牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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吸い込む空気が重いのは草花の吐き出す水蒸気のせい

近頃、夏が近づいて暑くなってきたとはいえ、朝に吹いてくる風はまだ涼しくて心地がよく、昼になってもこのままの空気感が続けばいいと思いながら、通勤道中の河川敷へと続く坂道を立ちこぎでペダルを踏みつけて登っていく。坂道にはミミズの死体がいくつも張り付いていて、乾いているものもあれば、鳩や雀に掘り返されたばかりなのだろうか、まだハリやツヤを残しているものもあって、もし鳩や雀が食べようとしたのだとすれば、食べ残しも甚だしいほど全身が残っている。鳩やら雀にも、美味しいミミズ、不味いミミズといった分別があるのかは知らんが、丸々放り出すなんて勿体無い、せっかく掘り出されたミミズの命が浮かばれない。ミミズの死体をミミズの如くうねうねと避けながら登り切った坂の先には、川に沿って天端が真っ直ぐに伸びていて、その向こうから砂利道をざらざらとこすりながら原付がやってくる。原付が向かって右側を走ってやってくるから自分は左側に寄り、川を渡る橋のところまで自転車を走らせる。橋に入る手前で原付とすれ違い、原付の走ってきた道に、目には見えないが尾を引いたようにして残っているガソリンの、何の情緒も揺さぶらない安っぽい匂いが鼻をつく。橋の入り口には自転車が勢いよく入って通行人と衝突するのを防ぐために、自然と減速するように幅の狭い柵が建てられているのだが、こちらはその意図に反してできるだけ減速せずに通るべく、入り口に差し掛かる手前で大げさなカーブを描いてできるだけ橋に対して真っすぐに入射し、自転車がバランスを崩して柵に引っかからないように、くぐり際に軽く足で地面を蹴って平泳ぎの蹴伸びのようについっと通り抜ける。乗り込んだ橋の上から何気なく川をのぞいてみると、浅い川底に名前も分からない色の冴えない魚が数匹いるのが水に透けて見える。今朝から何人もの勤め人が、この橋の上からその様子を眺めながら会社へと重い足を運んでいたのであろうが、そんなことは我関せずといった具合に、泳いでいるとも漂っているとも、そのどちらともいえないぐらいの緩慢さで魚は流れに身を浸している。とはいえ当の自分も魚の人生、いや、魚生なんてものに思いを巡らせたことは一度もなく、それに思い至って初めて、果たして魚の死に際とは、寿命を迎えて天に召されるなど何匹のうちの一匹に起こりえることなのだろうか、などと考えてみたりしたが、本当はそんなことには微塵も興味はない。そんな互いに情も何もない関係性の自分たちの上空を朝ごはんを探してカラスが飛ぶ。カラスは一体全体、夏になればその真っ黒い体のせいで照り付けてくる太陽の熱を吸収し、その熱を自身の羽毛が逃がしてはくれず、ひとりでに蒸し焼きになってしまわないのだろうか。風を切って空を飛んでいれば少しは涼しいのかもしれないが、夏の空は地上より少し高いところであってもぬるい空気が満ちていて、さらには太陽を遮るものもないから、やっぱり尋常ではない暑さのように思われる。橋の先のほうには同じ方向に歩いている人がいて、橋の出口もまた入り口と同じように狭く、人と自転車は同時には通れなくなっているから、ここで思い切ってペダルをこぐ調子をあげなければ、前を歩く人とちょうど出口のあたりでかちあいそうだ。スピードを上げれば、追い抜いた末に自分のほうが先に出口にたどり着くことができそうではあるが、好きでもない労働の場へと至る時間を自ら縮めるのは気が重く、そう考えると自然とペダルまでもが重くなり、結局自分がペースを落として先に歩行者に橋から降りてもらうことにした。橋を出てすぐ右に曲がって、草花の生い茂った河川敷の天端に入る。自転車に座った自分の目線ぐらいの高さまで伸びた草花は呼気を吐き出すようにして蒸散しているのか、その間を走り抜けている間は明らかに湿度が高くなって、吸い込む空気は少しだけ重たく、それをもって草花は生きていると感じる。

 

道をゆく学生はみな半袖のシャツを着ている。自分はまだ長袖のシャツを着ていて、このぐらいの季節ではジャケットを着ているサラリーマンの姿も見かける。そんなジャケット姿のサラリーマンを見て、中学生のころに夏服への衣替えの季節になっても、ギリギリまでブレザーを着続けていた同級生を思い出し、彼なんかはきっと目立ちたがりの性格だったもんだから、みんなが半袖を着ている中、アイアムレジェンドさながら最後の1人になるまでブレザーを着続けることが自身の個性になりえると勘違いしていたのだろうが、道行くサラリーマンはそんなしょうもない理由なんぞでなく、例えば営業活動において身だしなみを整えなければならないなどといった、社会人たる理由があって着ているのだろう。最近の高校生はみな、クロスバイクかシティバイクか分からないが、とにかくいい自転車、細くて速そうな自転車に乗っている。細くて速そうな自転車の大半にはカゴはついておらず、エナメルバッグを無理矢理に前カゴに押し込んでいた自分のころとはえらく違うその様子に、高校生の身に付けるものが時代とともに洗練されていっているのを感じる。自分よりなかなか歳の離れた年配のサラリーマンの方も、これと同じようなことを、スーツにリュックを背負って通勤している自分の姿を見て感じているのだろうか。それとも、スーツにリュックはおかしい、マナー違反である、と思っているのだろうか。書いておきながら、これも魚の一生くらい興味がない。細くて速そうな自転車はだいたい細くて速そうなのに加えて軽いから、駐輪場にあると少し当たっただけで簡単に倒れてしまい、何とも言えない気持ちになる。その隣がまた細くて速そうな自転車であれば、細くて速そうな軽い自転車がぶつかっただけで横転が連鎖してしまい、ここまでくるとはっきりとイラっとしてしまう。駐輪場に隙間を見つけ、そこに自転車を乗り入れて左側に降り立つと、スーツにリュックなんて背負っちゃってるもんだから左隣に停めてある自転車との間で窮屈になり、スペースを作るために少しだけ自分の自転車を前に傾けると、自分の自転車のハンドルが右隣にある細くて速そうな自転車のハンドルにほんの少し触れてしまい、それだけなのに細くて速そうな自転車はジャッキーチェンが屋上から背面で落ちそうになったときのようにうわああああっと大袈裟に傾いていく。反射的に手を伸ばすが、気づいたときにはもう遅く、手のひらは空を切り、ガシャンと音を立てて倒れる。細くて速そうな自転車を止める人は、スタンドを地面に打ち込んでたもれ。それか両サイドにスタンドを付けて、カメラの三脚みたいに安定させてたもれ。軽いから倒れたものを起こすのも普通の自転車より楽ではあるが。そして、これだけ見た目が細くて速そうであるにもかかわらず軽いのであれば、その性能の良さに目をつけた悪いやつらに簡単に持っていかれそうであり、気が気じゃない。そういうわけで、自分は細くなくて速そうじゃなくてカゴのついた普通の自転車に乗っている。

 

細くて速そうな(実際に速い)自転車に乗った高校生に颯爽と追い抜かされながらも河川敷を抜け、信号に引っかかったところでシャツに目を落とすと羽虫が止まっている。つまむと霜のようにもろく崩れてシャツを黒く汚してしまうから、止まっているところの近くを何度か指で弾くとそのうちどこかへ飛んでいく。交差点の信号が青に変わって横断歩道を渡っている最中、こちらに曲がって来ようとする対向車が早よ渡れとぐいぐい圧をかけてくるところを、あえて落ち着き払った表情を作ってゆるりと横断し、轢けるものなら轢いてみよ、と心の中で唱える。横断歩道を渡りきり、頭の中で何度もB'zの「裸足の女神」を再生しながら自転車を走らせる。イヤホンをつけながら自転車に乗れていたころが懐かしく、今思えば危なかった行動なんていくらでもある。この長い長い下り坂を君を自転車の後ろに乗せてブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下っていくのが許されていた時代。それが今は警察に検挙される行為なんてことをいちいち考えては消え失せる情緒。せめてゆっくりゆっくり下っていってんだから許してくれ。夏目漱石の自転車日記を読むと、普通に自転車に乗ることすら実は高度なことのように思えてきて、そんな難しいことを自分は会社の行き帰りに毎日しているとも思えてくる。いや、これまたそう考えただけで本当にそうは思っていない。夏目漱石の名前には夏が入っているけれど、あまり夏という感じはないなあ、と考えながら、もうすぐ会社も近づいてきて、会社の手前にある小さな坂を登り切ったころには吹く風は涼しいとは言っていたがうっすらと汗をかいており、夏目漱石の名前からは漂ってこない夏の気配を感じる。