牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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ファッキン満月


小松海佑 漫談『公園』

 

雪だるまは肩の部分が一番日当たりがいいだとか、薬局はパン屋さんだとか、それらに関しては全然そうとは思わんかったけど、「満月がOBみたいな顔してて」って言われた瞬間は、言ってくれてありがとうと思った。感動すらした。自分が以前の日記で

自分が月を見て綺麗と思ったとき、それは大きくて、丸くて、明るくて、輪郭が際立っているといった意味で綺麗という言葉を使っていて、そこに美しいという思いや感動の意が含まれているわけではない。今夜はスーパームーンなんて日にも、わざわざ外に出てまで見ようとはしない。でも夜の帰り道、ふと月の存在に気づいて目をやってしまうことはよくある。そもそも自分はなぜこんなにも月が綺麗って、そう簡単に言いたくない気持ちになっているのか。「ふと月の存在に気づいて」って書いたけれど、気づかされてって表現のほうが正しいというか、暗い夜にあんなに空で輝かれたら、そりゃあ誰だって見てまうやろっていう、そういう月の問答無用さに対して謎の悔しさを抱いているのかもしれない。

月面と眼窩と月光眼球天体説 - 牛車で往く

と書いた、月のなんとなく押し付けがましい、なんか気に食わんなって感じがOBのそれと同種のものと言い当ててくれたこと、そして単純に自分と同じように月に対して思うとこがあるということに興奮した。小松海佑はロングコートダディの堂前が名前を出していたことから知った。この「公園」は小松海佑の漫談の中でも分かりやすい部類に入るもののような気がするが、自分が小松海佑の面白いと思うところは、言葉を尽くして言ってることの感じを分からせてくるところで、以前組んでいたコンビ銀兵衛時代のネタの「ファンタ」が今のところ一番好き。

 


銀兵衛 漫才『ファンタ』

 

初めてこのネタを見たときには、赤いリボンが付いた損してる自分をずうっとバトンして生きてきたっていう自意識に心を揺さぶられた。昔の自分を裏切らないように生きていくというある種の潔癖さ。個人的にいまいちよく分からないネタもあるけれど、ハマったときの感動というか、頭がハッとなる、気付かされる感じがたまらないので、これからもネタを作り続けてほしい。

 

何となく映画を見ようということで見ている。「ソナチネ」が面白かったのでとりあえず北野武の「あの夏、いちばん静かな海。」を見た。

 

 

多分、「ソナチネ」が面白すぎて、こっちが勝手にハードルを上げてしまっていたから、見終わったあとに何となく物足りない気持ちになった。けれども北野武の映画を二本見て、自分は遠くから撮影した長回しのシーンが好みかもしれないと気付けた。「あの夏、・・・」でも、海を挟んだ向かいの堤防を眺める主人公のカップル二人の視点の長回しのシーンがあるのだけれど、そのときには自分も、ホームで電車を待ってるときとか、特に用事もない暇な散歩のときとか、窓際の席に座っているときとかに、実際に遠くの風景を眺めるのと同じようにして、画面の中のそのシーンを、そのシーンの風景を本当に見ていると思えた。「あの夏、・・・」のそのシーンでは、自転車で堤防を走っていたおじさんが突然海に落ちるのだけれど、特にどの部分にもフォーカスされていない遠景の中で、自分もなんとなく自転車のおじさんの動きをずっと追っていてその瞬間を見逃さなかったから余計にそう思えて、映画を見終わった後も妙にそのシーンが印象に残った。でも、こんなふうに普通の風景と同じように映画のシーンを見るのは、それはそれで結構難しい。散歩をしているとき、何か風景を見みようと、風景の中から何かを見つけようと意識して歩くと、それはだいたい上手くいかなくて、あまり何も考えずにぼんやり歩いているときのほうが、なにかしら面白いものに気づけることが多い。多分映画を見るときにもこれと同じようなことが自分の場合には言えるのだけれど、映画は見ようと思って見ているから、無意識のうちに重要な描写を見落とすまいと画面の中に過剰に集中してしまい、その結果いまいち画面全体を見られなくて重要なシーンを見落とすことがたまにある。もっと力を抜いて映画を見た方がいいとは分かっていながらもこれが難しくて、映画に対する集中具合のちょうどいい塩梅が分からない。分からないなりに慣れていくしかない。


ほんでもって「燃えよドラゴン」を見た。

 

 

ブルース・リーの映画を一つも見たことがないと思って見てみたのだけれど、アクションシーンに特に迫力を感じることもなく、流石に時代を感じる出来だった。スターウォーズのエピソード4を見たときに、自分は世代的に先にエピソード1、2を見たもんだったから、撮影の技術やらCGの技術やらが拙くてしょぼく思えたのだが、燃えよドラゴンにもそれと似たような感覚を抱いた。敵の着けてる武器の爪とかだいぶ作り粗い。ブルース・リーが戦っているときに周りにいる敵の取り巻きの中にめちゃくちゃ笑顔の人がいたりもして、普通に撮影中そんなに笑ったらあかんやろと思った。

 

ほんで「レザボア・ドッグス」を見た。

 

 

ネットで「映画 名作」と調べると結構な割合で挙がっているのを理由に選んだ。ファック、ファッカー、ファッキン言い過ぎやろ映画。面白かったけれど、めちゃくちゃ刺さりはしなかった。最初は誰が裏切り者かってサスペンス(言うほどサスペンスではない)で、途中から人間ドラマという流れ。「ソナチネ」を見たときにも思ったけれど、ヤクザとかギャングの映画って、誰がいつ突然死ぬかっていう緊張感で見る側の意識を画面のほうに引っ張り続けられるから、とりあえず退屈させない手法としてはありだなと感じた。自分はグロに対する耐性があまりないので、ブロンズが警官を拷問するシーンは普通に見てられなかった(ゴールデンカムイの鶴見中尉と二階堂のシーンってこの映画から拝借しててんな)。冒頭の無駄話が面白いとよく言われているが、これがアメリカンのウィットに富んだ会話というのか、自分にはその面白さがあまり分からず、ただ会話のテンポは良くてみんな楽しそうに笑っているから、軽快な雰囲気だけは伝わってきた。空気を多く含んだプルルルルっていう英語の喋り方が余計にテンポ良く感じさせる。楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなるを食らわされてる感じ。とはいえ、確かに登場人物に愛嬌はある。「血まみれでビビる」って台詞、そんなシーンじゃないのにちょっと笑えてなんか良かった。とりあえず「パルプ・フィクション」は見ます。