牛車で往く

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文芸誌を読んで袋ラーメンが食べたくなる

七月二十一日、水曜日。四連休に向けて本でも買おうと思い立つ。会社帰りに本屋に向かって自転車を走らせていると、そういえば文芸誌のどれかで長嶋有を特集したものが出ていたな、と思い出す。本屋に着いて雑誌コーナーに足を運ぶと、それは群像であった。

 

 

ただ、自分には小説を連載で追いかけるほど夢中な作家はいないし、もっと言えば、漫画に関しては好きな作家の新刊が出るとなるとすぐに欲しくなるけれど、小説に関してはそこまでにはならない。だから文芸誌は、気になる特集のときにパラパラと本屋で立ち読みする程度で買ったことがないし、大学の図書館で誰でも早いもん順で持っていっていいですよ、となった廃棄雑誌でしか手に入れたことがない。そんなもんだから、今回もちょっと立ち読みしてみようぐらいの感じで手に取ったのだが、巻頭の長嶋有の書いた、日記の体裁をとった私小説「ルーティーンズ」が面白くて、目の前に4連休が控えており気持ちが明るくなっていたのも手伝って、勢いで買ってみることにした。そうすると、なんだかよく分からないけれど少しだけテンションが上がってきて、ケンタッキーでも食べるかとなり、本屋の帰りに寄って、期間限定のブラックホットサンドやらビスケットやらをテイクアウトした。

 

 

子どものころには、その味が素朴すぎておもんないなと思っていたビスケットのことを、いつからか好きになり注文するようになった。ビスケットを食べるときには、まずは上下にバカっと割って薄い輪っかをふたつ作り、そこにハチミツを一口ごとにかけてかじる。ハチミツは適量ずつかけるように気をつけないと最後に足りなくなってしまう。おもんないと思っていたビスケットの味の素朴さは、今となっては、そのおかげでハチミツの甘さが引き立てられているような気になっている。そして、ビスケットが好きになったのはすなわち、ハチミツのことも好きになったからかもしれないとも思う。子どものころは、食べると口の中の水分が持っていかれ、持っていかれた水分によってもっちゃりと重たくなるビスケットの生地の咀嚼感も面倒に思っていたが、味が好きになったおかげで、今はそれも気にならなくなった。

 
長嶋有の小説の日記は二〇二〇年の四月から始まっており、そこには奥さんと娘さんと過ごすコロナ禍真っ只中での生活が書かれている。そんな長嶋家の日々を追いながら、時折当時の自分の生活を振り返る。そして、購入した翌日の木曜日の午前中に小説が読み終わり、小説の中で何度か出てきた野菜をドバッと入れたラーメンや焼きそばを家で食べるシーンを読んで、なんだか自分も家でしか、しかも休日のお昼ご飯にしか食べることのないあの味が食べたくなった。今日のお昼ご飯は袋のラーメンにしようと決め、自転車でスーパーへと向かった。外は暑い。今週から一段と暑さが増したような気がする。クーラーの効いた室内よりも気温も湿度も高く、肌に触れる空気の感覚も室内とは違ってまとわりつくような息苦しさがあるのに、一日に一度は外に出てこの感覚を味わわないと逆に不健康な気がしてくるのは何なのだろうか。

 
スーパーに向かう途中、信号に捕まって青色に変わるのを待っていたときに、太陽は雲に隠れていて日は差していないにも関わらず、自分が眉間にしわを寄せて目を細めていることに気がついた。眉間にかかっていた力を緩めて目を開いてみると、別に眩しくもなんともなくて、自分は暑いだけでなんとなく無意識にそうしてしまいがちなんだろう。さらには、眉間のしわを緩めてからというもの、変にその部分に意識がいって、さっきまでかかっていた力の名残りのようなものが、かかっていたときの力そのものよりも強い存在感を放っているように感じられて、なんだか落ち着かない気分になった。眉間の辺りの感じをどうすればいいのか分からなくなったまま、いつ変わるのかと信号を見つめていると、信号を渡った先にある家の屋根の上に人が登っているのが目に入って、どうやら職人さんが瓦屋根の修理をしているようだった。職人さんはおそらく怪我の防止を理由に、夏でも素肌の部分を隠せるような長袖長ズボンの格好で作業をしていて、それを見ていくら安全のためとはいえめちゃくちゃ暑そうだな、自分じゃあ体力がなさすぎてとてもあんなふうには働けないな、なんてことを考える。職人さんが作業しているさらに奥側の、こちらからは隠れて見えないハの字の下り坂になっている屋根のほうからは湯気のようなものが立ち昇っていて、信号が青に変わってそちらの方まで進むと、屋根の上にもう一人職人さんがいるのを見つけて、湯気のように見えていたのは、屋根を削って出てきたカスが舞ったものだった。

 
スーパーに着いて、とりあえずカット野菜をカゴに入れる。色んな野菜が入っていて、それらはすでに切られた状態になっているから、一人暮らしにはありがたい。さらには洗わなくていいなんて。そのままインスタントラーメンのコーナーに行って、自分は豚骨ラーメンが好きだからと、チャルメラバリカタ麺豚骨を手に取った。そこでふと、今日はたまたま小説の影響を受けて食べたくなっているけれど、普段袋麺を食べることなんてほとんどなくて、買ったところで5食も消費できるだろうかという考えが浮かんだ。出前一丁にすれば、だいぶ先のことではあるが、冬にキムチ鍋をしたときに〆で入れることがあるから、いつかは食べ切れるだろう。別にチャルメラのほうでも〆に使おうと思えば使えるのだが、スープの残りにごまラー油を入れて食べる美味しさを知ってしまってからというもの、これでなくては物足りない気分になる。棚の前でしばらく悩んだ後、結局、冬を見越して出前一丁をカゴに入れた。

 
家に帰って、早速お昼ご飯を作る。鍋の中で沸騰したお湯に、麺とカット野菜とウィンナーを放り込む。袋に書かれている作り方を無視して、茹でた麺の入っている鍋の中に直接粉末スープを入れようとすると、鍋から立ち上る湯気を吸ったのか、粉末は袋の口のところでダマになってうまく出てきてくれなかった。その度に、ああ、もっと口を大きく切るべきやったな、となるが、次回もそれを忘れて同じように失敗する気がしている。出来上がったラーメンを鍋から直接食べると、なんだか味が薄い。野菜から出た水分で薄まったのか、それとも粉末スープがダマになったことで袋に残ってしまっていたのか。うーん、思ってたのとちがうなあ、となりながらも、そんなもんかとも思い、ご飯を食べ終わったあと急激に眠たくなってきて、四連休で休みも長いし、一日ぐらい無為に過ごしてもいいだろうと、アラームをかけずにお昼寝をした。