牛車で往く

電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

スポンサーリンク

バッシュのスキール音だけで

仕事中に大きいほうがしたくなり向かったトイレの洋式はすでに埋まっており、空いている和式のほうに入った。自分がまだきばっている間に、先に洋式に入っていた人がすっきりと用を足し終えてトイレから出ていき、しばらくして小便をしに人が入ってきた。和式便所は入っていることに気づかれにくく、小便を終えた人が出て行くときに電気を消してしまいかねないから、存在を知らしめるためにわざとらしく鼻をすすって音を立ててみたはいいが、スッと空気が通っただけのその音に声色みたいなものがあるように思えてきて、そこから急に和式できばっているのが自分だと特定されるのではないかと不安になった、っていう最近の話。それぞれの匂いのおかげでファンタオレンジはオレンジ味に、ファンタグレープはグレープ味に思えるけれど、鼻をつまんで飲んでみれば実は一緒の味がするというのになんとなく似ていて、自分では音を出しているのが自分自身だと分かっているから特定されてしまうような気がするものの、普通に考えればドアを隔てた向こうの人には自分だなんて分かるはずがない。とはいえ、やっぱり自分からすれば自分の鼻の音は自分によるものでしかないから、不安は拭いきれない。それに加えて、どうしても百パーセントバレるはずがないと思えないのは、この状況では大きいほうをしている自分側は不利な立場にある気がしているからで、かまいたちが漫才で言っていたとおり、トイレではよくフェアじゃない状況が生まれる、というか大きいほうをしているほうが勝手にそう思ってしまう(最初の山内のなっがい説明を黙って聞いている濱家の顔が面白い)。こんなことを考えながら、あひるの空の

バッシュのスキール音だけでオマエがドコにいるかわかる

のシーンを思い出す。ずっと一緒にバスケをしてきたから、振り向かなくてもバッシュのスキール音だけで後ろからオマエが来ているのが分かる、だからノールックでパスが出せるっていう高橋と児島の関係性、それぐらいの関係性でなければ鼻音だけできばっているのが自分だと分かるには至らないんじゃないか、そんな相手は自分にはいないし、逆にそこまで来たら「さっきオマエ、和式便所で気張ってて電気消されへんようにわざとらしく鼻すすってたやろ?」って言われたあかつきには、ちょっと嬉しくなるんじゃないか? いや、普通に気持ち悪いか。

 

分かってもらいたいとかそういうつもりじゃないときに分かられたときの嬉しさ、面白さはあって、普段の会話でされたら嬉しいツッコミとはそういった類のもので、例えば友達と喋りながら商店街を歩いていて、さりげなく赤色のブロックだけを踏んで歩くようにしていたのを、だいぶ無理をしないと次の赤の島に移れなくなったからしれっと辞めたときに、「自分、なんか赤色だけ踏んで歩こうとしてたのに次のやつ無理やと思ってやめてるやん」って言われたときなどは、なんだか嬉しくなる。別に赤色を踏んで歩くなんてわざわざ宣言してないし、それがバレるほどの無理な歩行もしていないのにそれに気づかれ、さらには飽きてやめたとかではなく、次の赤ブロックが遠いからやめたっていう思考まで読まれたことから来る嬉しさ。分かってほしいなんて別に思っていないことを分かってもらえたときのほうが、分かってもらえた喜びは大きい。便座クリーナーなんてもんが出てきたばかりに、今までだったら漏れそうなときには多少便座が汚くてもそのまま腰を下ろしていたところを、今はなんかちょっと汚れてる程度でも拭きたくなってしまい、とはいえトイレに着いた時点で肛門は安心して緩んでるもんだから、便座を拭いている間のタイムロスによってヤバい感じになる、といった分かってもらいたさ全開の話を会社の同期にしたら、反応がいまいち芳しくなく、しょうもない共感すら得られなかった。もしかして此奴は和式派なのかと勘ぐり、今度どこかのタイミングで山勘で「さっきオマエ、和式便所できばってて電気消されへんようにわざとらしく鼻すすってたやろ?」なんて言ってやろうか、それがもし当たったら盛り上がるだろうな、などと思ったのだが、冷静に考えたら普通に気持ち悪いからやっぱりやめておく。