牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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喧嘩とかそんなん怖くてできんくせに

桜の花の見ごろはすぐ終わる。咲いてんなあと思ってから散ってしまうまで二週間ぐらいしかなかった気がする。満開に近いころ、小学生くらいの男の子が口にチャックの付いたビニールパックに花の房をまるごと入れて持って帰ろうとしていたけれど、多分すぐにしおれてしまったことだろう。鮮やかなものをずっとそのままで残せておけたらと思う気持ちは分かるけれど、仮に桜の花が年がら年中咲いていたら、見慣れて特に心動かされることもなくなるんだろうと思う。景色の中にこれまでなかった色が足されるからこそ桜の花に目を奪われる。寒いのはもういい、早く暖かくなれと思いながら冬を超えたからこそ桜の花が綺麗と感じる。会社からの帰り道、自転車を立ちこぎしながら登る坂道の正面から西日が差し、西日に透かされて輝いている桜の花と、反対に西日を遮ってくっきりと浮かび上がっている枝や幹のシルエットのコントラストがとても綺麗だった。ラジオかYouTubeの動画かでヨネダ2000のボケのほうが、大人の立ちこぎを見ると珍しくてテンションが上がると言っていたけれど、自分は月から金の平日はガンガン立ちこぎをしている。確かに高校生くらいになって、立ちこぎというスタイルからにじみ出る必死さみたいなものに対して恥ずかしさやダサさを感じたことはあるが、今は一周して、逆に立ちこぎをしなければ明らかにしんどいであろう坂をあえて座ったまま登ることに対して、不自然さや自意識過剰さを感じるフェイズに行き着いたから、大人だけれどガンガン立ちこぎをしている。坂を座ったまま登る人を見ると思うもんね、え、なんか変やんって。絶対無理してるやん、キツくないわけないやんって。まあそう思ってペダルの辺りを見ると、だいたいぶっといバッテリーがついていて電動自転車と気づかされるわけなんですけれど。電動自転車は知らぬ間に世間に結構普及していて、高校生が乗っている姿もわりと目にする。西日が差す瞬間に出くわすと時々カネコアヤノの「アーケード」と「ジェットコースター」を思い出すのだけれど、特に「ジェットコースター」のほうの

 

空中ブランコ

西日がさす中

いつまでも他愛ないぼくら

 

に続く

 

隣に座った

知らないこどもの瞳を

忘れられないまま

夜を迎える

 

の部分がめちゃくちゃ好きで、聴くたびに嬉しくなるというか、こんな瞬間を歌ってくれてありがとう、みたいなよく分からない胸いっぱいの気持ちになる。

 

 

春になってLaura day romanceの「her favorite seasons」を頻繁に聴く。

 

 

あとはVulfpeckが「I Want You Back」をカバーしているライブ動画もやたらと見ている。

 


Vulfpeck Covers "I Want You Back"

 

観客が一緒に歌っているのがいい。なんだか日本人の観客がライブで一緒に歌うのとは違って、アメリカ人の声は太くてエネルギー増し増しに感じるのは、単純に言語による発声法の違いから来るものなんだろうか。野球の試合でホームランを打った時の観客の歓声にしても、日本のプロ野球よりもメジャーリーグのほうが大きくてビリビリ来る感じがする。球場の大きさや観客のキャパシティ、鳴り物の有無などの違いも関係しているんだろうけれど、明らかに質が違う気がする。とはいえ実際にアメリカの現地でメジャーの試合を観たことはないので、一度真偽を確かめるべく観に行きたい。ていうか普通にメジャーの試合を観たい。楽しそう。自分はメジャー球団のTwitterアカウントがアップしてくれる、グラウンドレベルで撮影したホームランの瞬間の動画がもうたまらなく好きで、この前の鈴木誠也のホームランの動画もめちゃくちゃ格好よかった。

 

 

打った瞬間にホームランと分かった観客が一気に興奮して、そのままボールがスタンドに入るのを見届けるまで興奮しっぱなしっていうのが本当にいい。今やったら首の後ろトンってして気絶させるの余裕やなってくらい、全員ボールに釘付けになってボールの行方を追いかけることしか頭にないのがいい。おれもそうなりたいから野球を観に行きたい。

 

ゴールデンカムイがもうすぐ完結するらしく、それに伴って全話無料という太っ腹なことになっている。

 

 

改めて一気に読み直すと勢いがあって本当に面白い。出てくるキャラ全員がすぐにボコボコ殴るのがいい。その意気や良し。自分はゴールデンカムイを読んでからというもの、腹が立つことがあるとたまに『おいおい、おれが杉元ニシパやったらもう殴っとんぞ』と心の中で思うようになったのだけれど、そのたびにハヌマーンの「リボルバー」が頭の中で流れて、その気持ちを中和してくれる。

 

 

武闘派どころか誰と相対しても勝てる気なんてしないし、殴り合いの喧嘩なんてドロケイよりもずっとしていない。たまに大人になった今、中学生の不良三人くらいからのカツアゲに会ったら、果たして自分は無事生還できるのだろうかと思う時がある。普通に怖い。自分は白石を見るとピューと吹くジャガーのハマーを思い出す。何かをカマそうとして次のページをめくると失敗している感じがよく似ている。7巻の、アシリパさんに借りたお金を競馬でスッてしまったのをキロランケにバラされるシーンが好きです。ゴールデンカムイにはよくパロディネタが出てきて面白いけれど、パロディの面白さって小さいときは分からなかった。多分、本当にちゃんと面白さが分かり始めたのは大学生になったぐらいからで、だからジャンプで連載されていた大亜門の「無敵鉄姫スピンちゃん」や「太臓もて王サーガ」などは、自分がまだ小さかったから読んでいてもいまいち面白さが分からなかった。

 

 

 

ジョジョをパロディしていた記憶があって、ある程度大人になってジョジョもそこそこ読んだ今だったら面白く読めるんだろうかと少し気になる。ゴールデンカムイは月島軍曹の幸せを願いながら最後まで見届けようと思います。

 

春が来たということで柴崎友香の「春の庭」を読み直した。

 

 

初めて読んだ時の記憶が全くなくて、今回読み直した感想としてどう読んだらいいのかがあまり分からなかった。「春の庭」は芥川賞を受賞しているから、「芥川賞のすべて・のようなもの」で選考委員の選評を見てみたけれど、結局あんまりよく分からないままだった。自分は風景描写を読んでいるときにはあまり頭にその風景を思い浮かべていない。風景描写からは、読んでいて何か自分の記憶の中にある印象に残っている風景が不意に思い出される、そういうふうにして脳が勝手に反応したときにだけ感情が動かされる。「春の庭」には風景描写が多かったけれど、自分の記憶に引っ掛かるようなものはなくて、漫然と読み流してしまった。他の人は風景描写を読むときに、ちゃんと頭の中で書かれている風景を再現しようとしているのだろうか(そもそも再現できる?)。描写をひとつずつ丁寧に頭に思い浮かべようとすることで生まれる、読む楽しみもあるんだろうか。みなさん、どれくらい頭の中で書かれている風景を思い浮かべながら読んでいるのでしょうか、と気になって仕方がない。