牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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ここは終の棲家じゃないだろうけど

昨日の朝、鴨がゆっくりと体を回転させながら川に流されているのを見た。それを見て、いつも川の同じところに浮かんで止まっているように見えていた鴨たちは、水面下では足をかき続けていたんだということを初めて意識した。河川敷の天端を自転車で走りながら眺める鴨たちは、顔の表情がよく見えないからなんとも呑気そうに見えていたのだが、そんなことはなかったのかもしれない。以前、住吉川を訪れたときには、水がきれいだったおかげで鴨のオレンジ色の足が水中で動いているのを見ることができたのだが、そのとき鴨は水をかいて前進していたので、留まるためにも水をかく必要があるなんて思いもしなかった。そんな流される鴨を目撃したところから少し進んだ先には流れが一段下がる落差工があって、その岩場には年明けからずっと白い凧が引っかかっていて、それを川の水が洗い続けている。誰かがお正月に河川敷で凧を揚げたはいいが、風に乗り続けることができず川に落ちてしまったのだろう。年末年始にかけて実家に帰ったときには、元日に近所のグラウンドで男の子が真っ赤な凧を揚げていて、こちらは風を全身に受けてその身をはためかせながら、紐がピンと張るほどに高く揚がっていた。その光景を思い出しては、河川敷の凧が川に落ちた瞬間の力なく緩んだ紐の姿を想像する。最近はもう、絶えず川の流れに晒され続けたせいで風を受ける紙の部分は取れてしまい、骨組みだけが岩場に張り付いている。

 

自分は、年末になると刊行されるMONOQLOや家電批評などのガジェット系雑誌の一年総まとめの号、あらゆるジャンルのベストバイをまとめたものを読むのが好きだ。

 

 

 

コメダ珈琲はMONOQLOや家電批評を置いてくれているから最高(コメダ珈琲に行くと、メニューにあるときには毎回ふんわりミルクティーとアイスオーレのセットを頼むんだけれど、ミルクティーとカフェオレの組み合わせってごちゃついてない?ふんわりミルクティーにはアイスミルクティーで合わせたほうがいいんじゃない?とか考えてしまう。とはいえ結局アイスオーレで行く)。年末特大号を読んでいると無印良品で冷凍の揚げ茄子が売られているとの情報を見つけ、ええやん、と思う。茄子の揚げ浸しを作るときにいちいちめんどくさい素揚げをしなくてもいいとは。家の近くに無印良品がないから普通のスーパーでも売ってないもんかと調べてみると、普通に売られていた。なるほど、そう言われてみればあってもおかしくないのに、今までなんであるかもしれないと探してみたりしなかったんだろうか。しかし、出汁というものは冷めるときに染みていくのであって、茄子の揚げびたしに関しても揚げたて熱々の茄子を常温のつゆに投入して冷ますから味が染みるのであって、凍った茄子を出汁と一緒に温めて解凍するという、冷凍揚げ茄子を販売している会社のホームページで紹介されている調理方法で本当に美味しくできるのかという疑問もある。そんな疑問を抱きながらも、いっちょやってみっか!ということで、鍋でひと煮立ちさせた出汁に冷凍の茄子を投入して揚げびたしを作ってみたところ、普通に味の染みた美味しいものができた。よくよく調べてみると、「冷めるときに味が染み込む」という考えは誤り、もしくは正確な表現ではなくて、実際は温度が高いほうが味が染み込みやすいようだった(とはいえ、温度が低い状態でもスピードは遅いが味は染み込んでいくため、煮崩れしやすい食材などはちょうどいい固さまで加熱して、あとは冷まして長時間放置しておくことでいい感じの味に仕上がる)。確かにどう考えても温度が高いほうが味の成分の移動は激しくて染み込みやすいだろうし、実際にそう考えたこともある。ただ、自分自身の経験がそれを否定して素直に受け入れられない。なぜならそれは、キムチ鍋を作るときに火を止めて少し冷め始めてから白菜が赤く色濃く染まっていくのを、実際にこの目で見ているからだ。わたしは冬にやたらとキムチ鍋を作るから、そういったシーンをこの冬もう何度も目にしている。じゃあこれは一体どういうことなんだろうか。

 

engryouri.net

 

このページを読むと、キムチ鍋の白菜が赤く染まるのは「吸着」という現象が関係している可能性が考えられる。温度の低下に伴って白菜に色が吸着していったのであり、もしかすると白菜に味の成分が染み込むことと、白菜に色が定着することは、別に考えなければならないのかもしれない。でもそうなると、温度が高い状態でもキムチ鍋の素に含まれる色素が拡散して白菜に浸透し色が変わってもいい気がする。それとも温度が下がると吸着が起きるのと並行して色素の分散性が低下し、水に溶けにくい色素などは凝集しやすく、その結果、温度が高いときよりも色が濃く見えるようになるのだろうか(キムチ鍋の素の原材料名一覧に載っているパプリカ色素は水に溶けにくいようだ)。などと足りない頭であーだこーだ考えてみてもよく分からないのであきらめて、結局冷凍の茄子を使っても揚げびたしは美味しく作れたからよしとする。

 

茄子の揚げびたしを作り終えた鍋を洗う。台所の蛍光灯は切れかかっていてずっと点滅している。その光の下で洗い物をしていると、うっすらと油の残った鍋をスポンジでグルグルと洗う手の動きがいつもよりも捉えられている感じがする。写輪眼。いつかなにかの番組で、ストロボによって強制的に目に入る映像のフレームを細かく分割することで動体視力が良くなると言っていたことを思い出す。鍋を洗う手の動きが見えるようになったって、一体全体どうするんだい。そんな台所の蛍光灯を替えないといけないなと思っていると、以前、友達に家の蛍光灯が切れてLED電球に替えたからそこのやつはもう一生付け替えんでもいいって話をしたら、そんなずっと今の家に住むつもりなん?と返され、確かにそうやな、となったことを思い出した。今の場所は仮の住まいで終の棲家ではない、のかもしれない。それはまだ分からないけれど、今の家で死ぬまでずっと暮らし続けているイメージは湧かない。今とは違う住んでみたいところはあるけれど、果たしてそこで実際に暮らしてみることはあるのだろうか。ゴールデンカムイで都丹庵士は

 

硫黄の臭いはうんざりだぜ
金塊の分け前をもらったら・・・
海の近くで暮らそうか

 

なんてことを言っていたけれど、果たして自分にはそんな暮らしを変えようと思うきっかけが訪れることはあるのだろうか(このセリフ、めちゃくちゃカッコよくて好きです)。

 

 

でも、それはどこに住んでいたってそうだろうとも思う。ここが自分の終の棲家だなんて、どこに住んでいても思えそうにない。だから自分は、たとえ一生住むとは限らなくとも、全人類が電球を替える手間を少しでも減らすために、蛍光灯をLEDへと切り替えていく。

 


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