全国に緊急事態宣言が発令されてから、一週間のうちの何日かは在宅勤務をするようになった。在宅勤務のいいところは、なんと言ってもギリのギリまで寝ていられるところと、お腹が痛くなってもすぐにトイレに駆け込めるところだ。一度、在宅勤務中に腹痛に襲われ、すぐにトイレに行った際に抱いた謎の勝った感はすごかった。お腹が痛いのに『こんなん無敵やん』と思いながら気張りました。会社でもこうありたいので、本気でどこでもドアがほしくなりました。その他にも在宅勤務のいいところとして、ラジオや音楽を流しながら仕事ができるといったものがある。頭を使って考える必要のある作業中にはなにも流さないが、単に手を動かすだけの作業のときにはなにか聴きたくなる。確か、高校のころに使っていた英単語帳の速読英単語に、BGMは作業効率を向上させるみたいなことが書かれていた気もするし、ガンガン流していこうといった所存。
速読英単語には他にも、空気が綺麗な家庭環境で育つよりは、兄弟姉妹がいたり犬や猫を飼ったりしている空気の汚い家庭環境で育った方が、相対的に免疫力が強くなるみたいなことも書かれていた気がする。振り返ってみると、結構ためになる雑学的エピソードが多かった気がするが、あのころはそれに対する面白さなんて全く感じていなくて、英単語を覚えるのはただただ苦痛でしかなかった。まあそんなことは置いておいて、在宅勤務中によく聴いているアルバムはこの2つ。
わたしの音楽再生ソフトではアルバム名のアルファベット順的に、The Bandの「Music from Big Pink」の次にVulfpeckの「My First Car」が来るようになっている。特に選曲などせず適当に音楽をかけていたときに流れてきたこの2枚のアルバムのつながりが妙にしっくり来て、それ以来やたらとこの2枚を連続で聴くようになってしまった。さらには、Vulfpeckのアルバム「My First Car」の一曲目「Wait for the Moment」の中にあるベースソロ前の「Bassmen!」という掛け声を聴き、andymoriの「ベースマン」が聴きたくなったりした。
3rd LIVE DVD「FUN!FUN!FUN!」より『ベースマン』
いま思えば全く作業に集中できていない。音楽以外のラジオ、というかインターネットラジオではこれをよく聴いている。
「チャポンと行こう!」通称"チャポ行こ!"は、北欧、暮らしの道具店というお店の店長さんである佐藤さんとスタッフの青木さんによるインターネットラジオなのだが、このお二方の声がなんだか心地いいのだ。佐藤さんと青木さんは女性だから、話すエピソードの中には男性のわたしにはあまり馴染みのないものがたまにあるのだが、それでもなんだか聴いてしまうのだ。笑い声とかもなんだかちょうどいいのだ。聴いていると落ち着くのだ。なんかガッシュみたいになってしまった。
まあ、そんな風にして在宅勤務をこなしている。そんな中、レインボーのこの動画を見てめちゃくちゃ笑ってしまった。
【リモートコント】リモート会議終わったと思ってはしゃいだ結果、クビになった男
もうこのね、なんでそんなにリモート会議終わってちゃんとカメラを切れへんねんって思うくらい、何度もカメラをつけっぱなしではしゃぐのが面白い。『これ・・・切れてるよな・・・?』みたいな顔が画面に映るのが最高。13:55くらいからの流れも最高。池田演じる部下の「切れて・・・ますねっ・・・」からのジャンボ扮する上司の「ヤバい、最終確認が終わった」、そっからの完全にカメラが切れたと勘違いした池田の舌を出した悪い顔がジャンボの画面に映し出されるといった流れ、何回見ても笑える。もうこの悪い顔大好き。このはしゃぐ気持ちも分かる。なんなんやろな、あの、部活の顧問とか職場の上司がどっかいった後すぐに変な顔をしたくなる感情。もうこのネタ最高。自分は在宅勤務中にリモート会議をすることはないから、このネタみたいになる危険性もないし安心して笑える。てか、ホンマになんでそんなにカメラ切れへんねん。
話は変わって、最近、前田司郎の「愛でもない青春でもない旅立たない」を読み返した。
なんか変な話だった気がすると思いながら読み返したところ、やっぱり変な話であった。そして、主人公とその友人の山本が大学の部室棟の階段に座る場面を読んで、自分の高校時代の部活のことを思い出した。いや、正確には思い出そうとしたが思い出せなかった。
二人並んで座るとこの狭い階段は人が通れなくなる。それに気付いた山本は、僕の前の段にお尻をずらした。手すりから足を出して、僕らはグラウンドを見下ろす格好になる。グラウンドの向こうを小田急線が通る。
手すりの縦棒はちょうど僕の顔の幅くらいで、顔を突っ込んでみたい欲望に駆られるが、取れなくなっちゃったら大変なので、僕は両手を柵にそえその間に顔を置いた。山本は柵の一本に寄りかかっている。
自分が高校生のころ、部室棟はグラウンドの練習場所から遠かったため、より練習場所に近い校舎の端に備えられている非常階段の踊り場で部活の着替えをしていた。その非常階段のスペースはそれほど広くなかったため、最上級生にならなければ1階のスペースを使って着替えることはできず、1年生の間と3年生が抜けるまでの2年生の間は、わざわざ階段を上って2階以上のスペースで着替えなければならなかった。下級生でも最上級生に気に入られているごく少数の者だけは、1階のスペースで着替えることが許されていた。わたしは1階での着替えが許されるような後輩ではなかった。部活の着替えはこんな感じだったはずなのだが、2階以上のスペースで着替えていたころの記憶が全く思い出せない。最上級生になり、1階で着替えていたころのことはいくつか思い出せるのだが、2階以上のスペースで着替えていたころのことは全く記憶に残っていない。そして、この非常階段には小説の描写のように柵と手すりが付いていたはずなのだが、もちろんそれもどんなものだったのかは思い出せない。手すりの塗装は白色だった気がするが自信はない。塗装は所々剥げていて下から錆びた部分が見えていたかどうかも分からない。足が出せるくらい柵の間隔は開いていただろうか。顧問の先生の名前が、寺島ではなく寺嶋であったことは覚えている。そう思うと、自分の記憶を頼りにして風景を詳細に描写するのはめちゃくちゃ難しいことだと感じる。そんなことを考えていると、漫画「ものするひと」で小説を初めて書いてみた大学生のマルヒラくんが
突飛なことじゃなくてさ
普段 わざわざ人に言わないけど
なんか考えちゃうこととか 微妙な感覚とか妄想とか
そういうのを 丁寧に詳細に 書けるのって
やっぱりすごく・・・・・・すごいんだよ
と言っていたセリフをふと思い出した。
自分の見たもの、考えたもの、感じたものを文字として出力する際に、自分はそれらの純度をどれだけ落とさずに出力できているんだろうか。おそらくかなり低い気がする。目の前の風景を描写することすらひどく難しいことであるのに、ましてや記憶を頼りに書くなんて。それでも、自分の書いた日記を読み返したときに、『ああ、そうやった、そうやった』と思えることはある。ただ、それを読んだ自分以外の人が、自分と同じ感情や空気感を得られるのかは分からないが。自分自身が一度身をもって体験し分かっていることを、体験していない人たちに伝えるのって、別にこれは小説や日記のような書くものだけではなく、仕事や勉強、スポーツなどでも難しいことだよなと思う。そう考えると、日常的に行われる他人とのコミュニケーションという行為も結構難しいことのように思えてきて、教え方の上手な先生や上司のことはやっぱり尊敬すべき存在だなと感じる。とか思いながらも、日記かどは自分さえ分かりゃあいいみたいな部分も少なからずあって、他人への情報の伝達が目的の100%ではないところもある。とはいえ読んでもらえたら嬉しいんですけども。それに、なんでもかんでも伝わりやすいことが正義みたいな世界観が気に入らない日もあるし。さらには、見たもの、感じたものを丁寧に描くことと、伝わりやすいことがイコールとも思えない。自分の伝えたいことを正確に表現するためには、難解な言葉を使わなければならないことだってあるだろうよ。なんてことを考えていたら、ナンバーガールの向井秀徳が恥とは分かっときながらも自己を顕示して、自分が作った作品を他人と共有して脳内ビリビリしたいみたいなことを言っていて、それを読んでグッときたことを思い出した。あの文章、めちゃくちゃカッコよくて感動したな。向井秀徳が人の心を惹きつける片鱗を見た気がする。とは言いながらも、ナンバーガールは全然聴かんけどね。なんだか話があっちこっちに行ってしまったので、急に終わります。