この前飲み会があって、その帰りにちょっと歩くかとしばらく散歩したときの空気がずいぶんと心地よくて、自分はやっぱり春が好きだなあと、花粉症じゃないのをいいことに思った。っていう夜の余韻がここしばらくずっとあったから、平日の何でもない日であっても夜に散歩がしたくなり、『ちょうど食器用洗剤切れたし』みたいなことを口実に、自分で自分の背中を押してやたらと夜の散歩に出かけている。昼は理性の時間で夜は感性の時間みたいなどっかで聞いた言葉の通り、夜に散歩をしながら聴く音楽は、日の明るい時間に聴くよりも心にグッとくることが多い。ブログで一度言及した楽曲についてはもう二度と触れたらあかんみたいな謎のルールをなんとなく自分に課していたのだけれど、よう考えたら誰が気にしてんの?そのルールって感じなんで、一度書いたキリンジの「耳をうずめて」が良いってことをまた書く。自分の中で「祈りにも似ていた恋人の名前も今は 遠い響きを残して消えたよ」っていう歌われている歌詞の内容とそれに対するメロディの雰囲気が異様に合っているというか、歌詞通りのメロディ、メロディ通りの歌詞というふうにこれ以上ない感じがあって、聴くたびにじんわりと満たされた気持ちになる。
それからYUKIの「笑い飛ばせ」が流れてきて(ていうか自分で流してんねんけど)、自分はこの曲が本当に好きで、もし自分が女性でしかも歌が上手かったなら思いっきりこの曲を歌うのに、そうしたら絶対気持ちいいだろうに、などと歩きながら思う。「もし自分が女性で」なんてふうに書いたけれど、本当は「もし自分が女子だったら」って思ったのが正確で、いつまで自分は女性のことを女子ってふうに思い続ける? いつまで自分の言葉遣いは女性ではなく女子と言い続ける? そんなことを考えていたら、小津安二郎の映画の登場人物たちのしゃべり方を思い出して、彼ら彼女らの言葉遣いはあまりに丁寧で、でもあれが大人だと思える。あれが大人だとしたら、今の大人はみんなあんなしゃべり方をしていないから大人じゃないし、自分はこの先、とても大人になれる気がしない。そうして河川敷に差しかかり、街灯に照らされた桜の木の下、花びらの撮影を試みて立ち止まっている人がいるのを見つける。自分がやってきたのに気づいたのか、その人物がこちらの様子を何度もちらちらと伺ってくる。それを見て勝手に、確かにこういうふとしたものを立ち止まって写真に収めようとしているときに人がやってきたら、別に気にせんでいいのになんか恥ずかしいよな、おれやったら八つ当たり的に心の中で『なんでこのタイミングで来んねん』ってイラつくことすらあるけどな、などと同情したつもりになる。でも歩くスピードを落とすほどの義理も人情もないからそのまま突き進み、向こうは自分がやってくる前に急いで、といったふうに撮影してすれ違っていく。ほんで次はカネコアヤノの「旅行」が流れてきて(「笑い飛ばせ」を聴いている時点で『次に再生』として選んでいた。だから流れてきた)、旅行に行く前のことが歌われているのを聴いて、旅行って行く前の予感が良いし、春も予感が良いし、夏も予感が良い、でも旅行は行った後の余韻も良いけど春と夏はあまり余韻を感じない、季節に関してはいつも先の季節ばかりを良いと思う、なんてことを考える。春の夜のこの空気感、これから新しい季節が訪れるっていう期待感は、旅行前のワクワクする感じに似ていて、毎年毎年、結局新しい何かが訪れることなんてないのに何かを期待してしまう、分かっているのに期待してしまう。そうして次にthe Loupesの「ANA」を聴く。
この曲も最近ハマっていて、「君よ、人並みに幸あれ」って歌詞に、今は遠くなった仲の良かった友達のことを思い出したときに思う「あいつは幸せに過ごしていてほしい」っていうのが、それこそめちゃくちゃ幸せって感じじゃなくて、本当に普通に幸せに暮らしていてほしい、笑って暮らしてほしいというものだと、ひどく共感する。その感覚をより具体的に言えば、おこがましくも昔自分やその他仲の良かった友人たちとみんなで一緒に過ごした時間みたいな、そういった楽しい時間のある日々を送っていてほしいといったものになるのだが(向こうも楽しいと思ってくれていたのかは知ることはできないが)、まあこういったものは勝手に想像するだけで答え合わせできないのが常であり、the Loupesの「ANA」を聴けば、人並みに幸あれって考えている人が自分以外にもいるのを知れるだけありがたい。こうして夜道を歩いていたら、子どものころはもっと夜が怖かったのに、大人になったらそんなことはなくなるなあ、今は夜にトイレに行くのも全然怖くないし、などと思うのだが、この前映画の「シャイニング」を見た日には、気味の悪い夢を見て夜中に目を覚ましたし、それあとしばらく寝付けなかったりしたから、やっぱりまだ深層心理には夜に対する恐怖心がちょっとは残っている。次第に大学生のころみたいな気分になってきて、古本屋にでも入って漫画を立ち読みしたくなった。とはいえしない。もう大人になったから。代わりに食器用洗剤を買いにドラッグストアに入る。店内の明かりが窓から漏れている様子を道端から眺め、それがちょっと古本屋の感じに似てるなって、似てると思おうとしてるから似てるみたいに感じ、自動ドアをくぐって浴びたその光に妙な安心感を覚えた。