牛車で往く

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コロナ禍と持て余したワンダーラスト

相変わらず続くコロナ禍。初めてコロナ禍という言葉を見たとき、読み方が「コロナか」と分からなかった。読み方を調べると「コロナ禍の読み方とは?」みたいな、答えをスッと書かないページばかりが検索上位に来ていてイラッとした。「みなさんはコロナ禍をなんと読むか分かりますか?」って、いや分からんから調べてんねん。この最初の問いかけいらんから。スッと言うて。まあそんなことは置いておいて、日に日にコロナウイルスの感染者は増えていくし、緊急事態宣言はついに日本全国が対象となり、会社でもテレワークの動きが本格的になってきた。でも、そんな世間のコロナパニックとは裏腹に、春が訪れて空気はずいぶん穏やかだ。多分、そんなふうに感じているのはわたしだけではなくて、その証拠に朝の通勤時の河川敷には日に日に人が増えてきている気がする。上はウィンドブレイカー、下は半ズボンの姿でランニングをしている大学生や、一緒にサイクリングをしているお父さんとお姉ちゃんと弟、ベンチに座ってただただ川を眺めているおじいちゃんなどなど。確かにコートを着なくても十分暖かく過ごしやすい日がだんだんと増えてきた。さらには、河川敷には生命力が満ち溢れている。綺麗な黄色をした菜の花が群生しており、つい最近まで薄紅色の花を咲かせていた桜の木は、わずかに残った花の下から重なるようにして緑の葉が生え始め、葉桜に変わろうとしている。

 

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河川敷を満たす春の陽気に誘われて、みんな外に出てきたくなってしまっている。それに世の中では三密を避けろ、三密は感染のリスクが高い、なんてことが声高に叫ばれているもんだから、いっそのこと外なら換気もクソもないし、それほど混雑しているところじゃなければ三密なんていう状況にはならないしと思う部分もあるのだろう。実際、コロナウイルスの空気感染は2020年4月18日の現時点では確認されておらず、飛沫感染と接触感染が主な感染の原因とされている。マスクを付けて知らない人が触れたものに触ろうとしなければ、外に出ても感染のリスクはかなり下げられるのかもしれない。そんな春の穏やかな河川敷の風景を見ていると、世間でのコロナウイルスによる騒動がどうも現実感をもって迫ってこない部分がある。

 

こうも外出を自粛するように言われると、家にいなければいけないと思いつつも、逆に外に出たくなる気持ちは分かる。お風呂に入ろうとしたときに、母親に「アンタ、はよお風呂入ってまいや」と言われたときと似たような気持ち。分かってんねん。こっちのタイミングで入るから。言われたら逆に入る気なくなるから。これぞ、心理的リアクタンス理論なり。とはいえ、これは自分でしようとしたことを他人からしろと言われた場合に起きる現象。いま自粛しようとしているのは、先に自粛するように言われたからであり、順序がお風呂の場合とは逆だから厳密には違うのか。いま外に出たいのはさっきも書いたけど、単に春の陽気のせい。

 

英語に「wanderlust」という単語がある。読み方はワンダーラスト。わたしはコロナ禍の検索上位ページとは違って、読み方はスッと言います。意味は「旅行癖、放浪癖」。wanderは、動詞として「さまよう、放浪する」、名詞として「ぶらつくこと、散歩」を意味する。lustは、動詞として「渇望する」、名詞として「強い欲望」という意味。2つを合わせてwanderlust。こんな世の状況下だからこそ分かったことだが、どうやらわたしにもワンダーラストなるものが備わっていたらしい。いや、もしかしたらワンダーラストは、人間だれしもがもっているものなのかもしれない。放浪したいという気持ち。行く当てのないワンダーラストはどこにぶつければいい。旅に出る行為は非日常なことだと思っていたけれど、こんな状況になってしまえば、旅に出られる環境が整っていることそれ自体は日常だったんだなと思う。



【歌詞つき】ワンダーラスト(live ver)/ FoZZtone【official】

 

 

FoZZtoneの「ワンダーラスト」にある

 

暖かくなり始めた 飽和してゆく闇に

浮かんでる 街路樹の緑

 

という歌詞のように、夜が満ちていくのとともにそこに紛れ込んでくる春の空気の気配が、日に日に大きくなっているような気がする。たとえ外に出なくとも、窓を開ければぬるい空気が部屋の中に入り込み、大きく息を吸うと春の匂いに肺が満たされたような気分になる。

 

57577.hatenadiary.com

 

我妻俊樹は、旅情は旅に出たときだけではなく、日常においてふと匂い立つこともあると言っている。そして旅情が感じられるのは、距離感の失調がきっかけとなるのではないかと言う。今や旅に出られないのはおろか、コロナ以前のような日常生活すら送れなくなってしまった。しかし、窓から入ってくる春の空気は、大学生の春に行った旅行先での友人たちとの夜の散歩をわたしに思い出させ、それと同時に旅情を喚起させる。そして、旅情を感じるためには、別に旅の思い出ばかりが思い出される必要はない。在宅勤務中に見る平日お昼のテレビ番組からは、中学時代のテスト期間にいつもよりも早く家に帰ってきたことが思い出され、その瞬間に生まれる今現在の自分とその当時の自分との距離感から、旅情が感じられるかもしれない。たとえ旅に出られなくとも、我妻俊樹の言うような"瞬間の旅情"はこんな日々でもふと顔を出してくれる。

 

FoZZtoneのこの曲は当時、公式海賊版なるCDとして500円で販売され、わたしはそれをタワーレコードで購入した。CDにはセルフライナーノーツが付いていたのだが、それがどんな内容だったのか今は忘れてしまった。読み返したいなと思いながらも、CDは実家にあるからすぐには読み返せない。なんならこんな状況だからゴールデンウィークに実家に帰ることもできないだろう。まあしょうがない。そんなふうにして、コロナ禍と持て余したワンダーラストをどうにかやり過ごすしかない。