夏になって土手の道の両脇に生えている雑草の背が自分の肩ぐらいの高さにまで成長し、草むらの中から虫が頻繁に飛び出してくるようになった朝の通勤経路。草むらと草むらの間を飛び交う虫たちは、まるで海上で並走しながら争っている二隻の海賊船の間を飛び交う砲弾のようで、その間を自転車で漕ぎ進んでいけば、会社に到着するまでに必ず一度は被弾することになる。ぶつかられただけでも気持ち悪いのに、中には着弾後にしがみついてくるタイプのものもいて、それに気づいたときには自転車に乗りながら悲鳴を上げそうになる(実際悲鳴を上げるわけにはいかないから上げないし、会社に遅れるわけにもいかないから、それでもペダルを漕ぎ続ける足)。だから最近はいつも走っている河川敷の西側とは違って、コンクリートで舗装されているために雑草の少ない東側に移り、さらには土手を降りたより雑草の少ない川と同じ高さにある舗装された道を選んで走ることにしているのだが、自転車を漕ぎながら右手にある土手のほうを見上げると、土手の上を走っていく車の姿が見えて、それが多摩川を訪ね河川敷を歩きながら同じように土手を見上げたときの景色とそっくりだった。
見上げた景色の下半分は土手の斜面に遮られていて、土手の上を車が車体の上半分だけをちらっと見せながら走り去っていく。見上げて視線に角度がついた分、景色の中の建造物としては川のすぐそばに建つ団地やマンションの高い部分しか見えなくなり、その上にはもう空が広がっているだけ。そのおかげでいつもより空が近くて、土手に遮られているはずなのに景色が広がったように思えて面白かった。
会社からの帰り道、自分の頭上の空は明るいけれど、東の空の遠くのほうには大きくて暗い雲が浮かんでいて、そこからときおり稲光と雷鳴が発せられる。雲のある一帯からはニュースの視聴者提供映像で見たことがあるような白いもやが降りていて、遠目でも、あの辺りはゲリラ豪雨に見舞われている、っていうのが分かった。
その風景を見、夏に雷ということでElectric Light Orchestraの「Summer and Lightning」を思い浮かべた。改めてどんな歌詞なんだろうと家に帰って調べてみたら愛についての歌だった。それから渡會将士の「夕立ベッドイン」も雷の歌ということで思い出した。
去年めちゃくちゃ雷がすごい日があって、雷雲がやってきては去っていく様子をずっと窓に張り付いて眺めていたのだけれど、そのときに初めて雷は近いと青白く、遠く離れるとオレンジ色に光ることを知った。そのときにも「夕立ベッドイン」を思い浮かべ、思い浮かべたことをブログに書いたにも関わらず、その時点では歌詞の『稲妻はイエロー 時差を数えて』の『稲妻はイエロー』が遠くの雷を意味していて、だから『時差を数えて』に繋がるってことに気づいておらず、今になってようやくそういうシーンを表した歌詞ってことを理解した。個人的に渡會将士の書く歌詞のあるワンシーンを切り取ったような描写がめちゃくちゃ好みで、特にFoZZtoneの「チワワ」とかは全フレーズいい。
『バスケットコートに映りこむ 君の髪ばかり見ている』も、『墝んだフェンスを飛び越えて 君の笑い声に驚く』も、最後の『通り過ぎた車のライトが揺れる影を回して逃げた』も全部グッとくる。そんな渡會将士が去年小説を書いたと聞いたから読んでみたら、中身はちょっとファンタジーであまりしっくり来なかった。もっと「チワワ」みたいなグッとくる瞬間のある小説を書いてほしい、手始めに「ベイビーゴーホーム」をもとにした短編小説を書いてみてほしい、などと勝手なことを思う。
北野武の「ソナチネ」を見た。
ソナチネはヤクザの抗争を描いた作品で人がよく死に、見ている間ずっと何かが突然起きるんじゃないかといった緊張感がある。加えて、この先に起きるだろう出来事を遠景のカットで映画を見てる側に察させ、その時を迎えるまでの道程を長回しでゆっくり丁寧に見せてくるから、この間もハラハラさせられてずっと目が離せない。ただこの長回しの間も特に台詞などはなくて、それは映画全体においても言えることなのだが、なにせ台詞による説明が少なく、さっきも書いたが映像からこっちになにかを察させることの多い映画だった。そのおかげか見終わったあとも、会社の退屈な会議中やお風呂に入っているときなどにふといくつかのシーンが頭の中に浮かんできて、ああ、このシーンは自分にとって印象に残っていたんだなあ、とあとから自覚した(抗争相手のヤクザがふらっと拠点に入ってくるシーンとか。エレベーターの「高橋ぃ」は分かりやすく印象的だったけれど)。だからソナチネはメッセージとかじゃなくて、ただ見せたいシーンがある、そんなふうに撮られた映画なんだと勝手に思った。言葉による説明のないワンシーンだけで状況を伝えようとするスタイルからベタにあだち充を思い浮かべたのだけれど、行間で読ませる、間で感じさせる作風の北野武、あだち充の二人ともが落語が好きで、落語ってそんなになにか絶妙な間によってこちらに想像させる、読み取らせる粋なところがあるのかね。大学生のころに一度、通学の電車内で落語を聴いて過ごしてみようとして、結局あんまり面白さが分からなくてすぐにやめたけれど、また聴いてみようか。それにしても若いころの武は面構えがめちゃくちゃ良い。自分は世代じゃないから武のお笑いを知らないし、あんまり面白いと思ったことはなかったけれど、ソナチネはめちゃくちゃ面白くて、さらには出演している若いころの武の纏う雰囲気がヒリヒリしていて不思議な魅力があり(フライデー襲撃事件の記者会見なんかもすごい雰囲気がある)、武の人気のある理由が少しは分かった気がする。それからソナチネについて色々調べていると見つけた、YouTubeにある武の国際映画シンポジウムの動画を見て、そこで武の言ってた「映画のあるエピソードを撮るときに、その元となった実際のエピソードを知っている数人のやつに向けてメッセージを送っているところがあるのだけれど、そのエッセンスが当事者じゃない人たちにも伝わることがあるんじゃないか」って考え方を、自分は本当にすごくいいと思った。それから武の映画をもう少し見てみようと思い、「あの夏、一番静かな海。」のブルーレイも買った。買ったはいいが、なかなか見るのにいいタイミングがない。映画館に見に行くのは全然お昼でもいいけど、家で見るとなるとお昼はなにか違うから、休日に時間があってもお昼にはまず見ようとはならない。ただ平日の夜に見るのは次の日に会社があるからゆっくりできないし、土日の夜は夜で映画以外にも小説とか漫画を読んだり、音楽を聴いたりしたい。だから最適なのは金曜日の夜なんだけれど、最近は一週間の疲れですぐに寝てしまう。あんまり触れてこなかった自分にとっては、映画を見るのはやっぱりまだ腰が重いもので、ああ、今が夏休みだったらなあって本当に思う。