牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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ハトは平和の象徴だとか言うけれど

机の上に積まれた本の山の中から適当に一冊を手に取ってページを開く。読み始めたはいいが、なんだかつまらなくなってすぐに閉じて寝転がる。スマホをいじりながら、これはあれだ、家の中だからだ、なんてことを考える。外で本を読みたい。外の方がなんだか集中できる気がする。家にいると気分がダラダラして何もする気が起きないし、本を読んでもすぐに眠たくなってしまう。電車での移動中など読書が捗るから意味もなく乗りに行こうか。どこかの公園のベンチで読むのも良さそうだ。そうと決まれば早速本を片手に外に出よう、とはならず、色んなことをゴニョゴニョと考えては思いとどまる。電車はそもそも本を読むために乗るものではなく、自分の体を目的地に運ぶために乗るもので、行く当てもないのに電車に乗って適当な駅で降り、反対側のホームまで行って折り返しで帰ってくるって、なんか違う気がする。なんか。公園に行くにしても、頭の中にはいくつか読書に良さそうな公園の候補が浮かんでいるが、そのいずれにも会社の知り合いが出没しそうな気がして不安になる。休みの日には仕事のことなんて思い出したくないから、仕事を連想させるモノ、コト、ヒトからは極力距離をとりたい。じゃあもういっそのこと、会社の誰にも会いそうにない遠くの公園に電車に乗って行けばいいじゃないか。そうすれば目指す場所があるから電車に乗れるし、遠くに行こうとしているからその中で読む時間もたっぷりとある。そこから目的地の公園に着いて、誰かに遭遇する心配をせずに思う存分本を読み、帰りの電車でまたまた本を読めばいい。それがいいんじゃないか。などと考えるが、それはそれでいざそうしようとはならない。遠くの公園に行くとはいえ、せいぜい片道1時間ぐらいのところであれば、会社の彼奴きゃつらに遭遇する危険性は十分にあるし、もしお腹が痛くなってもすぐにトイレに行けない。そもそもそこまでして本を読みたいか?大袈裟じゃない?とも思えてきた。元も子もないけど。かと言って近くの喫茶店に行って読める気もしない。アイスオレ一杯でいつまで粘っていいのか分からないし、粘れる度胸もない。喫茶店で本を読む人はここらへんのいつまでいていいのか問題をどう処理しているんだろうか。そんなことを気にする一方で、友達と行ったときには飲み物一杯でペチャクチャと喋り散らかし、平気で二時間ぐらい居座ったりする。そう思うと自分は群れたときにだけ気が大きくなるタイプの人間だったのか。高校時代に通っていた塾に他校の生徒でそういうやつがいた気がするけれど、自分も他人からはそういうふうに見られていた? いんや、そんなことはなかったはず・・・。


あれやこれやと考え、最終的にこれはもうあれやな、あれしかないな、家に居ながらにして外に出るしかないな、ほんでそうするにはもう広いベランダのある家に引っ越すしかないな、という結論に至る。もうこれしかない気がしてくる。我が家のベランダは狭い。ひと1人分の幅しかないその狭いベランダにはハトのフンが落ちている。実際にベランダにハトが降り立った瞬間を見たことはないから、わたしが外出している間に、しれっとフンを落としていっているんだろう。ベランダに落ちたフンを強く降る雨だけが洗い流してくれるから、強い雨が降るたびに神に感謝を捧げる。雨が降った次の日に仕事から帰ってくると、ベランダにはもう新たなフンが落ちている。それを見てまた雨を乞う。


本当は木造の家を建てて、広い庭を目の前にしながら縁側で本を読みたい。でも、広い庭は手入れをするのがめんどくさそうだし、木造では多分隙間風が入ってきて冬は寒いだろう、とお金がないにもかかわらず勝手に考えてはやっぱりやめようなどと思う。そして先程と同じように、広いベランダのあるマンションに住むしかない、となる。早速寝転がりスマホで賃貸情報を検索する。中々どう探せば見つかるのかが分からないから、とりあえず自分の住んでいる地域名に「広い ベランダ」と加えて検索してみる。そうすると、ルーフバルコニーなるものに出会う。ルーフバルコニーなるものはだいたい広いバルコニーのことを指すらしいから、そのままルーフバルコニーをキーワードに追加して調べる。調べていると、ルーフバルコニーなるものが付いている賃貸はだいたい家賃が高いことが分かってくる。それに加えて、ルーフバルコニーのある部屋の注意点としてハトのフンが挙げられているのを見つける。

 

sumai-kyokasho.net

 

そこには

内覧時の確認ポイントとして、鳩の糞が落ちているときは注意が必要です。鳩は糞がある場所に繰り返しする習性があるので、少しの期間掃除を怠ると糞だらけになることもあるのです。

と書かれており、今住んでいる自らの部屋がすでに手遅れであることを知る。


結局、賃貸を調べていても途中で飽きてしまい、いい物件は見つからなかった。こういった調べている間にめんどくさくなって結局・・・みたいなことは他にもあって、それは机と椅子がほしいといったこともそうだ。今現在、自分は家で座ると言えば地べたというジャパニーズスタイルをとっているが、なんとなくちゃんと椅子に座ったほうが読書やら勉強やらに集中できるんじゃないかと感じており、いっそのこと買ってやろうと思っているのだが、買っても部屋のどこにおくねんやら、ホンマに使うん?やらで、調べていると飽きてきて結局何も進まないままになっている。これも家に居るせい。


家に居ても何もやる気が起きないから、とりあえず晩ご飯でも買いに行こうと外に出る。スーパーに向かって河川敷を歩きながら、何を食べようかなあ、とスマホの献立アプリを眺めるけれど食べたい料理が見つからない。もう何もかも見つからない。本当に本が読みたいのか、机と椅子がほしいのか、食べたいものがあるのかも分からない。ふとスマホから目を離して前を向くと、河川敷の舗道に大量の黒い物体がいるのに気がつき、それはよく見ると毛虫の群れだった。それを認識した瞬間にゾワっとした感覚が自分を襲う。めちゃくちゃな数が潰れて死んでいる。その死屍累々の中に生きているものが紛れていて、モゾモゾと動きながら舗道を横断して草むらから草むらへと移ろうとしている。それらを踏まないように気をつけながら進む。毛虫は舗道のある区間にだけ大量発生していて、そこを抜けたあとはピタッといなくなったのだが、大量の毛虫を見たあとだからか、歩きながら自然に振れていた手がTシャツの裾に軽く当たっただけなのに、何か虫が手に当たったと勘違いして自分で自分にビクッとした。河川敷を進んだ先ではハトの群れに餌をやっているおっさんがいて、その群れの中におれのベランダで用を足しているやつがいるんじゃないかと疑う。

 

 

ハトは平和の象徴だなんて言うけれど、彼奴(きゃつ)らは他人のベランダにフンを落として去っていく爆撃機にしか思えない。そしてそのフンはこのおっさんの撒いているパン粉みたいなやつを消化したものなんじゃないかとも。パン粉はおっさんが自分で用意したものなのか、それともパン屋から余りをもらったものなのか、それともおっさん自身がどこかのパン屋だったりするのか。休日のお昼ご飯にはよくパンが食べたくなるから、家の近くに美味しいパン屋がほしい。これだけは本当にずっとほしいと思っている。


自分は献立に困るととりあえず茄子を買うところがあって、この日もとりあえず茄子を買うことになった。家に帰ってから、茄子を使って何を作ろうかとネットで調べる。茄子料理の中では茄子の揚げ浸しが一番好きなのだが、油が跳ねることや片付けのことを考えるとめんどくさくなり、実際に作ったことは一度もない。だからこの日も別に作るつもりはなかったのだが、何となく自分の好きな「まいどおおきに食堂」の茄子の揚げ浸しのことを思い出して、そのレシピがネットに落ちてないもんかと調べてみた。自分はまいどおおきに食堂に行くと、必ずだし巻きと茄子の揚げ浸しを選ぶ。そうして、もう一品おかずを選んでご飯を注文すると、なんやかんやで千円近くしてしまう。ザめしやとか、こういうおかずを自分で取っていくスタイルの定食屋ではついつい取りすぎてしまい、お会計が結構行くわ、お腹がパンパンになるわとなり、ほんでもってそれを次に来たときには忘れてしまっている。覚えていたとしても、今日は余裕で食べられる気がしてたくさん取ってしまい、結局苦しくなって反省する。ラーメン屋のセットの大盛り無料とかも毎回そうなる。まあそんなことはどうでもよくて、まいどおおきに食堂の茄子の揚げ浸しのレシピを検索してみると、意外にもYouTubeに作り方の動画が上がっているのを発見した。

 


www.youtube.com

 

上げられている動画はお店で出しているものとは若干作り方が違うものだったが、見るとめちゃくちゃ簡単に作れそうで、そうするとだんだん食べたくなってきて、だからもう作ってしまうことにした。ほんで作った。食べた。美味しい。やっぱり煮浸しより揚げ浸しのほうが体感で2倍くらい美味しく感じる。なんか揚げ浸しほうが、茄子がニュルニュルにならずにある程度の固さを維持しつつも味がちゃんと染みてるって感じで。こんな美味しい茄子の揚げ浸しが自分で作れたことに満足して休日が終わる。