牛車で往く

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まだ夏練習だからエアコンの冷房をつけ始めるには早い気がする

気温が30℃を超える日がちらほら増えてきて、今がまさに初夏なんでしょうよって感じ。初夏凜々。

 

 

こちとら漢字が夏じゃなくて花やから春の歌かもしれまへんが。自分が中学生くらいのころに、FM802で飽きるほど流れていたSINGER SONGERの「初花凜々」。あのころはボーカルがCoccoだったことも、くるりのメンバーがいたことも自分にとっては大した引きにはならなかった。ただ、よくかかっていたから聴いていた、それだけである。でも今改めて聴くといいね。今改めて部活なんてしたら死んじゃうだろうね。あのころの自分は元気モリモリだった。いや、確か夏休みのある日の練習中、突然視界がテレビの砂嵐のように荒れて、鼓動がえげつない速さになり、熱中症を発症したっけ。それともあれは日射病?熱中症と日射病は何が違う?まあそんなことはとりあえず置いといて、なにせ木陰から練習を続ける友人たちの姿を眺めているときのやるせなさったら、未だに脳裏にこびりついているほど。なんでおれだけが倒れてしまったんだろうだなんて考えてしまったけれども、そりゃあ倒れるぐらい暑かったわな、今思えば。アクエリアスよりもゲータレードばかりを好んで飲んでいた中学時代。今やそのどちらもめったに飲まなくなっちまった。食器用洗剤の蓋と同じで上に引っ張ったら飲み口が開くシステムのプラスチックボトルにゲータレードを入れて凍らせて、水滴でビシャビシャにならないようにボトルの周りをグルグルタオルで巻いて、それを輪ゴムで止めて部活に持っていく。最初の方の味が濃いのが、凝固点降下によるものだなんて知らないまま。ゲータレードばかりを飲んでいると舌がブヨブヨしてきて、お茶が飲みたくなってくるのであった。


中学時代の夏の部活の思い出として、印象に残っているものがある。ある日、わたしたちは顧問が不機嫌なために突如として開催された「もうお前ら、やる気ないんやったら帰れ!」という、絶対に帰ってはいけないゲームに付き合わされることになった。練習が中断され、すぐに謝りにいくのはなんかアレやなってことで、20分くらい経過したのを見計らって、「もう一度やらせてください!」というキーワードを唱えることで、このゲームの終了を試みた。そうすると、「お前らなあ・・・」というクエスト成功の確定演出が出てきて、この後の数分間の説教を右から左に聞き流すだけで終わるというところまで来た。顧問はわたしたちをその場に体育座りさせ、自らはキャンプとかで使う折り畳み式のカップホルダーのある椅子にドカッと座り、説教を始めた。しばらくの間続く説教。夏の日差しで意識が遠くに飛びそうだ。いつ終わるんだろうと思いながら聞いていると、隣に座っていた友達のMに突然耳打ちをされた。「先生、金玉見えてる」えっ?と思い視線を前に移すと、確かに顧問の半ズボンの隙間の、さらにその下に履いているパンツの隙間から、金玉の片玉が姿を見せているではないか。もうそこからは地獄であった。笑ってしまうと怒られるから余計に笑ってしまいそうになる。だから早く終わってほしいのにいつまでも終わらない説教。そして説教中、なぜか定期的に隙間から見えている金玉の姿をわざわざ確認してしまう。あのころは面白かったが、今となっては記憶に残っている妙に生々しいあの見た目が、まるでクソ暑くてうだるようにしんどい夏を具現化した姿だったかのように思えてくる。今でもたまにあの光景を思い出しては、夏の暑さによる気怠さが助長されたような気分になる。振り返ってみると中学時代の部活の顧問は大した指導力もないくせに、機嫌が悪ければめちゃくちゃ当たり散らすし、金玉を見せてくるようなパワハラセクハラクソ野郎であった。もしタイムスリップできるならば「おまえがクソやから部活やめたるわ!」と言うために、わざわざもう一度部活に入ってやりたい。

 
話が変な方向に逸れたけれど、クーラーの解禁日をいつぐらいに設定すべきかについて今は悩んでいる。いくら初夏が凜々としていようと、いってもまだ初夏。梅雨さえまだ乗り越えていないのにもうクーラーをつけてしまうって、それは早すぎるんじゃないでしょうか。今の時点でクーラーを我慢できないってことは、もっと暑くなる夏本番はもっと我慢できなくなるってことで、それはちょっと夏の暑さに対して余裕がなさすぎるというか、懐が狭いというか、うーん、ちょうどいい表現が見つからない。まあ言ってしまえば、もはやクーラーを使うってことは、ドラゴンボールでいうところのネイルと同化したピッコロと戦う段階でツルッツルの最終形態まで変身してしまい、悟空を相手にするときにはもう変身が残っておらず、かなり苦戦することになってしまうみたいなもんってことですよ、フリーザ様。とか言ってみたもんだけれど、初夏であろうが盛夏であろうが、室内温度はクーラーで設定した温度で一定に保たれるわけで、外の暑さが厳しくなったからと言って室内まで同じように暑くなるわけではない。さらにはフリーザ様と違って、クーラーは設定温度を1℃刻みでどんどん下げることができるわけで、別に今クーラーを使ってしまっても打つ手がなくなってしまうわけではない。でもなんだか、6月にクーラーをつけるのは早過ぎる気がするのだ。遊牧民のようにまだ身体の触れていない布団の冷えた部分を求めては寝返りを繰り返す蒸し暑い夜も増えてきたが、布団の下に腕を入れるほどではない。まだ夏練習。夏練習のうちはクーラーは我慢我慢。ゲキ重のターバンを脱がずに戦う日々はもうちっとだけ続くんじゃ。

 
ってことで、今は去年流行ったちっちゃいハンディタイプの扇風機を駆使して日々を凌いでいる。これを枕元に立てておくだけでも大分涼しくなる。願わくばタイマー機能がほしいところだが、そこは今のところ「あっ、寝れそう」ってなったときに手動で消すことでなんとかなっている。ただね、今の時代、充電ケーブルがUSBタイプであるものが増えてきており、その煽りを受けて我が家のUSBポートが枯渇してきている。スマホ、ウォークマン、Bluetoothスピーカー、そして件のちっちゃい扇風機。増えていくケーブルたち。そんなケーブルたちの絡まる姿を見るたびにエントロピーが頭に浮かぶ。エントロピーヒャラドーンドン。夏は勉強の季節。大学のころに学んだエントロピーを駆使したカルノーサイクルの考え方も今やうろ覚えで、記憶は陽炎のように遠い彼方に霞んでいる。スマホに残されていたレガシーである大学時代のテストの過去問を掘り起こしてみても、こんな問題を当時の自分は解けていたのか?本当に今の自分と地続きなのか?と信じられなくなる。それでもカルノーサイクルを学ぶ前も、学んだ後も、学んで忘れてしまった後も変わらず、リモコンのスイッチを押せばクーラーは動くし部屋は涼しくなるからありがたい。学んだ知識をどう使えばいいか分かりゃあせんことに、途方に暮れてしまうこともあるけれど。これから賢くなっても、馬鹿になっても変わらぬ生活が送れるのは、悲しいことなのか、ありがたいことなのか。もう何度目かの夏の入り口なはずなのに、いつもどのように過ごしていたのかを毎年毎年思い出せないのであった。けれども忘れてしまうところも込みで結局は同じような夏を繰り返している気もする。もう少しすれば、顧問のただれた金玉みたいな夏がまたやってくる。