牛車で往く

電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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よっぽど頭の切れるブタならね

パルプ・フィクションを見た(今さらの映画ですけれどネタバレ書いてます)。

 

 

一度目に見たときにはあんまり何も思わなかったのに、次の日普通に生活していたら、なんとなくあった映画の余韻でちょくちょくシーンを思い出したりして、そうして見返した二回目がめちゃくちゃ面白かった。最後のレストラン(ダイナー? コーヒーショップ?)でのシーン、サミュエル・L・ジャクソン演じるジュールスがやけに神々しく思えた。それはこの映画が時系列を組み替えた演出になっているのが関係しているのだろう。その演出自体には、あんまり映画を見てきていない自分でも映画以外の小説やら漫画やらで見たことのある手法だったため、それほど衝撃を受けなかったのだが(リアルタイムで見れない世代の残念なところでもある)、でもこの演出のおかげでジュールスが生き延びたのが、彼自身の意志によって選び取った生ってふうに映ったから神々しく思えた。

 

というか、自分は最後のレストランのシーンがたまらなく好きで、それ以外のシーンがここに至るまでの助走のように思えるほど。そもそもこのシーンの映像の質感はなんなのだろうか。自分が見たのはリマスターされたHD版だったから、1994年公開当時の画質のもので同じ質感を感じられたかどうかは分からないのだけれど、レストランの窓から入って来る光が登場人物たちの顔に作る光と影、アップになったときには毎回顔の半分に光が当たってもう半分には影が落ちている(いや影のほうが多いのか)、その陰影のおかげで目鼻立ちがやけにくっきりして見えて、それが自分に強い印象を与える。一秒一秒がすべて印象的に思えてくるのは気のせいなのか、1ヶ月も経てばなんであんな風に思っていたんだろうと冷静になるもんなのか。子どものころのブッチが顎に握りこぶしを当てながら話を聞いている表情、目つき、顔の陰影からも同じように強い印象を受けたのだが、これは自分があんまり映画を見てきていないだけで、他の作品に同じような映像の質感のものがあるのであれば、普通に教えていただきたい(単純に他のも見たい)。レストランのシーンでは

つまりブタが利口なら―
汚らわしくねえって理屈か?

よっぽど頭の切れるブタならね
ミス・ピギー程度じゃダメだ

って会話も良かった。日本人の自分でも分かるいわゆるアメリカ人のウィットに富んだ会話。英語で会話をされると、こちとら英語がよく分からんからやたらと流暢に会話しているように思える。日本語にはあまりない破裂音が音として面白いというか、それによってテンポが出ているように感じる。自分には多分、外国人をキャラクター的に見ているところがあって、ブルース・ウィリスが試合相手を殴り殺した時は何も引っ掛からなかったし、そのあとのタクシーの中での会話も普通、恋人が時計を持ってくるのを忘れて車の中でひとりブチ切れているところもそうですかって感じで見れて、なにせ引っ掛からなかったのだが、そこには自分の中でそれがアメリカ人だからっていう暗黙の了解があるからのような気がする(自分は昔、何かしらの本でアメリカ人のアイデンティティは敵と戦うことにあるという意見を読み、それがなぜか印象に残っていて、実際にアメリカ人と交流してそう感じたことがあるわけでもないのに、ずっと腑に落ちた気になっている)。仮に日本の映画でパルプ・フィクションのブルース・ウィリスみたいな役を日本人に演じさせた場合、もうちょっとあえて狂ってる感がでるというか、にわかには受け入れにくい感じがある、なんかこいつはちょっと頭がおかしいんやろうなとか、苦悩してるんやろうなとか人物の背景を勝手に想像して湿っぽくなったりする気がする。実際に英語が話せるようになれば、俳優が外国人の場合でも、もう少し演技してるっぽい喋り方だとかが分かるようになるんだろうか。表情に関して言えば、何かを言い淀んだときに斜め上を見つめて、う~む、みたいな感じになるのはちょっと演技っぽいとは思う。

 

あとは副次的なものだけれど、サミュエル・L・ジャクソンってスターウォーズのメイス・ウィンドゥやったんかいとか、ブルース・ウィルスと思ってたけどホンマはブルース・ウィリスやったんかいとか、小さい気づきの面白さもあった。個人的にレザボアドッグスよりもパルプ・フィクションのほうが好みで(キャラが良いし、映像の質感も違う気がする)、多分また見直すと思う。