牛車で往く

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他人のリアリティ

これまで自分は映画を全然見てきていなくて、なんとなくそろそろ有名どころぐらいは押さえていこうかといった気分になったのだが、その前に景気づけに一発自分の好きな映画である「リンダ リンダ リンダ」を見ることにした。

 

 

映画を見ない自分がなにをきっかけにこの作品に出会ったのかは覚えていないのだが、今回見直してやっぱり好きな映画だと再確認した。学校の屋上で駄弁るシーンでの、ベースの子のソンちゃんに対する「ほんとにわかったあ?」っていう言い方とか、ソンちゃんが夜に部室での練習を抜け出して文化祭の出店の通りを歩くシーンで聞こえてくる鈴虫の鳴き声とか、ソンちゃんが一人きりの体育館でライブの妄想に夢中になっているときにふと冷静になり、その瞬間に妄想の中の盛り上がりとは対照的に目の前の体育館には誰もおらずがらんとしている、そのことを意識してしまうところ、それから部室に戻ったらみんながいてそのことが嬉しくなるソンちゃんと、ソンちゃんが過ごしたそんな一人の時間をなにも知らない他のメンバーの普通な感じ(「ソンやるよ?」って言うまでソンちゃんをじいっと見つめる香椎由宇の顔がなんか良い)とか、好きなシーンがいっぱいあって、見ていて胸がいっぱいになった。この胸いっぱいの感覚はノスタルジアから来るものではなくて、むしろとっくに高校生じゃなくなった今の自分の人生にも、近い雰囲気をもった瞬間が訪れることもあるんじゃないかと思えるような、そんな一瞬のリアリティから来るものだった。だから自分は「リンダ リンダ リンダ」のことを青春映画っちゃあ青春映画なのかもしれないけれど、熱中!夢中!成長!みたいなよくある嘘っぽいキラキラのベタな青春映画って感じではないから、そう呼ぶのにはなんとなく抵抗がある。香椎由宇以外のバンドメンバーは文化祭でのバンド演奏にそれほど夢中になっているわけではないし、香椎由宇も香椎由宇でバンドに夢中というよりは友だちと喧嘩してムキになってやってるみたいな動機でバンドの練習をしている。自分は自分自身の高校時代の部活を振り返るときに、何かに打ち込んで一生懸命頑張ってたなあと思うと同時に、必ず部活動に飽きて練習がダルいと思っていたことも思い出す。だからこれは好みの問題なのかもしれないが、「リンダ リンダ リンダ」にはそういう高校時代の自然さが感じられて、それが自分には合っている。でもこれは自分が高校時代にある種のピークのような「優勝」とかを経験していなくて、部活動を振り返ってみても、大会の日に友達が散髪に失敗して前髪がぱっつんになって現れたこととか、練習試合で相手の学校も一緒になってスマホのワンセグでWBCをみんなで見たこととか、そういうちっちゃいことばかりを思い出すような人間だからな気もする。

 

この映画を見てから久しぶりにブルーハーツの「リンダ・リンダ」や「終わらない歌」を聴いたら、やっぱりいいなとなり、自分は「リンダ・リンダ」の3番の「もしもぼくが〜」が終わったあとに、サビに行かずにもう一回「愛じゃなくても〜」とここだけAメロ(?)を二回繰り返すところ、特に「愛じゃなくても〜」と入る瞬間が好きだったことを思い出した。

 


【公式】ザ・ブルーハーツ「リンダ リンダ」【1stシングル(1987/5/1)】THE BLUE HEARTS / Linda Linda

 

それからハイロウズも聴きたくなって「青春」が頭に浮かんできた。

 


【公式】ザ・ハイロウズ「青春」【14thシングル(2000/5/24)】THE HIGH-LOWS / Seisyun

 

自分はこの曲がめちゃくちゃ好きで、渡り廊下で先輩を殴るところとか、リンゴをもぎってかじるところとかは作りものっぽい青春のシーンだけれど、

冬におぼえた歌を忘れた
ストーブの中残った石油

ってところの(学校いう環境を踏まえての)時間の経過の表現の仕方とか、

鼻血出ちゃったし あちこち痛い
口の中も切れた

リバウンドを取りに行くあの娘が
高く飛んでる時に

の、学校の中で同じ時間をそれぞれの居場所で過ごす学生たちの奥行きの出し方とか、その部分が絶妙でたまらない。ということを感じながらハイロウズの「青春」を聴いていると、冒頭の「冬におぼえた歌を忘れた」の部分で、忘れたってことに気づいたのは、冬にあの曲に夢中になっていたってことを思い出したからで、つまりは一度覚えたからこそ忘れたことに気づけたという、普通に考えたら当たり前のことをなぜか意識した。「忘れた」っていう言葉はそれだけでは意味をなさない、「忘れた」という言葉が出てきた瞬間に自動的に時間に奥行きが生まれる、忘れていたことを覚えた、見た、聞いた、なんにせよそれに触れた瞬間が今より昔に存在していたことを示す。これと似たようなことがなんかの小説に書かれていたなあと思い、これも忘れた、つまりは一度触れたからこそ忘れたってことで、中身は忘れてしまっても触れた体感だけは残っているから、なんとなくでその存在を思い出す事ができた。その体感を頼りに「思い出す」でiPhoneのメモに検索をかけると、漱石の「思い出す事など」っぽいことが分かって、それっぽいな、そんなことが書かれていた気がするな、という感覚が蘇ってきて読み直してみたら、次の一節が自分が思い出そうとしていた、つまりは忘れてしまっていたものだったことが分かった。

「思い出す事など」は忘れるから思い出すのである。

今自分が考えていたのは、忘れたことに気づいたのは過去にそれを覚えたからといったもので、「思い出す事など」のほうは、思い出したのは忘れたからといったもので、少しねじれがあった。『「思い出す事など」は忘れるから思い出すのである。』なんて、めちゃくちゃ普通のことを言っているのだけれど、これを読んだときには忘れることをネガティブなものではなく、忘れるおかげで思い出すことができるといったポジティブなものとして捉えることができて、それはここ最近ずっと、忘れていたことが不意に思い出された瞬間に体にフッと湧いてくるリアリティのようなものについて考えていたからだった。それが体に湧いてきたときには、しばらくの間生き生きとしたような感覚になり高揚感が続く。それに近いもっと圧倒的な感覚がロックによってもたらされた体験を歌ったのが多分ハイロウズの「十四才」で、さらには十四歳のときにある曲を聴いた瞬間に受けた衝撃、それがずっと忘れられず、でもその瞬間の衝撃を思い出そうとしても、単純に衝撃を受けたという事実が思い出されるだけで衝撃そのものは甦ってこない、だから衝撃それ自体を曲という形でもう一度呼び起こそうとしたのが「十四才」なんじゃないかと今さらになって思う。これは衝撃を受けたことを歌った曲じゃなくて、その瞬間を呼び起こそうとして作った曲なんじゃないかと。

 


【公式】ザ・ハイロウズ「十四才」【16thシングル(2001/8/8)】THE HIGH-LOWS /Jyuyonsai

 

最近はあるあるみたいなものよりも、誰かの個人的な体験がほかの誰かの別の体験を呼び起こすといったような、そんなことのほうに興味があって、そんな中はてなブログに自分で「お題」が作れる機能があることを知った。試しに「においをかいでふと思い出した記憶」といったお題を作ってみると結構色んな人が書いてくれて、あるあるっぽいものではなくて個人的なにおいにまつわる思い出がちょくちょくあって面白い。中には自分が上で言っている、思い出した瞬間にふいに湧いてくる感覚のことまで書いてくれたものもあった。

 

ayaisake.hatenablog.com

 

いつか一発会社でも辞めてプルーストの「失われた時を求めて」を読破したい。