暇な年始に読み返した去年のちょうど今くらいの時期の日記に、暖かかったところに大寒波が来て急に寒くなったと書かれていたのを覚えていたので、小春日和の土日のあとにやってきた大寒波にも全くあわてることなく「大寒波、オッケーです」とがっぷり四つに受け止めることができた。雪に覆われて白くなった山肌に影が映え、山の凹凸がよくわかる。それと同時に、普段は木々による深緑のせいで影が目立たず凹凸が感じられにくいことにも思い至る。あのでこぼこの山の中にもまたモーグルのやつみたいな別の小さなでこぼこがフラクタル構造のようにあるのだろうか。いつかのゲレンデで流れていたのが妙に印象に残っているから、雪を見るたびにYUKIの「メランコリニスタ」が頭の中で再生される。
自分はあまり冬が好きじゃなくて、それはまあ寒いのが苦手っていうのと、底冷えする部屋で寒さをしのぐためにコタツで暖をとると、その強制的な暖のせいで頭がボーッとして何も考えられずにダラダラしてしまい、気づけば寝る時間という家の過ごし方になってしまうから。休日などにも寒くて布団から出られないまま正午を迎え、その時間を無駄にした事実に心が折れて、なし崩し的にいっそのこと昼メシもめんどいわ、もう食べんでええわ、みたいなことにたまになる。なにせ冬は行動力が落ちる。行動力が落ちると刺激が減る。刺激が減ると楽しくない。いっそ脳に電極でも埋めて強制的に電気を流してもらったほうが、生きてるって思えるんじゃないか。そんなふうに、良い脳信号の人工的な走らせ方もあると思う。怠惰な自分を鼓舞すべく「ハチワンダイバー」やら「ドリフターズ」やら活力溢るる漫画を開いて、おもしれえ、と夢中になり、ふと顔を上げた窓の外の、嫌に焦燥感をかきたてる橙色が滲んだ景色に、晩ごはん買いに行くのめんどいな、とそのまま一日が過ぎようとしている。
そんなダラダラやる気の出ない冬の日に、死んだ脳みそでYouTubeのショート動画をひたすらめくり続け、宿儺に体を乗っ取られた伏黒もこんな感じやったんかと、さらに深い脳死へとズブズブ沈んでいっている最中に、お風呂上がりの正しい髪の毛の拭き方という動画がポンッと画面に浮上してきた。普段はお笑いのショート動画しか見ないところに*1、何のアルゴリズムの妙か紛れ込んできたその動画を見て、紹介された通りにガシガシ拭くのではなく押し付けるようにして水分を取ってみると、翌日の朝、髪の毛のキューティクルがツヤッツヤになり嬉しくなった。この喜びを誰かに話したいけれど、キューティクルがツヤッツヤで喜ぶなんて男らしくなくてなんだか恥ずかしい。男らしくありたいだなんて、それは男のセリフじゃないだろうと、おれの中の甲本ヒロトが寸足らずの替え歌で歌う。そのあとを時代的にもどうなん?みたいな、自分の頭で考えたわけではない考えが追いかけてくる。自分で自分に課す分には見逃してほしい。自分に課すようなやつは無意識のうちに他人にも課すのだろうよなどと言われれば、ぐうの音も出ないが。なにはともあれ、ここに退屈な冬の日々に刺激をもたらす活路を見出した自分は、ライフハック的なショート動画をむさぼるように見るようになり、結局すぐに吸着できる量が飽和して埃が舞うようになるなあと思っていたクイックルワイパーを、使うたびに埃を拭える激落ちくんのトレループなるものに買いかえてみたり、リュックの長さを調節するひもが電車の椅子に座ったときなどにだらんと隣の座席にまで垂れてしまうのがうっとうしくてどうにかしたいと思っていたのを、ストラップキーパーなるもので止めてみたりした。次は台所のぬめりをどうにかするべくハンドソープを浮かせてやろうかと画策していたところ、永野とニューヨーク屋敷とツートライブ周平魂がやっている「骨までしゃぶらせて」という番組で、DIYしている人って必死な感じがして引いてしまうという話を見、わかるわあって、自分も基本的にはそう共感するような大して工夫のない生活を送ってきた側の人間ではあるのだが、今は色々快適にしていく楽しさを知ってきたので、めげずにハンドソープを浮かせてやった。トレループは思っていたよりも吸着力が弱いし、ストラップキーパーは気づいたらひもが外れているし*2、ハンドソープを浮かせたことでぬめりが解消されるのかはまだわからない。でもキューティクルだけは本当だったから今はこの道を信じて突き進むことにする。スニーカーのひもをゴムひもに変えたのは、脱ぎ履きがしやすくなって良かったです。ナイス、ナイス、ヴェリ・ナイス。
平イコのチョメな石を読み返した。読み返すたびに好きな短編が変わる。今回はセミをシュパッて採る「癒着フレンド」にかなりグッと来た。
やっぱりキャラの目つきが良い。そろそろ短編集がでないもんかと首を長くして待っております上に、熊倉献の紙魚の手帳で連載している漫画に関しても、自分の好みの作風のものだからこちらもいつかは短編集として発売されるのでしょうかと気になっております。って感じで漫画はどんな気分のときにでも比較的すぐに入り込めるのだけれど、小説は開いてもなんだか集中できなくてすぐに閉じてしまうといった日々が続いており、こっちこそ短編集を選ぶことでこの停滞感に風穴を開けることができるのではないかと、「ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29」を手に取ってみた。が、いまいちこれにも気分が上がらず、ただその中でも村上春樹の「1963/1982年のイパネマ娘」だけはするする読めたので、これだといった具合に村上春樹の「螢・納屋を焼く・その他の短編」を買った。
村上春樹の文章はなんと読みやすいのでしょうか。面白い、面白くない以前にあまりに文章が上手くて読んでいて心地良い。自分は社会人になってようやく村上春樹の作品に手を伸ばし始め、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「カンガルー日和」ぐらいしか読んでいないのだが、村上春樹作品でしか感じられない切なさでもさみしさでもない澄んだ感じがあるし、そりゃあこんなに人気ありますわと納得できます。そう思いながら読んでいた矢先、「納屋を焼く」に
僕はソファーの上でしばらくぼんやりしてから浴室に行ってシャワーを浴び、髭を剃った。そして体を乾かしながら耳の掃除をした。部屋を片付けようかどうしようか迷ったが、結局あきらめた。全部をきちんとかたづけるには時間が不足していたし、全部をきちんとかたづけられないのなら何もしない方がまだましなような気がした。
p61
と今の自分の気分に水を差すような文章が現れた。それに対して「諦めんな」ってDef Techみたいに心の中で唱える。「納屋を焼く」の主人公にはもちろん、自分にも向かって。

