創元推理文庫の江戸川乱歩集を読んでいこうと思い、最近の気分は長編よりも短編だったので『D坂の殺人事件』を手始めに買おうと思ったら本屋に置いておらず、その代替案として買った短編集『算盤が恋を語る話』がそんなに面白くなくて、いきなり出鼻をくじかれた。
全体的に乱歩の変態な部分があまり出ていない作品が多く、実際、巻末に収録されている自註自解にて乱歩自身も「私のくせに変態心理的なものが出ていない作品はいつも評判が悪いのだが」と書いており、自分も乱歩作品にそういうのを求めている読者のうちのひとりだったので物足りなかった。正確には、変態な部分というよりは、例えば「陰獣」の
彼女の糸切歯はまっ白で大きくて、笑うときには、唇の端がその糸切歯にかかって、謎のような曲線を作るのだが、右の頬の青白い皮膚の上の大きな黒子が、その曲線に照応して、なんともいえぬ優しく懐かしい表情になるのだった。
みたいな、これは完全に受け手側のこっちが勝手に感じていることだけれど、乱歩ノってんなあっていう部分が読みたいというか。「D坂の殺人事件」自体は読んだことがあり面白かったから、それが収録されている短編集『D坂の殺人事件』をリベンジとして改めて買おうと思ったのだが、肩透かしを食らった気分は思いのほか尾を引いていて、この前本屋に行ったときに一度手を取ってみたものの、ちょっと乱歩の気分じゃないかと結局棚に戻した。こういう一回の「なんかちゃうなあ」で自分は結構距離を取ってしまうもんだから、あまりいいファン(ファンまでは及んでいない)、いい客ではないのだと思う。それは音楽でもあって、ファーストアルバムがめちゃくちゃ良かったのにセカンドアルバムで方向転換して微妙になったバンドに出くわしたら、ファーストアルバム制作の時点でファーストアルバムを二枚作るぐらいの感じで作っといて、方向転換したセカンドアルバムでこけたときに、作っておいた二枚目のファーストアルバムを原点回帰のサードアルバムとして出してほしいとか、高校生のころにはよく思っていた。でも今なら、作り手側からしたら同じことばかりしていても飽きるしネタも切れるんだろうってことがなんとなく分かる。
カップ焼きそばでは断然一平ちゃん派なのだが、UFOのチルド麺が売られているのを目にして一丁買ってみっかと購入し作ってみたところ、フライパンと布巾にUFOの匂いがめちゃくちゃ染み付いた。カルディで買ったルーローハンの素の八角の匂いぐらいこびりついた。すごい。三回洗濯してもまだ布巾には匂いが残っていて、洗濯後の乾いた布巾から香ってくるソースの匂いからは一切の食欲をかきたてられない。ほんでやっぱりカップ麺はあの安っぽい麵だから良いということを再確認した。別に美味しいものを食べたいのではなくて、カップ麵のあの感じのものを食べたいってことを。あとはカップ麺は人が食べているのをもらうのが一番美味しい。一気に飲みたい衝動に駆られながらも、ハンバーガーやポテトの進み具合を考慮してチビチビと飲んでしまうスプライトを、パルプ・フィクションでは他人から奪ったものだからこそ遠慮なくズルズル飲み干しており、あれはさぞかし爽快だったろうと、おれも他人の一平ちゃんを奪って一気に啜り上げたいって気持ちになる(金持ちになったらファストフード店ではジュースをLサイズで2つ頼もう)。とか考えながらも、一平ちゃんが本当に美味しいのは最初の三啜りぐらいまでだから、それぐらいの量の一平ちゃんミニを販売してほしい。でも、そのためだけにお湯を沸かし、しかも三分待つのは面倒だから、他人のをもらうのがやっぱり一番いい。そうして先日電車で隣に座ってきた、東南アジア出身だろうとこっちが勝手に決めつけた外国人からUFOに似た匂いがしてきて、あれはUFOに似た匂いの香水だったのか、それともUFOを食べたばっかりだったのか。
会社の人に「九月になったのにまだまだ暑いなあ」と言われた。夜の散歩を再開した自分からすれば、夜は確実に涼しくなっていっていて夏が過ぎゆくのを感じているから、「まあでもちょっとずつ涼しくなっていってる気ぃしますけどねぇ」なんて答えると、「あ、そう?」って会話が途切れた。「九月になったのにまだまだ暑いなあ」は、あんまり脳を通さずに発されるとりあえずの会話の初手で、そんな会話の初手を自分もよく出すんだけれど(なんか今日クーラーの効き弱くない?とか)、こっちがそうは思っていないことにはたまに話を合わせずに抵抗したくなる。ほんで向こうがそういう返事を求めているわけではないことも、「なんか今日クーラーの効き弱くない?」と聞いたときに「温度下げてもらってもいいですよ」と返されて『いや、そういうわけじゃないねんなあ』と自分が思うことから分かっている。分かってるんだけども、いんや涼しなってるで、って思ったら言いたくなる。とか偉そうに言っときながら、直近の平均気温を調べてみれば全く涼しくなっていなくて、七月から今までずっと同じぐらい暑い。なんとなく「九月になったのにまだまだ暑いなあ」っていうのを簡単に受け入れたくなかっただけで、数字で「九月になったのにまだまだ暑いなあ」っていう結果が出ちゃっている。データで定量的に示されちゃってる。
冨田ラボ ずっと読みかけの夏 feat.CHEMISTRY -VIDEOCLIP-
「ずっと読みかけの夏」のMVの、自転車に乗せるのを断ってバスを待つ女性を振り返るシーンを見て罪悪感を感じたり、「初恋までも届かない背丈で」って歌詞からH2の比呂を思い出したりして『切ねえ』とか思って、ついでにサザンの「湘南SEPTEMBER」も聴いて追いで切なさを増させて、勝手に夏の終わりを先に見ているけれど、まだまだ秋の風は海を渡ってきていない。あまりに自分から迎えに行き過ぎている。早くジュディマリの「イロトリドリ ノ セカイ」を聴きたいとウズウズしてしまっている。でも蝉時雨は遠くなったからちょっとは夏が過ぎつつあると無理やり思って、少しでも自分の勘違いによる誤りを薄めようとしている。
