牛車で往く

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新宿 日比谷 知らない人たちでもベイベー(東京旅行 二日目)

東京旅行二日目。これの続き。

 

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朝になって浅草のホテルを出て、最後にもう一度隅田川を歩こうと川沿いを駒形橋まで歩く。休日というのもあってか、朝からランニングしている人の姿がよく目につく。スカイツリーのほうに目をやると、昨日の夜はあんなにライトアップしていたけれど今はすっぴんだからと、素知らぬ顔をしているように感じられる。とはいえ歩きながら昨日の夜に散歩したときの良さを思い出し、それがそのまま朝の隅田川の情景に重なるから、今この瞬間の散歩も良く感じられてくる。多分、昨日の面白くなかった夕方の散歩も、夜の隅田川の良さを知っていればまた違ったものになっていたのだろう。

 

今日は神楽坂に行ってみたくて、地下鉄大江戸線の蔵前駅から電車に乗るために、階段を上がって隅田川沿いの舗道を離れ、来た方向に戻るように町を歩いた。バンダイナムコの本社がまた見える。キャラクターたちの騒がしさと街の区画正しさが合っていない。蔵前駅で地下鉄への階段を降りているときに、いつも使っている関西の地下鉄よりも一階層深く降りているように感じられて、東京は他のところよりも地下に収納されている設備やらが多いからなのだろうかと考えたけれど、結局のところそれが本当かどうかは分からなかった。飯田橋駅でも、ホームから改札にたどり着くためには長いエスカレーターをいくつか乗り継ぐ必要があって、江ノ島エスカーよりよっぽどエスカーやん、もう飯田橋エスカーって名乗ってええぐらいやん、そもそも江ノ島エスカーって思ってたより短かったしな、などと思いながら、やたらと長いエスカレーターに乗ってぐわんぐわんと体を運ばれていった(江ノ島エスカーのエスカーという名は、上りだけのエスカレーターが由来らしいから、飯田橋エスカーと名付けるのは間違っていますね。そもそも私が知らないだけで、飯田橋のみでなく東京にはまだまだ長いエスカレーターのある地下鉄の駅があるかもしれないので、いちいち騒いでいたらキリがないのかもしれません。てか大江戸線はだいたいこの深さだから大抵長いエスカレーターか)。

 

 

飯田橋駅を出て、東京散歩というサイトの地図を参考に神楽坂を目指すが、道が分からず迷う。神楽坂に至るまでの中間地点である東京大神宮になかなかたどり着けず、ただでさえへたっているスマホのバッテリーが一気に減ってしまうから極力使いたくなかった位置情報をオンにしてルートを探ると、大体のところまでは来れているようで、今いる地点を目に焼き付けてから位置情報をオフにし、それからは地図を頼りに歩いてなんとかたどり着いた。たどり着いたはいいが、地図でいうところの東京大神宮のどの角のあたりに自分が立っているのかが分からず、周りの建物などから考えてみても全く見当がつかないから、本当に自分は地図が読めないんだなと実感する。なんだか途端に神楽坂を目指すのが面倒くさくなり、行くのをやめて東京駅に帰りの新幹線の切符を買いに、あとは荷物を預けに行くことにした。東京メトロの飯田橋駅から大手町駅まで電車に乗り、地下通路を歩く。荷物を預ける前にJRの切符売り場があったから、帰りの新幹線の指定席の切符を買おうと券売機の前に立ったのだが、いつも新幹線の切符を買うときに使っている券売機と見た目が違う。でも自身の新幹線の切符購入体験の少なさから、その違和感を信じ切ることができず、画面上にも新幹線の切符と書かれたボタンがあったから、まあここでも買えるんだろうと画面をタッチしてみる。購入手続きを進めていくと、座席を指定していないにもかかわらず料金の投入を求められ、一度戸惑ってキャンセルしたのだが、始めからやり直してみてもやっぱりこの手順が購入方法としては合っているようで、料金を投入してから席が選べるのだろうと、とりあえず画面に出ている金額を入れることにした。そうすると料金を投入した直後に、ありがとうございました、という音声とともにオレンジ色の自由席の切符が出てきた。おいおいおい、指定席買えへんのかい、となり、画面上に払い戻しのボタンがあったからそこを押して切符を投入したところ、購入した切符は券売機での払い戻しに対応しておらず、ガチャン!という音とともに小銭投入口が閉められ、返却いたします、という画面の表示とともに入れた切符が吐き出されて戻ってきた。もう一度やってみてもやはり無理なようでどうにもできない。とにかく小銭の投入口をガチャン!と閉じるのは、全てを拒絶されている感じがあるからやめてほしい。別にそんなタイミングで小銭を入れるつもりなんてないのに、それすらもできなくする拒絶っぷりをもう少し和らげてほしい。あかんっ!なんか分からんけど無理そうや!ええいっ、小銭ぶち込んだれ!なんてことにはならないから。逆にそこを閉じるということは、最終的に困ったときにぶち込もうとするやつがこの世にはいるのか?お金を返してほしいのに、それがどうにもならんからって、とりあえずお金を払うからお金を返してくれいっ、みたいな感じでぶち込むやつがいるのか?しかも機械相手に。困ったもんだと立ち尽くしていると、そういえばさっきここにたどり着くまでにみどりの窓口を案内した看板を目にしたなとなり、辺りを探してみるとすぐ隣にあるのを見つけたのだが、みどりの窓口にはすでにまあまあの人が並んでいて並ぶのがめんどくさくなり、その手前に見慣れた新幹線の券売機があったので、とりあえずそこでも払い戻しができないか試してみることにした。が、やはりここでも払い戻しはできず、諦めてみどりの窓口に並ぶことにした。思っていたよりもスムーズに列は消化されていく。おそらくこの自分の手元にある間違えて購入してしまった自由席の切符を指定席に変えてほしいと頼むと、その願いは叶えてもらえるのだろうが、券売機のように希望の席を自分でゆっくりとは選べず、いちいち駅員に口で説明して、ここでいいですか?と聞かれてはその良し悪しを問答することになるのだろう、うーん、それはめんどくさい、それならばいっそ払い戻しでお金を返してもらってから改めて券売機で自分で買い直そう、と並びながら考える。そうすると、窓口で何かしらの切符を払い戻そうとしているおじさんが、払い戻しをする際には手数料がかかりますがよろしいでしょうか?と駅員に聞かれているのが耳に入ってきた。ん?払い戻しにもお金がかかるのか?そうであれば、やっぱりこの窓口で指定席に変えたいんですけど、と申し出た方がいいのではないか?などと思ったのだが、まだまだ心の中にはめんどくさいという気持ちが居座っている。その気持ちを抱えたまま自分の順番がやって来て、払い戻したいんですけど、と言うとやはり、手数料がかかります、さらには乗車券と特急券の二枚それぞれにかかりますとのこと。マジかよと思いつつも、もうめんどうくささが買ってしまい、手数料がかかってもいいので払い戻しで、と強行してしまった。自分にはこういうところがあって、損をするとわかっていてもなんだか無理矢理もういいやとなることが多い。ああ多い多い、どうにか治したほうがいい、そう思いながらも、心のどこかでまあいいかと思っている自分がいる。あな恐ろしや、自身の性格を改めるのはこうも難しいものなのか。

 

とりあえず払い戻しを済ませて、隣の見慣れた新幹線の券売機で帰りの切符を手に入れ、近くのロッカーに荷物を預ける。ICカードでタッチすれば、支払いもできるし、ロッカーの場所も記憶される便利さに未だに感心する。少し早いがお昼ご飯を食べようと東京駅の地下を散策する。カレーにしようと思い、恋とスパイスというお店を見つけたのだが、名前に恋が入っている手前、男ひとりでは入りづらくて見送る。ラーメンストリートに入って、いっそのこと昨日の晩に豚骨ラーメンを食べたけれどもういっちょ行くか、と一瞬考えたが、十二時前にもかかわらずお店が混んでいたのでやっぱり見送る。まだまだお店が見つからないのでずんずん地下を歩いて探す。八重洲の地下街にTOKYO CURRY QUARTETなる一帯を見つけて、カルテットを構成する四つのお店の看板を眺めてみると、スープカレーやら外国のスパイスカレーやらばかりで、なんか違うなあ、普通のカレーが食べたいねんなあ、となり、これまたこれまた見送る。見送ったのち、その一帯沿いを歩いていると、壁に美味しそうなカツカレーの写真が貼られているのを見つけて、ん?こんなんあったっけ?となり引き返す。引き返してもう一度カルテットの看板を見ると、銀座スイスというお店で美味しそうなカツカレーが売られているようで、だから入った。カウンターに座る。カツカレーを頼む。席が並んだカウンターの中央に店員がコップと水の入ったピッチャーを携えて控えており、座った席がそのすぐ右隣であったので落ち着かない。スマホをいじって、行ってみたかった新宿御苑への行き方を調べる。コロナ禍になってから、とにかく広い空間はいいなと思い始めて、東京にはそういった公園やらが数多くあって、その中でも新宿御苑が気になっていた。調べているとカツカレーがやってきて、そのルーにはミンチが入っていて汁気が少なかった。あとは単純にルーの量が少なくて、カレーにおいてルーはなんぼあってもいいもんだから、出し惜しみなくかけてほしいと心の中で不満を言う。カツをかじると柔らかいけれど、めちゃくちゃ美味しいわけではないと感じる銀座カレー。おそらく自分は大衆向けのカレーの味に慣らされている。

 

食べ終わって新宿御苑に行く。新宿三丁目駅で降りてからイヤホンを耳に挿してカネコアヤノの「天使とスーパーカー」を流す。

 

 

東京には本当に色んな格好をした人がいて、ゴスロリだったり、髪の色がオレンジだったり、およそ自分の住んでいる関西ではあまり見かけない見た目の人が普通にそこらへんを歩いている。最近流行っているのか、首回りの襟と袖が色で縁取られたTシャツ(リンガーTシャツというらしい)をジーパンにインしているファッションの人も結構目にした。そういう人たちを見て、やっぱり東京は自由というか、色んな人がいる分自分もやりたいことをしやすい、東京のほうが生きやすい人もたくさんいるだろうなと思うと同時に、普段はあまり意識しない自分の住んでいる町の普通って感覚と、それに由来する自分の中の普通って感覚を改めて意識した。目線は同じだから新宿知らない人たちでもベイベー。

 

新宿御苑の入り口が見えてきて、新宿御苑に入る前に入り口手前のインフォメーションセンターで用を足す。出てから入り口の写真を撮る。

 

 

チケットを買って(500円)改札にQRコードを読み込ませて入場。とりあえず人の少なそうな右側に進むと、すぐに芝生が広がっていて、その上に数人が寝転んでいる。そこから木に覆われた小道に入って、小道を抜けた先は日本庭園になっていて(看板にそう書かれていた)、庭園への入り際に空を見ると雲の隙間から青空が覗いていた。

 

 

青空が覗いていたって書くと、青空が雲の隙間から下界を見下ろしているといったニュアンスが出て、青空なのに北風と太陽に出てくる、顔のある太陽の絵が頭に浮かぶ。庭園の写真を撮る。

 

 

池の周囲全体を撮りたかったけれど、スマホの画角ではどうにも収められずもどかしい。自分の撮影技術が拙いだけの可能性もあるが、なにせスマホで撮った写真はのっぺりとしていて、実際に見たときの臨場感がない。庭園を右から回るようにして見ようと橋を渡る。植えられている生垣は、つるんとまんまるに剪定されていて、なにかピッタリのフタをかぶせたくなる。

 

 

一つ目の橋の上から右を向くと、スパイダーマンが闘ってそうな海外の建物みたいな塔が建っている(NTTドコモ代々木ビルだそう)。

 

 

二つ目の橋の上から日本庭園を眺めてみても、あまり感動はしなくて、そのままふーんと通り過ぎていく。庭園の中にも芝生があって、庭師か御苑を管理している人かは分からないが、太いダクトのついた送風機を使って木の葉などを吹き飛ばして掃除していた。芝生は綺麗に表面がならされていて、光が干渉したかのように地面の起伏に沿って縞模様ができている。

 

 

間近で芝生を見ると切りたてのようで、眉毛を剃ったばかりのときと同じように、草の先の断面の角が立っていて固そうだった。頭上に木の枝葉が覆い被さった影のある道を歩き、そこを抜けるとまた左手に傾斜の上がっていく芝生が出てきた。カップルや夫婦たちがちょうど2人分の大きさのレジャーシートを敷いてくつろいでいる。その下を歩く。そこの生垣は、枝の先の新葉だろうか、一部分だけが明るくて光っているように見えた。

 

 

庭園を抜けると、めちゃくちゃ広い芝生が広がっている。

 

 

芝生の上で寝転びたいけれど、こんなときにも人の目が気になって、ひとりでは何も敷かずにそうはできない。している人もいるのに。とはいえちょっとは芝生に入ってみたいから、端の方に足を踏み入れてみるとふかふかとしている。良い。そのまま芝生ゾーンの縁をなぞって歩く。芝生ゾーンを外れた先には背の高い木の並木道が伸びていて、その足元にはベンチが並べられている(プラタナス並木)。誘われるようにその方向に向かい、空いているベンチに腰を下ろしてファミマで買ったジャスミンティーを飲んで一息つく。左のベンチに目をやると、自分のすぐそばを歩いてきていたスーツの男性もベンチに座っている。十分くらいぼーっとしたあとに立ち上がって歩き出すと、背の高い花が植えられている一帯があったが、特に興味はそそられなかったのでそちらには行かず、さっき来た芝生ゾーンの反対側に沿って歩き、入ってきた新宿門に戻ろうと石畳みの道を進む。初めて訪れた新宿御苑は広くて、でも単純な公園よりは少しだけ雰囲気が固いような気がする。でも、御苑なんだからそれはそうかとも思う。ただ、芝生でくつろいでいる人たちはみな何にも追われてなさそうで、そんな人たちが作る雰囲気によって御苑にはゆったりとした時間が流れていて良かった。もっと世の中に芝生が増えればいいと、自分で手入れもしないくせに思う。


新宿御苑を後にして喫茶店で休憩し、次は日比谷公園に行くことにする。日比谷公園にはYouTubeの散歩動画や吉田修一の「パーク・ライフ」から、噴水があってその周囲にぐるりと取り囲むようにベンチがあって、少し高いところから広場を見下ろすような位置にもベンチがあるといったイメージがあって、さらには芦原義信の「街並みの美学」では、周りが樹木に囲まれた半閉鎖式の空間であると書かれていて、それらを確かめるべく向かった。東京のいいところは、色んな作品の舞台になっていて、ミーハー心がくすぐられるところにある。日比谷公園は本当に都会の中にあるといった感じで、入ってみると確かに最初の印象はあまり視覚的には広々としていなくて、樹木が多い印象を抱いた(あとで調べたのだが、自分が入ったのは祝田門というところからだった)。しばらく歩いていると、遠くからギターの音が聴こえてきて、その方向に歩いていくとどうやらその音はバンドの演奏らしいと輪郭がはっきりしてきて、ボーカルは男性のものだった。遠くに人だかりが見えてきて、そこは日比谷公園大音楽堂前の広場で、そういえば日比谷って野音があったな、とそこまで来てやっと気づいた。どうやら今日は誰かのライブがあるようで、会場の入り口には開場を待つ人たちが列をなしていて、列から離れた所には待ち合わせをしている人や、知り合いと喋って開演までの時間を潰している人などがいて、その中のひとりがSHISHAMOと書かれたTシャツを着ていた。そこを少し離れると、自分が日比谷公園と聞いて頭に浮かべる広い広場が現れて、広場を取り囲むように並んでいるベンチのいずれにも人が座っていて賑わっていた。その広場まで来ると景色は開けていて、公園を取り囲む樹木の向こうにいくつもビルが建っているのが見える。空いている白い小さな石でできた椅子のようなものに座って、「日比谷 野音 ライブ」と調べると、「SHISHAMOの野音」と出てきて、聴こえてきたボーカルの声が男性だったことからSHISHAMOの他にも誰か出るのだろうと思い、出てきたページをスクロールして他の出演バンドを探してみたが、そんな情報はどこにも書いていなかった。モヤモヤしていくつかページを開いたがやっぱりどこのサイトにも載っていなくて、そうして初めてさっきの男性ボーカルはSE的なもので、SHISHAMOのワンマンなんだということに気がついた。SHISHAMOの曲はほとんど聴かないけれど、森川葵が出ているMVの曲だけは好きで、でもそれもあまり聴かない。初めて訪れた日比谷公園から、「街並みの美学」で書かれていたような閉鎖的な印象をそこまで受けなかったけれど、それは自分が芦原義信のように海外の開放感のある広場を訪れたことがなくて、それを知らないからかもしれなかった。そして確かに、日比谷公園にはすぐ近くにある皇居外苑ほどの開放感はない。とはいえ、東京には閉鎖的であろうが広い公園がいくつもあって、そこに人が集まっているのはいいと、余所者の自分などは思う。

 

もういっそのことめちゃくちゃ東京の公園を回ってやろうか、次は東京タワーのある芝公園にでも行こうかと思ったが、昨日今日と歩き回り足も疲れていたのでやめた。またまた喫茶店に入って休憩し、そろそろ帰りの新幹線の時間も近づいてきて、東京でしかできないことを何か見落としているような気になって、でもそんなものを思い出すことはできなくて、モヤモヤしたまま東京駅の地下のロッカーに預けていた荷物を取りに行った。ロッカーの近くに来ると、なにやらその前で修学旅行生らしき学生たちが体育座りをしていて、彼らに向かって学年主任か担任かよく分からない大人がロッカーを背にして大声で話している。なんちゅうとこで集会開いてんねん、最後の注意かなにか知らんけどこんなとこでやるなんて先生常識ないんか、などと思う。そうは思えど、ちょっとすみません、と先生の話を遮ってまで荷物を取り出す勇気はないから、少しでも先生の話が早く終わるように生徒たちよ熱心に耳を傾けてくれ、と少し離れたところで迎えに来た保護者のように見守る。その願いはむなしく、これがなかなか終わらない。なかなか終わらないから、用もないのにKITTEに行く。用はないからぐるりと回っただけでKITTEを出る。ロッカーに戻ってくるとその前にはまだ人だかりがあって、先生話長いって、そんなんじゃあ嫌われちゃうって、と思うけれど、よく見たら今は話は終わったけれどなぜかみんなすぐには動き出さないといった謎の時間のようで、さっとロッカーから荷物を取り出してその場を離れた。

 

新幹線に乗り込んで東京駅を出発する。一瞬だけ、行かなかった東京タワーが赤く光っているのが窓から見える。晩御飯に買った駅弁を食べ終えてMomの「TOKYO INSTANT BABYS」を聴く。

 

 

一日目に買ったヘンリー・ソローの本を読んだり、スマホをいじったりして時間を過ごしていると、SHISHAMOのボーカルが野音で結婚を発表したとのニュースを見つけ、なんだか勝手に祝福の気持ちで胸がいっぱいになる。普段SHISHAMOの曲なんて全然聴かないし、普通に生活していてこのニュースを見たとしたら全く何も思わなかっただろうに、たまたま今日日比谷公園を訪れて、SHISHAMOのライブがあるんだとその場で知っただけで、そんな気持ちを抱いてしまっている。それから新幹線の中で森川葵の出ている曲「中庭の少女たち」のMVを見て、歌詞にグッときて、めっちゃいい曲や、SHISHAMOのボーカルも大人になって結婚してんなあ、とボーカルのことをなんも知らんくせにこれまた勝手に感動する。自分がもしSHISHAMOのボーカルと学生のころからの友人で、本人から結婚の報告を聞いた日の夜、寝る前にこの曲を聴きながら学生時代を振り返ったりしたら、人生の素晴らしさで号泣してると思う。旅の終わりで変に感傷的になっている。よく分からない気持ちで自宅に帰る。

 


SHISHAMO「中庭の少女たち」