牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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やぶにらみの東京

三日くらい前に都筑道夫の「やぶにらみの時計」を読み終わった。

 

 

 きみの目蓋は、たしかに重い。けれど、盤陀づけされてしまったわけではない。だから、その気になれば、持ちあげられる。その気になって、そっと持ちゃげてみるとしよう。まず、目蓋が半透明になる。光がさしこんだのだろう。

書き出しの二人称での知覚や風景の描写が良さそうだったので期待しながら読んだ。要所要所でグッと来るところはあったけれど、描写をもっとしつこく詳細に書き込んでくれてもいいと思った(それが自分の好みってだけだけれど)。描かれている舞台は一九六〇年代の東京で、具体的な地名がいくつも出てきたが、いまいちその場所のイメージや雰囲気がつかめなかった。「やぶにらみの時計」の前に山内マリコの「東京23話」を読んでいたときも、同じように書かれていることにあんまりピンと来なくて、それは単純に自分が東京をあまり知らない(実際に東京で時間を過ごしていない)からだった。

 

 

ピンと来ないとは言ったものの、個人的に三年くらい前からなんとなく東京が好きになって来て、東京が舞台の作品を読むと安易に東京に行きたくなる。東京は小説以外にも音楽やら漫画やらで出てくることが多いから、東京を訪ねるとそれは勝手に小さな聖地巡礼がたくさんみたいになって楽しい。東京という言葉から自分が真っ先に思い浮かべるのは隅田川のあたりで、隅田川は今まで三度ほど訪ねたことがある。隅田川では小名木川と合流する地点が好きで、他の地点よりも水面の面積が大きく、たくさんの太陽の光を跳ね返して明るいのが良い。

 

 

夜の隅田川も遠くから届くスカイツリーや高速道路の光、ライトアップされた橋の光などに照らされて明るく、川沿いの綺麗に整備された舗道でおしゃべりをしている人たちが、夜にも関わらずそこそこいるのが良い。夜の隅田川を見たあとに芥川龍之介の「都会で」の一節

夜半の隅田川は何度見ても、詩人S・Mの言葉を越えることは出来ない。──「羊羹のやうに流れてゐる。」

を知ったときには、途端に記憶の中の夜の隅田川の水面が、周囲の街の光を照り返してつるつるぷるぷるしていたように思えてきて、近いうちにそれを確かめにもう一度行きたいと思った。そんなふうに自分は隅田川が好きで、たまに隅田川の近くに住んだら……と想像することがあるのだが(想像する生活は全然リアリティのあるものではなく、ただただ毎日晴れた日のお昼に隅田川に散歩に出かける、働いてなんていないありえない生活)、実際に東京に住んでいる人にとって隅田川がどれほど身近な川なのかが気になる。隅田川がいいと思えるのは、住んでいないからこそってことには気づいていて、現に自分が今暮らしている地域にほど近い有名な観光スポットなんかには、行ったとしても自分の生活との距離が近すぎて気分を遠くまで飛ばせない、普段の生活の空気感から抜け出せないから、気分が上がりきらない。これと同じように東京在住の人の中には、隅田川がしみったれて見える人もいるのだろう。Momの「雑稿 pt.1」を聴いていると、

どこに住んだって見えちゃうスカイツリー
逃げも隠れもしないってのに

って歌詞が出てきて、そういえば我妻俊樹もブログでスカイツリーを不気味なものとして捉えていたなと思い出し(こちらはスカイツリーに監視されているのは自分たちではなく、もっと他に監視されるべき何かがあるのではないか、といった内容だった)、実際にスカイツリーに対して、見るとワクワクする自分とは違う見方をしている人たちがいる(二人が東京に住んでいるのかは知らない)。

 


雑稿 pt.1

 

57577.hatenadiary.com

 

でも、東京に住んでいる人のうち、ランニングコースとして隅田川を気に入っている人や、反対に嫌な思い出があって隅田川が好きじゃない人、隅田川のことなんて考えたこともないし、これから考えることもないって人など、様々な人がいるっていうのは考えてみれば当たり前のことで、本当に自分が気になっているのは、自分と同じような感じで隅田川が気に入っている人がいるのかどうかで(それこそ、そんな人は絶対いるとは思うけれど)、そう言っている人を実際にこの目で見たい、あ、ホンマにおるやんって思いたい。なんでそう思いたいのかは自分でもよく分からない。Momの新しいアルバム「悲しい出来事 -THE OVERKILL-」はいいんだけれど、歌詞が結構切迫しているというか現実の生活に踏み込んだ内容になっているから、通して聴くと疲れてしまう。それを中和するために聴いていたラッキーオールドサンの「I wanna be your boyfriend」では、「東京タワー蹴とばして」ってなふうに歌われている。

 


I wanna be your boyfriend

 

東京タワーも建てられたばかりのころは不気味がられていたのかもしれないし、今はスカイツリーができたことで、落ちぶれた天才みたいな感じで、蹴とばそうと思えるぐらいの親近感を抱けるようになったのかもしれない。芥川龍之介や永井荷風の随筆を読んでいると当時も変わりゆく東京の姿を嘆いていて、そんなことを繰り返しながら時代は流れていくんだろうなと何の実感も抱かず言葉だけで思い、例えば百年後の東京でスカイツリーは一体どんな存在になっているんだろうか、とこっちは割と真剣に気になって想像してみたが、東京で暮らしていない自分には過去と今の東京タワーの印象が変わっていないように(というよりも見てきていない)、今と未来のスカイツリーの印象もどう変わっていくのか全く見当もつかなかった。