牛車で往く

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曲の歌詞と現実の風景が繋がった瞬間のこと(フジファブリック「茜色の夕日」)

最近フジファブリックの「茜色の夕日」を聴いた。

 


フジファブリック (Fujifabric) - 茜色の夕日(Akaneiro No Yuuhi)


自分は特にフジファブリックのファンというわけではなく、彼らの有名な曲をいくつか知ってはいるがアルバムをわざわざ聴いたりはしない、そんな程度である。そんな自分でもこの曲は好きで、時折思い出してはYouTubeでMVを見るといったことをこれまで繰り返してきた。そして先日、久しぶりにこの曲を聴いたときに、これまでも聴くたびにいい曲だなあと思っていたのだが、その日はこれまで以上になんだかしっくりきた感じがあった。特に一番最初の

 

茜色の夕日眺めてたら

少し思い出すものがありました

晴れた心の日曜日の朝

誰もいない道 歩いたこと


の部分がめちゃくちゃ良くて、イントロからこの部分までを何回もリピートしてしまうほどであった。「眺めてたらー」と伸ばすときに声が少し枯れるところや、「歩いたこと」の後にボーカルが顔を少し後ろに引っこめるところが良くて、そしてなにより、これまで特にひっかかることのなかったその部分の歌詞が言葉としてはっきりと耳に入ってきた。今まで気づいていなかったところの良さに気づいてからというもの、MVを何度も見返すだけでは飽き足らず、お風呂で頭を洗っているときにも脳内でその部分を再生してはいいなあと思ったりしていた。

 

そんな風に頭を洗いながら脳内で再生しているときにふと思い出すことがあって、それは何日か前に暇過ぎて山登りに行った日のことであった。それほど高くはない山を登りきったあと、登りと同じ道を辿って降りていたときに、それまで木々の影が落ちていた道の前方に光の差している部分が現れて、その光景が妙にクリアに目に映って印象に残り、爽快というか風通しの良い気分になったのだった。

 

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心が晴れていたから印象に残ったのか、その道が印象的で感動したから心が晴れたのかその順序は分からないが、なにせその光景を見た瞬間にはグッと来るものがあった。山に登りに行ったのは「茜色の夕日」の歌詞の通りではなくて土曜日の昼であり、共通しているのは誰もいない道という点だけであったのだが、共通点はそれだけであるにせよ、頭を洗いながら曲を脳内で再生しているときに日が差した山道の瞬間を思い出したのは本当に意識的ではなくて何気なくであったから、なにかこの二つの良いところが繋がるべくして繋がったように自分には思えた。


これまで感じていなかったものの良さを感じるようになったということは、そうなる前の自分から何かが変わったからであると考えてみると、「茜色の夕日」の冒頭の良さに気づいたのは、こんな風に誰もいない山道を登った経験を得たからこそのような気がしてくる。それに加えて、多分これまでにも自分の人生において、一人で何気なく歩いているときに心が晴れたような気分になった経験は何度かあったのだろうが、そんな場面を思い出そうとしても今は思い出せないことを考えてみると、山登りのその瞬間がある程度の鮮度をもって思い出されたのは「茜色の夕日」を聴いたからこそのような気がしている。どこからどこまでが自然な繋がりで、どこからが自分で意識的に繋げようとしているのかは難しいところではあるけれど、なにせ「茜色の夕日」のその部分が心に引っかかったのは山登りのその瞬間があったからであり、山登りのその瞬間が思い出されるほどの出来事になったのは「茜色の夕日」を折よく聴いたからであると今は思っている。さらには、最近はクラブミュージック的なものが流行しているのもあって、孤独な夜の時間のやるせなさや寂しさを歌ったものはいくつもあるが、こんなふうにポジティブな朝の一人の時間を歌ったものはあまりないような気がしていて、それが余計に流行りのカウンター的な働きとなって印象に残ったのかもしれない。

 

特別感動的な出来事があったとかではなくて、なんでもないんだけれど妙に印象に残っているみたいな瞬間が人それぞれにあるんだろうといったことを、ここ最近やたらと考えてしまう。そういった瞬間というのは何か芸術作品などの中で、あえて共感を狙って再現できるものではなくて、そういった共感させるとは別のところのもっと個人的なことを描写しようとして現れるものであり、それはあるあるじゃないところのあるあるというか、あるあるを書こうなんて微塵も思っていないところから通じるあるあるというか、受け手がそこから勝手に何かを感じるようにして思いもよらず他人に伝わるもののように思える。で、共感させるとは別のところとは書いたが、自分の場合も含めてそれを自分の中でとどめずに何かしらの形で外に公開するということは、そこには何か伝えたいものが少なからずあって、そんな広くみんなに伝わるものとして書いていないにも関わらずそれが伝わったり、もしくは受け取ったりするからこそ、感動はより大きくなるのかもしれない。今回の自分の山登りのある瞬間と、フジファブリックの「茜色の夕日」のある歌詞の部分は、そういった狭い個人的なものどうしが共鳴したもののように思えたのだった。

 

自分はそんなものを求めて夜な夜な他人のブログを徘徊したりする。だからもっとみんな日記を書いてほしいし、誰か海外の人のブログを訳してほしいとかも思う。もっと言えば、一日一緒に行動した二人それぞれに、その日の日記を出来るだけ詳細に書いてもらって、二人の間で書かれることがどう違うかとかも比べてみたい。なにせ他人がそれぞれの生活において様々なものに対して何気なく向けている視線が気になる。そんな本、どっかにないですかね。