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においをかいで思い出す記憶について

ずっとマスクを着けているから、この冬は自分の口から白い息が出るところを見ていない。マスクを着けていなければ口どころか鼻から白い息が出ることもあったのに。白い息の正体は水蒸気が冷やされたものであり、水蒸気は気体で、白い息になったらそれはもう液体。そんなことはどうでもいい。もうすぐ春が来るから、このまま一度も白い息を見ることなく冬は終わるのだろう。

 

コロナ禍になってからというもの、マスクを外したときににおいがすることについてやたらとブログに書いている。ふと何かしらのにおいをかいだときに感情が動かされるみたいな体験が、コロナ禍以前よりも意識されるようになった。なんでも、あるにおいをかいで、そのにおいと結びついた過去の記憶がふいに思い出されることをプルースト現象と言うらしい。この現象はプルーストの「失われた時を求めて」という小説が元となって名付けられたようで、作品の名前は大変有名であるから聞いたことはあるのだけれど読んだことはない。どんな作品なのかと調べてみると、ものすごいボリュームの超大作であることが分かった。それを知って今は読もうとは思えない。いつか読むのかどうかも分からない。

 

においと感情の関係についてもう少し詳しく知りたくなって調べていると、いくつか論文が見つかった。特に大阪産業大学の山本晃輔准教授のものが数多く見つかって、この人の書いたものを中心にいくつか読んだ。自分の知りたいことは、においをかいだことによる自伝的記憶の無意図的想起についてであることが、読んでいるとなんとなく分かってきた。

 

山本晃輔 (2008). においによる自伝的記憶の無意図的想起の特性: プルースト現象の日誌法的検討 認知心理学研究, 6, 65-73.

 

自伝的記憶とは、その字面からも予想できる通り、個人的経験に基づいた記憶を意味する。この言葉から、以前に「なつかしさの心理学」という本を読んだ際に出てきた、記憶のモデルのひとつである"エピソード記憶"なるものを思い出した。

 

www.gissha.com

 

自伝的記憶とエピソード記憶は、ほぼほぼ同じ意味であるとして読み進めたのだが、厳密には異なる定義とする説もあるようだ(細かいことはこちらの論文に書かれている(佐藤浩一 (2010). 自伝的記憶の安定性―意味記憶との比較(1)― 群馬大学教育学部紀要 人文・社会科学編, 59, 205-217.)。)。とはいえ、エピソード記憶という概念を知っていたおかげで、すんなりと読み進めることができた。

 

一般的に、自伝的記憶は三層の階層構造を成していると言われており、上位から順に「出来事の時期」、「一般的な出来事」、「出来事の詳細な情報」の構成となっている。下位に進むにつれてより具体的な情報が保存されており、自伝的記憶を思い出そうとする多くの場合には、上から順番に検索がかけられていく。しかし、においを手がかりに記憶を思い出そうとする場合には、いきなり一番下の「出来事の詳細な情報」に検索がかけられる。最初にかいだにおいに対応したにおいそのものの記憶である嗅覚表象が活性化され、そこから上位の層に上がっていき「いつ、どんな場所でかいだにおい」といった特定の出来事が呼び起こされる。におい以外の場合の、上から順番に検索をかけていく方法では、一番下位の「出来事の詳細な情報」まで至らないことがあるが、においの場合はいきなり「出来事の詳細な情報」から入るために、具体的な記憶が思い出されやすいそうだ。

 

また、においを手がかりとした記憶は、そのにおいを言葉で命名しやすいもののほうが想起しやすく、命名されたもののほうが、されていないものよりも自伝的記憶が明確で情動性*1が高いそうである(山本晃輔・野村幸正 (2010). におい手がかりの命名, 感情喚起度, および快−不快度が自伝的記憶の想起に及ぼす影響 認知心理学研究, 7, 127-135.)。言葉によってそのにおいをラベル化することで、より思い出しやすくなるということだ。

 

二年前の春、まだコロナなんてものが流行っていなかったころ、会社の洗面所で手を洗っていると、その水の冷たさと洗面台から水が跳ねたときに微かに香ってきた鉄のにおいによって、小学生のころの記憶を思い出した。思い出したその瞬間のことは結構印象的で、日記に書いて残したほどであったから、それを読み返すとそのときの詳細を知ることができる。思い出した小学生のころの記憶は、運動場にあった水道で足についた土の汚れを落としていたワンシーンであった。

 

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この写真の奥のような場所で足を洗った

 

その当時、運動場の水道の蛇口から出てきた水が果たして会社の洗面所から出てきたものと同じぐらい冷たかったのか、こんな匂いをしていたのかはもはや覚えてはおらず、もっとぬるかったような気もするし、もっと鉄臭かったような気もする。それでも、確かに水の冷たさとにおいによってその瞬間を思い出したのは確かで、さらには思い出したのはそれだけではなくて、あるひとつの俳句も思い出したのだった。

 

牧場の水の鉄気や夏近し

東京都 宇野 究人さん 開成高等学校 三年

 

この俳句は龍谷大学の青春俳句大賞に応募された作品のひとつで、自分は大学生のころに知って、この俳句を知ってからというもの、水のにおいをこれまでよりも意識するようになった。上述した論文の実験では、においをかぐのに加えて「チョコレートのにおい」といったにおいを説明した言語ラベルを見ることで、より明確な記憶が想起されるといった結果が得られている。自分の場合はこれとは違って、言語情報であるこの俳句を見ながら水のにおいをかいだわけではなくて、においと同時にこの俳句を思い出したわけなのだけれど、頭の中で水のにおいとこの俳句が結びついているのは確かなことのように思われる。この俳句のような具体的な言葉でにおいが表現されたものが事前に頭の中にあると、目の前にその言葉がなくても、潜在的に今まさにかいだにおいにまつわる記憶に影響を与えて、特定の自伝的記憶が想起されやすくなるといったこともあるのだろうか。

 

と、こんなふうに"においをかいだことによる自伝的記憶の無意図的想起"の仕組みについて調べたり考えたりしてみたけれど、結局一番興味を惹かれるのは、みんながにおいをかいだときにどんなことを思い出すのかといったことであり、論文に挙げられている例を見るだけでも面白かった。

 

授業中にどこからか木くずのにおいがして、昔おじいちゃんがストーブに入れる薪を作るために、チェーンソーを使って木を切っているのを隣りでずっと見ていたことを思い出した。

 

混雑した電車の中でハンドクリームのにおいを嗅いで、当時住んでいた家のトイレで歌を歌っていたことを思い出した。

 

山本晃輔 (2008). においによる自伝的記憶の無意図的想起の特性: プルースト現象の日誌法的検討 認知心理学研究, Table 4

 

あるにおいをかいで湧き上がってきた思い出からは、そのひと固有の生活や人生みたいなものが感じられて、短歌を鑑賞したときのような感覚を覚える。二つ目のハンドクリームのにおいからトイレで歌っていたことを思い出すのなんて、全然においと思い出のつながりが分からないけれど、不思議とほっこりしてしまう。そのにおいがそんな記憶に繋がるんだといった意外な面白さがある。こんな感じで、においをかいで思い出した自伝的記憶集みたいなものを作ってほしいとさえ思う。

 

そしてにおいと記憶について考えていると、この一年間はずっとマスクを着けていて、においがしてくることが例年よりも少なかったから、こういったにおいにまつわる記憶が全然形成されていないんじゃないかと思った。においによって思い出される記憶は日常のささやかなことに関するものが多いように思われ、ただでさえ旅行のような大きな思い出が残る行為を制限されているのに、マスクによってにおいを遮断されてしまえば小さな思い出すらも残らないようになってしまうのではないか。そう思うとなんとも寂しい気持ちになってくる。それとも、マスクのにおいに伴ってコロナ禍のあらゆることが記憶に刻み込まれているのか。なにはともあれ、早くコロナ禍が収束して、思いっきり外の空気を吸えるようになってほしい。

 

お題「#この1年の変化

 

*1:情動とは、喜怒哀楽などの感情の発生に伴い、脳の活動や身体の変化、行動として客観的に観察できるものとして表出することをいう。

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