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第41回ABCお笑いグランプリと第9回ytv漫才新人賞決定戦の感想

先日放送されていたお笑い二刀流という番組で披露されていたシソンヌの漫才が面白かった。

 

www.tv-asahi.co.jp

 

まあ、ボケのじろうが女装していて純粋な漫才ではなくキャラ漫才ではあるのだけれど、そんなお笑いのフォーマットとかは関係なく、癖になる面白さだった。特にネタの本題であるミニコントに入る前のつかみの部分が何回見てもいい。じろう演じる陽子さんというおばちゃんがまあよく喋り、自分で勝手にボケて自分で勝手にツッコむことよ。この好きなことをしている感じを見て、なぜかこっちもニヤニヤしてしまう。ホンマに何回も見ていられる。ときにシソンヌは、スーツを着るといった漫才師の正装に対する憧れは全くないのだろうか。お揃いのスーツを着るなどといった漫才師のファッション性に憧れる芸人も多いと思うのだが、普段コントが多いシソンヌにとって、今回の漫才を披露するタイミングはそういった漫才師っぽいスーツを着る絶好の機会であるように思えたのに、じろうはガッツリ女装で、長谷川は半袖のシャツを着ていてまるでクールビズのサラリーマンみたいないでたちであった。長谷川ってスニーカーとかが好きなファッション大好き芸人じゃなかったっけ?まあそんなことに全くこだわりのない感じが、それはそれでコント師感があってカッコいいけど。

 

最近はちょくちょくネタ番組が放送されていて、関西では2つのお笑い賞レースが開催された。

 

 

 

ABCお笑いグランプリではオズワルドとビスケットブラザーズが面白かったです。オズワルドの「かなりなんでやねん」は、関東っぽいイントネーションも含めて完璧なツッコミに思えて最高でした。カベポスターの永見とダイアンユースケの小っちゃい諍いも面白かったです。まさか反抗されると思っていなかったにしざぁが面食らってへらへら笑っていたのが印象的でした。ytvのほうはカベポスターを除いた5組は互いに仲がいい印象をもっていたから(カベポスターも輪に入っているかもしれません。わたしの勝手な印象です。)、なんか仲のいいもん同士で決勝戦を戦うのはカッコいいなと思っていたところ、マユリカがコロナウイルス濃厚接触者の疑いがあるため、棄権するといったことに。正直、この6組の中で一番マユリカのネタを楽しみにしていたから結構ガッカリしました。この大会が終わった後も、キングオブコントの予選において、おそらく同様のコロナ関係の問題から、ABCお笑いグランプリを優勝したコウテイやカベポスターなどのコンビが出場を辞退している。ホンマ、コロナよ・・・。

 

ytvではビスケットブラザーズが優勝し、kento fukaya、ビスケットブラザーズきん、マユリカ中谷が街を散歩しながら目に入ったものに例えツッコミをしていくこの動画を思い出して、また見たくなった。

 


前編【ララバイ】例えツッコミ100個出しましょう!

 

kento fukayaの例えツッコミをガン無視したツッコミが好きです。ビッグわんわん関連も好きです。「2色?!」とか「ニラ??」とかたまに出るレベル1の例えツッコミも好きです。正直、例えツッコミはあくまでフォーマットでしかなく、途中からもはやなんでもいいからなにかしらにツッコんでいくスタイルに変わる。とにかくこんなふうに街を歩くのは楽しそうだけれど、いざ素人がマネをしてみれば全然面白くならないもんなのでしょうか・・・。ところでビスケットブラザーズの原田がダウンタウンの松ちゃんの

 

 

というつぶやきを見て、「絶対おれらのことや!」と言っていたらしいですが、わたしもそんな気がします。好きそう。そしてこの前のワイドナショーで松ちゃんが「2組ぐらい」と挙げていたことに対して、ビスケットブラザーズの原田が、本当は自分たち1組だけのところを、それは恥ずかしいからウソをついて2組と言っているという説を提唱していて面白かったです。

 

例えっつうことで、最近読み返した佐藤信夫の「レトリック感覚」を思い出す。

 

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

  • 作者:佐藤信夫
  • 発売日: 2018/01/12
  • メディア: Kindle版
 

 

特に直喩と隠喩の違いに関する部分。直喩は「~のような」という言葉を使うことで全く似ていないものどうしの間に新たな類似性を提案する知性的なあやであり、一方で、隠喩は相手があらかじめもっているであろう共通認識にはたらきかける感性的なあやであると説明されている。このような説明を受けて、本書で引用されている数々の小説の一文を読んでみると、今までは気づかずにさらっと読み流していた部分にも、作家の感性によって施された隠喩が文字通り隠されており、その部分がなんとも光って見えてくる。わたしがある文章を読みながら自然と浮かべていたイメージが、それらの巧みな隠喩によって促されていたことに気がつく。そして、直喩や隠喩によって言葉をつむぐことは新たな世界の見え方のひとつを提示することなのである。

 

 無論、その(直喩と隠喩の)あいだに洗練と幼稚というような差異はない。想像力も創造力も、知性と感性の両面において働くからだ。感性的な直喩はないとか、知性的な隠喩はめずらしい、ということでもない。あるのは、どちらにしても、すぐれて発見に満ちた認識であるか、陳腐なきまり文句であるか、という差であろう。 p118

 

そう思うと、面白い芸人の例えツッコミは、ただのあるあるを超えた『そことそこをくっつける!?』みたいな、言われたらそうやなあと思う、ここで言うところのすぐれて発見に満ちた認識であり、その世界を見る目に憧れることもある。ただ、そんな優れた小説家や芸人たちに憧れて、素人が小手先の技術で言葉をこねくり回すと、なんだかうすら寒くなってしまうことが多い。それは、そこに新たなものの見方の提示を試みるのか、それともそれっぽい文章を書いて悦に浸りたいだけなのかといった違いから生じるもののように思われる。陳腐なきまり文句という鬼のような言葉を、自己陶酔的な文章を書いてしまわないために深く胸に刻み付けたい所存。キビシーっ。

 

そして、世間がこんな状況のときに聴くceroの「街の報せ」は、いままで以上にグッとくる。

 

街の報せ

街の報せ

  • アーティスト:cero
  • 発売日: 2016/12/07
  • メディア: CD
 

 


cero / 街の報せ【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

 

夏に映画館出た時

終電が終わった駅前

波も涙もあたたかい

忘れていたのはこんなこと?

 

夏の夜のぬるい空気感がこんなにもうまく表現されているなんて。この曲を聴くと歌詞で描写されている瞬間のことを思い出すのだけれど、実際に駅前にある商業施設に友人とレイトショーを観に行って、そのあとに居酒屋で感想なんかを言い合って、お店を出たときにはもっと「忘れていたのはこんなこと?」って感じを実感するのだろう。う~ん、なんだか最近同じようなことばっかり考えている気がするなあ。