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稲妻とあおさ汁の閃き

この前(とはいえ結構前)、関ジャムのミスチル特集回を見てからというもの、改めてミスチルいいなあとなっている。

 

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中学生くらいのころにサイのジャケットのベストアルバムを結構聴いていて、中でも自分は「名もなき詩」が好きで、

成り行きまかせの恋におち

時には誰かを傷つけたとしても

その度心いためる様な時代じゃない

ってフレーズが仮に、仮に頭に浮かんだとして、ここまで来れたとして、それを歌にして発表しようとするのがすごい、しかも早口で、みたいなことをよくも分からないくせに考えていた。ほんでもってその後に一回「だぁけぇどぉ」って挟むのがええなと、歌い方もカッコええなと、そんなことも思っておりました(今でも思っております)。「名もなき詩」で思い出すのはいつかのイッテQ。山の中でウンコがしたくなった宮川大輔が、周りのスタッフに排泄の音が聞こえるのが恥ずかしくて、隣にいたディレクターに何か歌を歌って音姫の代わり的なことをしてくれと頼むと、そのディレクターが「ちょっとぐらいの汚れ物ならばぁ」と歌い出したのがめちゃくちゃ面白かった記憶がある。でも、そんなしょうもないシーン(いや面白かったけど)に上書きされてしまうほど「名もなき詩」はヤワではなくて、聴くたびに毎回ちゃんといい曲だと思える。

 

 

関ジャムではアルバムの「深海」が紹介されていて、ちょくちょく名盤との噂を耳にするし、聴いたことがなかったので聴いてみた。

 

深海

深海

  • アーティスト:Mr.Children
  • Toysfactoryレコード
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「名もなき詩」の後ろに長渕みたいな歌い方の「So Let's Get Truth」が控えていて面食らったけれど、普通にいい曲だった。最後に収録されているアルバムと同じタイトルの「深海」がかっこよくて、アウトローの演奏の後ろで歌い続ける感じを聴いていて、ビートルズの「Hey Jude」とかOasisの「All Around The World」とかをなんとなく思い出した。改めて考えてみるとミスチルのアルバムはベストの他に、「IT'S A WONDERFUL WORLD」と「シフクノオト」、「I ♡ U」くらいしか聴いたことがない。こういったアーティストはミスチルだけではなくて、例えばスピッツなども「Crispy!」から「フェイクファー」までと「スーベニア」から「とげまる」まで、そして「花鳥風月」、「おるたな」以外のアルバムは聴いていない。ここでスピッツを例に挙げたのは、「名もなき詩」の歌詞の「その度心いためる様な時代じゃない」ってところの"時代"繋がりで、「スピカ」の「ふり向けば 優しさに飢えた 優しげな時代で」って歌詞を思い出して、草野マサムネはこの部分をどんぐらいのテンションで、というのか、どれくらい風刺の気持ちを込めて歌にしたんだろうかと気になったからである。

 


スピッツ / スピカ


最近はいよいよ夏が近づいてきたのを感じる。先週日曜日の夜の雷雨からもそれを感じた。その日は夜になると開けていた窓の外から雨音が聞こえてきて、窓を閉めようとカーテンをめくると、その瞬間に空が一瞬光って遠くで雷が鳴った。急いで窓を閉めようとすると、網戸がひっかかってうまく閉まらなかった。夕方に洗濯物を取り込むときに外れたのを直したつもりがうまくはめられていなかった。よりによってこんなときに、と思いながら網戸をレールにはめ直している間にも空は何度も明滅していて、ちょっとこんなに雷が落ちてくるのは経験したことがないというほどの頻度で光るものだったから、網戸を直し窓を閉め終わったあとも、しばらく窓の側に立って空の様子を眺め続けた。ベランダから見える空の左端のほうが本当に十秒に一回くらいの頻度、ときにはそれより短い頻度で光った。空が一瞬明るくなるのだけれど、音はそんなに大きくはなくて、雷雲はまだまだ遠いのかもしれないが、遠いのにこんなに光るんだというほどに明るくなる。そんなことを考えながら外の様子を眺めていると、白い稲妻が空から真下に落ちるのが見えた。こんなにはっきりと落雷が見えたのは初めてで、少しだけ興奮を覚え、エンゼルスの大谷の同僚であるトラウトのWikipediaを読んでいるときにストームチェイサーなる存在を知ったことを思い出し、ストームチェイサーなる人たちもまた、こういった興奮を求めて嵐を追いかけるのだろうなどと考えた。雨音が強くなり、空の光る位置が左側から正面に変化してきたことから、雷を湛えた雲が家の近くまで来たことが分かった。空が光ってから鳴る音が次第に大きくなっていき、光る間隔も短くなっていく。正面に再び稲妻が落ちて、その一瞬窓の外が真っ白に明るくなった。雷が落ちると本当にその瞬間は町がとてつもなく明るくなる。低くて重い雷鳴で窓が震えるのを、くっつけていた額を通して感じとった。雨足の弱まりとともに雷雲は家から遠ざかっていき、雷による光の強さも落ち着いていったが、それでも時々は空全体を真っ白に明るくさせた。稲光が暗い空を横になって走る。音が遠ざかる。遠くで光る雷の色はオレンジに変わって、空の低いところだけを照らしていた。

 

 

雷以外にも、天気の良い日に大きい雲が浮かんでいるのを見ると、勝手に夏が近づいてきたなあなんてことを思うが、その雲が夏が近づいてきた証拠となるものなのかは知らない。知らないくせに、変化に乏しい毎日にいるから無理矢理にそういうふうに思う。

 

この前、回るけれど百円じゃない高いお寿司屋に食べに行って、自分はそこのお店にあるあおさ汁が好きで、これってやろうと思えば家でも作れるんじゃないか?と閃いた。早速スーパーに赴き、赤だしを買おうとお味噌のコーナーに行くと、液味噌が並んでいるのを見つけて、そういえば液味噌の存在は知っていたけれどなぜかアウトオブ眼中になっていたな、一人暮らしだったら液味噌って結構便利なんじゃないか、と思い、赤だしの液味噌を買うことにした。それから乾燥したあおさを買おうと値段を見てみると、入っている量のわりに思いのほか高くてびっくりした。水で戻したら体積が増えるとはいえ、これぐらいの量だったらすぐに使い切ってしまいそうだなとなりながらも、家であのお寿司屋と同じようなあおさ汁を食べられるかもしれないというワクワクのほうが大きくてカゴに入れた。そのままスーパーでサーモンいくら丼を買って、早速食べてやろうと意気込んで家に帰った。ワクワクしながら電気ケトルでお湯を沸かし、乾燥あおさをパッケージに書かれている一度水で戻してから使ってくださいとの説明文を無視して直接お椀に入れ、液味噌を大さじ一杯、沸いたお湯を注いでグルグルかき混ぜ、いい感じにあおさがほどけてきたところでズズズとすすってみるともう全然ダメ。全然違う。なんかもう旨みが全然ない。あおさもなんだかにおいがキツい。これは一度水で戻さずに直接入れたせいかもしれない。ほんでもってあれはお店で食べるから、外食のテンションも相まって美味しく感じていたのだろうと気づく。家具屋でええやん、オシャレやん、と思って買った家具をいざ家に持って帰ってきたら、一気に部屋の生活感に飲み込まれて平凡に見えてくるのと似ている。夏は暑いからあんまりお味噌汁みたいな熱いものを飲む気にならないし、全部が裏目に出ている。