もう九月だけれどまだまだ暑い。去年は八月の最後に実家に帰省して地元を一日かけて散歩したけれど、この夏はコロナウイルスのこともあってそもそも実家には帰省せず。それでもブックオフのCMの言う通り、ずっと家に居るのはそれはそれでなんだか心がしんどい。だから時折、近所を歩いたり、自転車で走ったりしたけれど、やっぱりすぐに家に戻りたくなるくらいめちゃくちゃ暑い。
そんな中、平日に有休を取ったので人も少ないだろうということで銀閣寺にでも行こうと思い立った。京都駅に着いて市営バス乗り場に行くと、予想通りそれほど人は多くない。バスに乗り込んで車両後方の空いている二人がけの席に座る。コロナ対策の換気のために小窓が開けられている。途中のバス停で乗り込んできたおばちゃんが、わたしの前の座席に座って小窓を全開にしたおかげで、途中からは猛烈な風を顔面に受けながらバスに乗ることになったのだが、それはそれで涼しくて気持ちが良かった。地元を離れ東京へと向かう列車に乗り込んだ自分を最後の最後まで走って追いかけてくれる友達に向かって、車窓から身を乗り出してさよならの手を振るときには、これぐらいの風を感じるのだろうか、とよく分からない想像をする。当のおばちゃんは後ろに座っているわたしがそんな目に遭っているとは露知らず、iPadでLINEを開いて、たどたどしいフリック入力でひとつずつ丁寧に文字を打ち込んでいた。バスに乗っている間はSEASIDE BOOKSの「シーサイド」をひたすらリピートしていた。
途中、出町柳にある加茂大橋を渡るときにバスの窓から鴨川の三角デルタが見えたのだが、放課後の、はたまた学校をサボったらしき高校生の女学生二人が笑い合いながら飛び石の上をピョンピョンと渡っていたのが目に入った。その光景がその日のうちで一番夏っぽかった。その後ろから自分も渡りたくて訪れたのであろうおっちゃんが彼女たちに続いて飛び石を渡っており、おれにもその気持ちが分かるよ、なんて謎のテレパシーを送る。おっちゃんに届け!この気持ち!そんな川の光景を目の前にしてイヤホンからは海の歌が流れ続けていた。
銀閣寺道で降車して哲学の道を歩いて銀閣寺を目指す。中学のころ、金閣寺、銀閣寺は誤った呼び名であり、正しくは鹿苑寺金閣、慈照寺銀閣であると学んだが、そんなことは気にせずに今後も自分はそのまま金閣寺、銀閣寺と呼び続けるのであろう。バス停を降りてすぐの哲学の道には鴨が堂々と座っていて、わたしがすれ違うときも微動だにしなかった。なんて人間慣れしてやがるんだ。こちとら鴨慣れしていないので横を通るときに少し緊張したっていうのに。
そのまま銀閣寺に行くつもりだったのだが、突然哲学の道を完遂しようという思いに駆られ、銀閣寺に続く道を途中で右に折れた。ただでさえ人が少ないのに、どんどんと人気が少なくなっていく。哲学の道には琵琶湖の疏水に沿って歩くスペースが設けられており、そこには石が敷かれている。石の上を黙々と歩いていると、やはり暑いから次第に額や首の後ろから汗が噴き出してくる。ハンドタオルで拭くのだけれど、拭いたそばからまたすぐに汗が出てくる。途中の自販機でお茶を買って水分補給をしながらひたすらに歩く。思索に浸る余裕などないほどに暑かったが、それでも散歩をしているとなんだか気持ちが明るくなるのも確か。途中、小学校低学年の男の子が前から歩いてきて石の上の道を譲った。周りにぐるっとツバのある黄色い帽子をかぶっていて、絵に描いたような小学生だと思った。そんな絵に描いたような小学生は歩幅が小さく、下を向きながらひとつずつ確かめるようにして丁寧に石に上を歩いていた。今日はやたらと人が石の上を歩いているところを目にする気がする。そういう自分も歩いているんだけれど。この小学生以外にも三人ぐらいとすれ違った。道中、ベンチが設けられており街を見下ろせる開けた場所に差し掛かったときに、道端で丸まって寝ている黒猫を見つけたのだけれど、猫はこの夏の暑さをどう思っているのだろうかと思った。他の動物とは違って人間を人間たらしめている要素のひとつに、過去から現在、そして未来へといった時間を奥行きをもって捉えられる点があると聞いたことがあるが、果たしてあの黒猫は去年の夏の暑さを覚えているのだろうか。去年と比べて今年の暑さはどうでしょうか?
そのまま哲学の道を歩いていると、東山中学校、東山高等学校に差し掛かった。こんなに暑いというのに、学生たちは部活動に勤しんでいる。東山高等学校の校舎には様々な部活動の活躍の垂れ幕が垂らされており、いくつもの部活動がインターハイに出場していた。学生生活という限られた時間を京都で過ごすのは、一体どんなものなのかとわたしなどには少し羨ましく思えるのだが、それが日常になってしまえば、きっとなにか特別な感情を抱くこともないのだろう。それでも大人になって京都を離れたときに、鴨川デルタで駄弁った日々などを思い返すのはなんだか絵になるなあと思いながらも、自分が高校生のころに部活終わりにローソン前で駄弁っていたことも今ではそれなりに輝いた思い出となっているから、場所が重要なのではなく、誰とどんな時間を過ごしたのかが大切なのだと考えさせられる。
しばらく歩いて道の脇にある案内板を見てみると、銀閣寺をスルーした代わりに寄ろうと思っていた永観堂をとっくに通り過ぎていたことに気がついた。引き返すのも面倒くさくなって、永観堂は諦めて、もう少し先の南禅寺を目指すことに。こういうときに誰か友達が一緒であれば「戻ろうや」と言ってくれることですんなり引き返せるのだが、自分ひとりではどうもそういう風にはならない。スッと引き返せたほうが結果として楽しいのであろうが、自分は面倒くささが勝ってしまうのだ。南禅寺につくとそこにはとても大きな門が立っており、その周りには木が生い茂っていた。南禅寺はその他の神社仏閣と比較して、なんだか緑が豊かに思えた。上を向いてそびえ立つ木を下から眺めてみると、太陽の光が当たった部分の葉だけが、他よりも明るく黄緑色に光っていた。
この日歩いた銀閣寺から哲学の道、永観堂(結局行かなかったけど)、南禅寺のルートは、大学生のときに友人たちと逆の順番で一度辿ったことがあったのだが、改めて歩いてみると、そのときのことをほとんど思い出すことができなかった。それはそれでまっさらな気持ちで楽しむことができたのかもしれないが、反芻する楽しみというものもあり、わたしはどちらかと言えば後者の楽しみ方のほうが好きであるから、忘れてしまったのはなんだかもったいないなあと思ってしまった。様々なところに行って思い出を作ることは、日本の各地に自分の神経少しずつ通わせていくようなことだと思うところがわたしにはあるのだが、定期的に思い出したり、再び訪れたりしなければ、せっかく通わせたその神経も知らぬ間に先細ってしまい、その土地に対して抱いていた小さな親近感みたいなものが次第に薄れていってしまう。そんなことを意識するわりに、この日は記録に収めようと一枚も写真を撮っていない。誰か自分以外の人と旅行やら観光やらに行く場合は、写真を撮るのは一緒に行く人たちに任せっきりにして、あとでLINEに上げてもらうのがほとんどなのだが、いかんせん、この日は自分一人だったのでそうはいかなかった。せめてものということで、カメラロールをひたすらに遡って見つけた、もはや記憶には残っていない大学生のころに行った南禅寺の写真でも貼ろう。
写真を撮るのが下手すぎて、写っている南禅寺はわたしの記憶と同様にぼんやりと霞んでおるわ。今回のことは、この文章を読み返すことでぼんやりとでも雰囲気を思い出せればと思う。今後は写真もちゃんと撮っていこうと思います。