牛車で往く

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夏の甲子園の始まりと川の始まりのどっちもをちゃんと分かっていない

今年も7月は終盤にもかかわらず梅雨が続いておりまだまだ雨の日が多い。洗濯物は必然的に部屋で干すことになるわけですけれども、朝早く起きて洗濯機を回して干すのはめんどくさいから、仕事が終わって帰ってきてから洗濯するのがだいたいとなっている。洗濯物を部屋に干してから寝て朝起きると、生乾きの匂いがしていて大変不快な気分になることが何度かあった。どうにかしたいと思い、とりあえずは洗濯の際に毎回ワイドハイターを洗剤、柔軟剤とともにつっこみまして、干している洗濯物たちにはわたしを差し置いて扇風機の風に当たってもらうという手段を取っております。こうすると生乾きになることは今のところなくなりまして、扇風機によってかき回された室内の空気にほんのり柔軟剤の香りが混じるようになった。いや、本当は扇風機を使っていないときにも柔軟剤の香りはしていて、正確には空気の流れができたことでより香りが感じられるようになったといった感じだ。幸いにも最近の夜は涼しい日が多く、洗濯物を干した室内の湿度は高くなっているはずであるが、それほど蒸し暑いといった目には逢っておらず、扇風機を洗濯物たちに譲ってもまあ問題はないといった現状。

 

涼しいに越したことはないが、やっぱりどこか夏らしさに欠けているような気はする。今年は甲子園で高校野球もやっていない。自分にとって夏っぽさを感じるためには夏の甲子園が必要だったんだということになくなってから気づいた。ポルノのTamaが脱退したときみたいなもんです。バンプのsupernovaっぽくもあるな。そんなことを考えながら去年の日記を読み直していると、7月25日のものに

 

昨日ぐらいから本格的に暑くなってきた。やっと夏本番が始まったのだろうか。

キャラの言動、会話がめちゃくちゃいいガールミーツボーイ漫画(田島列島「子供はわかってあげない」) - 牛車で往く

 

と書かれているのを発見し、なんや去年もこのぐらいまではまだそんなに暑くなかったんやということを知る。知ったが全くそんなことは思い出せない。これを機に7月いっぱいは割とまだ涼しいままですよってことをこの脳と体に刻み込もうと思います。そうなったら自分の感覚って全然信じられないなあと思い始めて、そもそも現時点で高校野球が開催されていないことに夏っぽさの欠如を感じているけれど、毎年夏の甲子園はいつぐらいから開催されていたんだっけと思い調べてみたところ、去年の開会式は8月6日であり、毎年だいたい8月1週目から2週目辺りに開かれるのが常であった。ということで、コロナウイルスであろうがなかろうが甲子園はまだ開催されていないのが普通であり、もうこちら側が『夏っぽくねえなあ・・・』と感じているがために無理やりこじつけて、開催されていないことを夏感欠乏症の理由にしてしまっていた。勝手に迎えに行ってしまいました、甲子園。それにしてもそんなに遅かったっけ?夏の甲子園。

 

とはいえ今年は開催されないと聞くと物足りない気分にはなる。夏の甲子園はなんだかんだで面白いのだ。テレビでダラダラしながら見るのもいいし生で観るのもいい。実際に一度甲子園に足を運んで観戦してみると、テレビで見るよりも試合はサクサクと進んでいくように感じられる。外野のスタンドからは高校球児たちの顔をはっきりと認識することができず、スーパープレイが出てもテレビ放送のようにリプレイが流されることはなくスーっと次の展開へと流れていく。でもその淡々とした雰囲気が自分に合っている気がする。テレビでの過剰な演出もないしね。あのベンチやベンチ外の子にわざわざ焦点を当ててヘタな同情を買おうとする演出のむごたらしさったらないと、わたしみたいな人間は思ってしまうのである。あと「セカンドは今日が誕生日の及川」みたいな実況を聞いても『いや、おめでとうやけど。だからなんやねん』と思ってしまいます。いや、ホンマにお誕生日おめでとうなんやけれども。まあそんなことは置いといて、途中でスコアボードを見ながら友達と「あれ?あのホームランって何回に出たっけ?」とか「うわあ、あの回の満塁の場面フイにしたのもったいないなあ」とか言いながら振り返るのも楽しいのだ。それに元野球部の友達なんかと一緒に行くと、プレーを解説してくれて非常にありがたい。そして甲子園で試合を観た日の夜に家でスポーツニュースを見るのもまた楽しい。なんなんだろうね、あのときに感じる、夢で見たことが現実にまで貫通してきたような感覚は。実際に生で見ていないときにはスポーツニュースの演出にうっとおしさを感じることがあるのに、生で観戦したあとにテレビで選手のインタビューを見ると『おれも見てたで』みたいな、なんか友達が活躍したみたいな感覚になる。生で観た、ただそれだけであるのに選手たちと同じ時間と空間を共有したような気になり、それがわたしにそう思わせるのだろうか。でもさっきも言った通り、テレビで見たときに『おれ、いまテレビに映ってるやつをさっきまで生で観ててんなあ・・・』というどこか捉えどころのなさ、実感のなさも同時に感じていることから、なんとも複雑な感覚が共存しているように思える。

 

そんなこんなで夏を感じるべく、千野帽子が編者を務めた角川文庫の短編集「夏休み」を読む。

 

夏休み (角川文庫)

夏休み (角川文庫)

  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: 文庫
 

 

こうやって短編集を読むと、それぞれの話にそれぞれの作者らしさがにじみ出ているなと感じる。藤野可織のあとに片岡義男を読んだときの風の抜け具合がすごい。ときに、この本に収録されている辻まことの「多摩川探検隊」は、多摩川の源流がどうなっているのかを探しに行くといった話なのだが、確かに川の源流では山が蓄えた雨水などが湧き水として湧出しているのだろうことをイメージとしては想像できるが、実際に見たことはない。ってことで調べりゃあなんぼでも水が湧いている動画などは見つかるのだけれど、どうも実際に見ているわけではないから、そんな風にして知ったつもりになるのは頭でっかちになっているような気がして仕方がない。テレビ越しの高校野球と甲子園での高校野球が違うように、画面越しの湧き水とライブで見る湧き水もきっと違うはず・・・。なんやライブで見る湧き水って。

 

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とりあえずステージ1として近所のドブ川の源流でも探そうかい。でもこれ、この記事とは違って近所のドブ川の源流を辿っていったら、山奥まで続いちゃうパターンもある?