牛車で往く

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なんでもない日にスーパー銭湯に行ってざるうどんをすする

ロンリーの「ぱらのいど」という曲が良すぎて、最近はずっとこれを聴いている。

 


ロンリー - ぱらのいど @ METEO NIGHT 2014 FINAL

 

投げやりじゃないけど投げやりっぽい歌い方。「あたまを振ってさあ~」からのドラムのドゥンドゥンに合わせて、最前列の客も手と首をブンブンと振る。さらにはそこからの「ぱらのいど~」の合唱の流れが最高。この曲は歌詞にも出てくる通り、Black Sabbathの「Paranoid」にインスパイアされているのであろう。Paranoidとは偏執症患者という意味であり、辞書を調べてみると偏執症とは「偏執的になり妄想がみられるが、その論理は一貫しており、行動・思考などの秩序が保たれているもの」と書かれている。一般的には自身でネガティブな妄想をして、それを現実のことだと信じ込んでしまうといった症状のようだ。とはいえロンリーの「ぱらのいど」は、曲名のひらがな表記からもうかがえるように、どちらかと言えば能天気な曲調。ここで「妄想」と「空想」の言葉の意味を手近の国語辞典で調べてみると、それぞれ以下のような意味であった。

 

妄想・・・①あり得ないことをあれこれ想像すること。また、その想像。

②根拠のない判断に基づき、事実や論理によっても訂正されることのない主観的な信念をつくりあげること。また、その信念。

 

空想・・・現実をはなれて、頭の中であれこれと想像すること。また、その想像物。

 

ロンリーのこの曲、聴けば分かると思うがどちらかと言えば内容は空想のほうである。実際、歌詞として

 

現実と空想の間に住んでる 

 

と出てくる。「現実と空想の間に住んでる」と聞くと、どうしても熊倉献の漫画「春と盆暗」を思い浮かべてしまう。

 

春と盆暗 (アフタヌーンコミックス)

春と盆暗 (アフタヌーンコミックス)

  • 作者:熊倉献
  • 発売日: 2017/01/23
  • メディア: Kindle版
 

 

この漫画に関しては下の記事にも書いたのだけれど、人間だれしもが現実の世界とは別に自分だけの空想の世界をもっていて、その二つの世界の間に住んでいることを感じさせてくれる作品。

 

www.gissha.com

 

自分以外の人間も空想の世界をもっている、ただそんな事実が分かっただけなのに、なんだか自分だけじゃないんだと安心できるようになるのはなんでなんだろう。とはいえ、やはり閉じた世界での空想ではなく、そこに現実世界につながるというか、現実世界にまで貫通する何かがないと空想のエネルギーも吹き溜まってしまうように思える。

 

そしてなにより、この曲の冒頭の

 

なんでもない日に 久し振りに
友達と不意に スーパー銭湯行くのだ

 

っていう瞬間が最高だってことをわたしも知っている。「行くのだ」って語尾がもうね、いいよね。分かるもん、「行くのだ」って感じ。今日はもう行っちゃうのだって感じ。大学生のころ、飲み会の次の日にお酒が抜けきらない中、友達と昼間に「もう行っちゃうのだ」と行ったスーパー銭湯、あれは最高の時間だった。そのスーパー銭湯には、竹で編んだまくらが置かれてあって、お湯が浅くずっと流れていて寝転べる露天のスペースがあった。そこで寝転がっていると、お湯の暖かさと外気の涼しさがちょうどいいバランスで味わえて、このまま一生そこにいれるような気がしたものだった。一生いれるような気になっていたのはきっと自分だけではなくて、現に三つ並んでいた寝転がれるスペースには、わたし以外にもおっちゃんが二人いたのだが、わたしを含めた三人ともなかなかこのスペースから離れず、ずっと同じメンバーで占拠したままであった。おれたちはいま、同じ幸せを共有し合っている。そう思えるほどの見知らぬおっちゃん二人との一体感。多分おっちゃんも同じことを感じていたと思う。きっとそう。そうだよね?見知らぬおっちゃん。そして、そんな風に裸で寝転がってずっと空を眺めていると、なんだか空をちゃんと見たことってなかったなと思い始め、よくよく観察してみると雲が手前と奥の二段になっていて奥行きがあることを知ったのである。あんなに気持ちがいいと、公衆の面前で裸になるとそれは自分の快が他人の不快を誘発することになるから犯罪ですけれども、外で裸になることで得られる開放感を否定することはできないなって気分になってくるわけである。そんなことを考えながら、ときおり体を起こして友人はどこにいるのかと姿を探してみると、彼らも各々好きな露天風呂に入って浴槽のヘリに頭を預けて空を眺めていたり、もしくは目をつぶって深く染み入ったりしているではないか。ああ、ここはなんて平和で素晴らしい時間の流れる空間なんだ。そう思わずにはいられなかった。

スーパー銭湯を離れ、そのままの足で近くのうどん屋さんの暖簾をくぐる。迎えてくれた店員さんに、わざわざ座敷に座りたいことを伝えて案内してもらう。靴を脱ぎ、畳に敷かれた座布団の上に腰を下ろした瞬間に、横になりたい衝動に駆られる。自分がまだ子どもであったら、店内にもかかわらず完全に横になっていただろうよ。そう思うと、大人ってやつは全く肩身が狭いもんだ。注文を聞きに来た店員さんに、ざるうどんとミニカツ丼のセットを頼む。大学時代のある日のうどん屋で注文したものを未だに覚えているのは、このスーパー銭湯からうどん屋の流れはその後の大学生活でも何度か繰り返されることとなり、わたしはそのたびにこのセットばかりを注文していたからだ。わたしは未知のものよりも、すでに美味しいと分かっているものを選ぶ、そういった性質の人間なのです。そしてどこのうどん屋に行っても、そこにミニ丼セットがあるとそれを頼みたくなる人間なのです。店員さんが持って来てくれたお冷やを一気に飲み干すと、生き返るどころか、さっきまでいた天国のようなスーパー銭湯から、さらに天上に近づいたような気分になる。うどん屋のお冷やってなんであんなに美味しいのだろう。ラーメン屋のも美味しいな。ていうかお冷やって美味しいな。味なんてないはずやのに。

 

ってことで、そんなこんなでロンリーにハマってしまい、二枚目のアルバム「YAMIYO」を購入した。

 

 

アルバムタイトルが「YAMIYO(闇夜)」というだけあって、夜のある瞬間、ある場面を切り取った楽曲が多い。中でも「スケボー」がいい。こんなシンプルな楽曲でいいって、めっちゃカッコいい。

 

自由の尻尾につかまって

誰もいない夜の公園

安定剤よりあってる僕には

オレンジ色のライトにうつる影

 

夜に少しだけ感じることのできる何にも縛られていない自由な時間。完全に自由にはなれないけれど(完全な自由とは?)、この時間が好きだな、ずっと続けばいいのにな、と思える自由みたいなものを感じる時間が人生にはときおり訪れる。「sumahama」はやっぱりビーチボーイズにインスパイアされたのだろうか。同じタイトルの楽曲がビーチボーイズにもあるし、スティールパンによる南国感もビーチボーイズっぽい(ビーチボーイズのほうの「sumahama」はスティールパンの音は入っていないけれど)。ロンリーの楽曲にはコーラスが入っていることが多いのも、彼らの影響を少なからず受けてのことなのか。ビーチボーイズの「sumahama」と言えば、探偵ナイトスクープを思い出します。

 

rockokey.exblog.jp

 

「ぱらのいど」が収録されているファーストアルバム「ファーストオブ終わり」も聴きたいのだが、いまやどこにも売ってなさそうだし、配信もしていない。マジ、なんかどっかに落ちてないかな。ホンマに。