なんか川っていいなあと常々思っているので、江國香織の「川のある街」を読んだ。
江國香織の小説はかなり前に「流しのしたの骨」だけ読んだことがあり、いまいちその内容も覚えていないのだけれど、この「川のある街」は好みの作風だった。特に収録されている三つの話のうちの一つ目が良かった。主人公が河川敷を歩くシーンの描写なんかは、自分もよく河川敷を歩くもんだから見たことのある光景が書かれていて、単純に共感できて面白かった。個人的に
ここのミックスジュースはつめたくておいしい。氷が入っていないところも望子の好みだ。氷がガラガラ入っていると、溶けてジュースが薄まって、途中から、何をのんでいるのかわからないへんな液体になってしまう。
や
(中略)仕度をする母親を望子はじっと観察する。おもしろいし、きまった手順のあるところがいいのだ。望子は手順というものが好きだ。学校がある日は望子の方が先に家をでるので観察できないが、一時間目の授業中にときどき、いまごろシャワーを浴びているかなとか、いま服を選んだとか、想像することがある。
などの、別に変わった行動や思考じゃないけど、それらによって人物像にリアリティが出るというか、生きてる、生活している人間って感じが出る描写が好きで、読んでいるときになんとなく長嶋有の「問いのない答え」を思い出したりした。
「川のある街」の舞台となっている河川敷は一体どこなんだろうと気になり、ちょうど最近Windowsのタスクバーに突然現れた謎のCopilotとかいうAIに質問すれば検索してくれる機能があったなと思い聞いてみたところ、「埼京線が通る都内が舞台」という回答が返って来た。そこにはちゃんと出典も記されていて、それはどうやら読書メーターの感想から引っ張ってきた回答らしく、ほんならそこにもっと詳しい情報があるかもと感想を覗きに行くと、赤羽が舞台との情報が得られた。さらには作中に自然観察公園とやらも出てきたので、それらの情報をもとに調べてみた結果、舞台となっている河川敷は荒川の河川敷らしいことが分かった。ということで、最近行ってないしいっちょ行くかと東京に行った。
東京の川の情報を得るにあたってちょくちょく覗いていたこのサイトを参考に荒川を訪ねた。
ブログの通り南砂町で降りて荒川河川敷まで歩く。坂を登って土手に出ると荒川と河川敷が見渡せるようになり、一目見て良いなと思った。
まずランニングやサイクリングに散歩をしている人がたくさんいる。人がたくさんいるのは良い河川敷。しばらく歩いてみるとアスファルトで舗装された道から川岸までの間の芝生のエリアに定期的に花壇が現れて、それが河川敷に彩りを与えていた。
対岸には首都高が走っている。遠くの方までずうっと続いていくその姿を見ていると、子どものころにたまに見ていたNHKの子どもが主役の海外ドラマのオープニングを思い出した。確かそんな映像が流れていた気がする。ハイウェイ。目の前に伸びている首都高はハイウェイというのか*1。遠くから眺める車の動きはずいぶんゆっくりに見えて、そのスピード感は実際に高速道路を走る車内で感じるものと一致しない。荒川の印象としては、淀川のキレイ版(しかも結構な)って感じで、川幅が広くて遮るものがないから風がとてつもなく強いのも淀川に似ていた。その風がすれ違うおっちゃんのウィンドブレーカーをバタバタと音が鳴るくらいはためかせる。風は背中から、つまりは海のほうから絶えず吹き続けていた。「川のある街」では自転車に乗ったサラリーマンの背広がはためく描写があったが、ここでは歩くだけでも強い風で服がはためく。「川のある街」の河川敷は赤羽近くのようだから、ここよりももっと上流の内陸側では風はもっと穏やかなのかもしれない。荒川からはスカイツリーが見えて、ホンマにMomの言う通り、どこに住んだって見えちゃうスカイツリーって感じやなと思った。河川敷の空き地には、輪っかの付いた高さの違うポールを三本立て、その輪っかにボールを通し合う謎の球技をしている人たちがいて、以前東京に来たときに代々木公園でモルックをしている団体を見たのを思い出し、東京では見慣れない競技が平然と行われている(この輪っかを通す球技の名前が調べても全然分からないので、知ってる方がいれば教えていただきたい。気になる......)。代々木公園のことを思い出したら、またどこでもいいから東京の公園に行きたくなり、今回は井の頭公園に行くことにした。正式名称、都立井の頭恩賜公園。東京には恩賜公園がいっぱい。到着し、とりあえず入口近くのトイレで小便をしようと便器の前に立つと無数の蚊が便器に張り付いていた。多分死んでいるんだろうけれど、生きているのもいるのかもしれない。小便をしている間にこんな数の蚊に局部を噛まれでもしたらめちゃくちゃかゆいだろうと、あるのかないのかわからないことを想像をする。特に事前情報を入れずに訪ねた井の頭公園だったが真ん中にでっかい池があり、真ん中にでっかい池がある公園はそれはもう良い公園だから、良い公園っぽいなと初見で思った。池の周りには、池のすぐそばに沿って、それから池から歩道を挟んで少し離れたところにベンチが置かれていて、若者カップルやら学生たち、親子連れ、老夫婦など様々な人たちがそこに座っていた。池の上には普通のボートやらスワンボートやらが四、五隻ほど浮かんでいる。普通のボートに乗っている三人組の女子高生だか中学生だかは、やたらと楽しそうにはしゃいでいた。散歩をしている人も多く、人がたくさんいるのは良い公園なので、真ん中にでっかい池があるのとの合わせ技一本で井の頭公園は良い公園と早くも自分の中で確定した。公園で聞こえてくる会話のほとんどは標準語で(正直それが標準語なのか正確には分からない、ただ関西弁ではないってだけ)、それで東京に来たなあと感じる。池に沿って歩いていくと何やら立札があるのを見つける。
立札には「ここが神田川の源流です」と書かれており、古川日出男の「サマーバケーションEP」やん!となる。
そう言えばあれって井の頭公園から出発してたっけ、と全く内容を覚えていない。そこから先に進むと緑色の線路みたいなものが目に入って、これまたなんかで見たなあと引っ掛かり、最近よく聴いているpeanut buttersのなにかしらのPVに出てきた風景じゃないかと思った。
しばらく考えながら歩いているうちに、それが「ツナマヨネーズ」のPVだということにピンと来て、なぜかその思い出せたことにめちゃくちゃ嬉しくなった。
peanut butters - 「ツナマヨネーズ (band ver.) 」Music Video
緑色の線路には井の頭線と書かれていて、その下を頻繁に人がくぐっていく。よくもまあこんなに人が通るところでギターを抱えて動画を回したな、恥ずかしくなかったのかな、と別に神経を疑うという意味ではなく、本当にそのまま恥ずかしくなかったのかという意味で思い、それから急激にPVを見たくなったのだけれど、自分のスマホプラン的にここでYouTubeの動画を見るのは無茶なので、とりあえず曲だけを聴くことにした。聴きながら引き続き公園内を歩いていると、これまでpeanut buttersの曲では一番初期の「peanut butter」が一番好きだったのが、急に「ツナマヨネーズ」もそれに勝るとも劣らないぐらい良く思えてきて、それは井の頭公園で過ごす学生たちの姿を見て勝手に青春感を感じ、その感じが曲にまで反映されたからかもしれなかった。我ながら単純だとは思いながらも、東京で過ごす学生生活って楽しそう、公園が多いし、何かあったら友達と公園に行ってなんでもない時間をベンチに座って過ごすみたいなことができそう、などと想像する。自分が学生時代に聴いていた井の頭公園の曲と言えばandymoriの「ハッピーエンド」なので、これも聴く。
そして自分は隅田川が好きなので、隅田川にも夜にちゃっかり訪問した。より楽しむために松本哉の「すみだ川気まま絵図」を読んでから行った。
こういう本を読んでいてつくづく思うのが、自分はその土地の歴史的背景などにはあんまり興味をもてず、単純に見た風景の感じが好きになるだけということだった。まあそんなことはいいとして、やっぱり夜の隅田川は良かった。芥川龍之介の「都会で」に書かれている詩人S・Mが夜の隅田川を表現した一言
羊羹のやうに流れてゐる
を確かめるべく、川面をじっと見つめてみる。
確かに川面はてらてらと光っているが、波打っているために光がゆらゆらと揺れているのが羊羹とは違っていて、芥川龍之介の時代?はもっと川面は静かで凪いでいたのかとか考える。でもその水気を含んだつやのある光り方(水気もなにもそこは川)は羊羹っぽい。そう思いつつも、今の時代の人間である自分は、蔵前橋の黄色いライトを弾いて黄金色の波がざわめき立っている、派手で綺麗な風景のほうにテンションが上がる。
黄金WAVE。
とはいえ夜の隅田川の良いところは、落ち着いた雰囲気でありながらも適度に人がいて(ランニングしている人に釣りをしている人、駄弁っている人など)寂しくないところで、たまにやって来る遊覧船の立てた波が時間をかけてゆっくりと岸までたどり着き、優しくぶつかってざぱんと鳴る音などは本当に心地がいい。夜の隅田川はずっと歩ける気分になるし、ここにしかない空気に胸が満たされるように思う。
*1:ハイウェイは無料の幹線道路のことで、高速道路は該当しないとあとで調べたら出てきた(highwayの意味・使い方・読み方|英辞郎 on the WEB)