまぁ〜ずっていうコンビ名、ちょっとセンスが古く感じてたけど、その力の抜け具合が今なら2周ぐらい回って逆にカッコよく感じる。そして、ライブ映像が良かった。マック・デマルコと歌った「ハニームーン」に、坂本龍一、高橋幸宏、小山田圭吾とともに演奏した「Absolute Ego Dance」。マック・デマルコが、自分が編曲した細野さんの曲を細野さん本人に聴かせる場面や、細野さんに火を付けてもらいながら煙草を一緒に吸うシーンが、なぜか愛おしく映った。そして、高橋幸宏の曲のは入りのドラムに、小山田圭吾のギターを少し低い位置に抱えてシューゲイザーっぽく引く佇まいがめちゃくちゃカッコよかった。「Absolute Ego Dance」の映像が流れ終わったあと、隣に座っていたおっちゃんは音がしないように気をつけながらも拍手をしていた。

 


細野晴臣 - Absolute Ego Dance [Live]

 

それにしても細野さんは若いね。見た目はしっかり歳を取っているけれど、音楽への興味が尽きていないし、おどけたりふざけたりして場を和ませることもあるし、精神が若々しい。服装も開襟シャツにスニーカーとオシャレで似合っている。つーか、かっこいい。魅力がすごい。そしてやたらと煙草を吸う映像が流れる。細野さん曰く、音楽を作るときには煙草の煙が欠かせないとのこと。そこでceroの荒内佑が書いたこのエッセイを思い出した。

 

www.webchikuma.jp

 

このエッセイめちゃくちゃ好きだ。わたし自身は煙草を吸わないが、このエッセイを読むと(ていうかジョルジュ・バタイユの引用文を読むと)、煙草を吸う時間にだけ感じられる無意識の自由があるのだろうことがうかがえ、すこし憧れてしまう。そして、そんな時間にふと、いいメロディやアイデアが浮かんできたりするのだろう。思えば、わたし自身も面白いことが頭に浮かんでくるのは、何かをひねり出そうと考えている時間ではなくて、お風呂に入っているときであったり、会社帰りに自転車に乗りながら鼻歌を歌っているときであったりする。考えようとする時間ではなくて、何も考えずに何かを無意識にしている時間。煙草を吸う時間はそんな時間であり、それが音楽の創作活動において大事な時間になっているのだろう。この映画のタイトルである「NO SMOKING」の意味は、映画のHPで細野さん自身により解説されている。音楽の道に進みそれを続けることも、禁煙が推進される中で煙草を吸い続けることも、世の中においては少数派となる。それでも、それらを愛し続けることで得られる自由がその先にあるのだろうことが、この映画からは伝わってくる。

 

この映画を観終わり映画館を出た後、影響を受けやすいわたしは、すぐにイヤホンを耳に通し、細野さんやYMO、フリッパーズ・ギターのアルバムをウォークマンから流した。いい曲や・・・。細野さんみたいな素敵なかっこいい大人になりたいと、心から憧れてしまった。