先日、大阪エヴェッサvs千葉ジェッツのバスケの試合を観に行った。千葉ジェッツには彼がいる。そう元NBA契約選手、富樫勇樹が。富樫勇樹を見てみたい、友人と話しているときにそんな話題になり、じゃあ大阪エヴェッサとの試合があるときに見に行こうとなったのだ。
試合は15:00から。『富樫のプレーが見れるのか・・・。』とワクワクしながら、会場のおおきにアリーナ舞洲へと向かう。行きの電車の中で村上龍の「空港にて」を読む。
一人称視点であるはずなのに、まるで三人称視点のように感じられる感情を排除した冷めた文体。日常生活において、我々の身にまとわりつく何とも言えない息苦しさ。人生に生きづらさを感じる、そんなときにわたしは、自分の頭の中だけで色んなことをグルグルグルグル考えてしまっている。『あのとき、あの人との会話でこういう風に答えていれば、いまとは違う関係になっていたのか?』『この人は果たして、わたしと同じように人生に悩んだり迷ったり嫌になったりすることがあるのだろうか?』などと考えてしまう。この本は、人生で息苦しさを覚えるワンシーンの風景や、その瞬間の主人公の心理を徹底的に書きこんでいるため、主人公が頭の中でグルグル考えてしまっていることを恐ろしいほどリアルに追体験できる。そして、そんな閉塞感の漂う日常生活から抜け出すためには、他人の価値観に左右されない、自分だけの希望を何とかして見つけなければならないと書かれている。この本を読んでいる間、やたらとアナログフィッシュの「Living in the City」が頭の中に流れた。
本が読み終わり、耳にイヤホンを付けて、ゆnovationの「wannasing」を聴く。
画面越し眺める君らの暮らしは窓辺に飾る花のように、そっと心ゆたかに
わたしに生きづらさを与えるのは周りの人間であるのと同時に、わたしに生きる希望を与えてくれるのもまた、周囲の友人たちであるのだ。友人たちの明るくひたむきに生きている日常を垣間見ることで励まされる瞬間は確かにある。村上龍とゆnovationの2人は、表現の仕方こそ真逆ではあるが、希望を抱いて行動し続けることが重要であるという共通のメッセージをわたしに伝えてくれる。それにしても「wannasing」の歌詞の乗せ方、たまりません。このアルバム「朗らかに」はめちゃくちゃ良いアルバムだ。
おおきにアリーナ舞洲にて友人と合流し、会場へと入る。バスケの試合観戦は今回で2回目。富樫勇樹がいるからなのか、千葉ジェッツが人気球団だからなのか分からないが、以前観に来たときよりも客席がパンパンに埋まっている。
コート上にいる富樫を見つける。
ヤクルトの青木や山田哲人を球場で見たときと同じように『うわ~、ほんまにおるんや。』という感情になる。自分の人生と彼らの人生がリンクしているとは全く思えない不思議さ。まあ向こうはこっちのことなんか認識していなくて、一方的なリンクの仕方ではあるが。わたしにとって富樫、青木、山田哲人は向う三軒両隣にちらちらするただの人ではないのだ。当たり前だけれど。そうこうしているうちに試合が始まった。ぶっちゃけこの日の試合で「富樫すげえー!」とはならなかった。大阪エヴェッサが強かったのか、富樫の調子が悪かったのか、富樫のみならず千葉ジェッツ全体の調子が悪かったのか、このうちのどれなのかは分からないが、大阪エヴェッサが終始試合を有利に進めていた。終わってみれば84-69で大阪エヴェッサの勝利。この日が終わった時点で、大阪エヴェッサのWestern Conferenceにおける順位は1位(2019/12/22時点でも1位)。強いやんエヴァッサ。
そして明日12/23からは高校バスケの全国大会、ウィンターカップが開幕する。
wintercup2019.japanbasketball.jp
こっちも面白いから楽しみ。
ウィンターカップを見ていると、自分にも部活をしていたときがあったんだなあと思う。そんなに上手くはなかったけれど、少しずつできることは増えていっていた気がする。たまに日々を過ごしていて、『おれはこのまま勉強もせずになんとなく生きていたら、これ以上賢くならずに死んでしまうのだろうか・・・。』と考えるときがある。久しく感じていない自分が成長したという感覚。社会に出て仕事ができるようになったというのは、成長ではなくて適応のように思える。何か自分の成長を実感できることを始めたいが、そもそも自分のしたいことが分からない。モヤモヤしながら生きていく。自分が成長しているという小さな希望を見つけられる日が、果たしてこの先、わたしに来るのだろうか。