牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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ずっとついて行くとか一生好きとか

コロナウイルスのワクチンを打った。打ったのはモデルナ。ワクチン摂取会場のビルに着くとアルバイトっぽい人に迎えられ、予診票を見せると問診のブースに案内された。簡易のパーテーションにより即席で作られたブースに入ると、そこには白衣を着た多分お医者さんであろう人が座っていて、簡単な質問をいくつかされてはそれに答えた。多分のお医者さんは多分、ここ最近ずっとこの狭いブースで入ってきた人に問診を仕掛けては送り出すといったことばかりを繰り返しているのだろう、もう嫌気がさしているといった表情を隠すことなくその顔に浮かべていた。こちらを見ず手元の問診票に目を落としたまま、流れ作業的に質問をしては回答の結果を気だるそうに書き込んでいく。そんな様子を見て、まあそりゃあそんな感じにもなるわな、とこっちはこっちで勝手に相手の気持ちを想像しては汲み取った気になり、そんな気分のときには明るい人や陽気な人を見るとなんだか能天気に思えて無性に腹が立ってきて、人の鼻歌を聴くのすらも不快で仕方がないみたいなこともあるから、お医者さんの機嫌を損ねないようにと、出来るだけ声色の起伏を抑えて平坦に答えようと努めた。一連の質問が終わり、それではお次は出て右に進んでください、と今日もうこのセリフ100回ぐらい言ってるわ、みたいなテンションで言われ、それに対して心の中でお疲れ様でーす、と唱えながらブースを出た。言われた通り右に進んで次のブースに入ると、そこはもうあっという間にワクチン注射を受けるブースとなっていて、ビルに着いてから注射を受けるまでのあまりのスムーズさに「え、もうですか?」と聞くと、注射のブースにいるお医者さんはさっきの問診のお医者さんとは違ってまだまだ元気なようで、「もうです」と笑いながら答えてくれた。問診と比べて注射を打つほうが楽しいのか、それともただその人の気質の問題か、はたまたこのお医者さんは新入りでまだ退屈を知らないだけなのか。左腕の袖をまくるとスッと注射を打たれたが、全く痛みは感じなかった。打たれた後は急な体調不良が起きた場合に備えて、摂取会場で15分ほど待機してくださいと言われ、その間特に何も起きなかったので15分経つと普通に帰宅した。注射を打ったのは夕方ぐらいで、その日の夜の10時ぐらいになって初めて、左肩のあたりが腕を動かせないぐらいガチガチに痛くなった。今日は早く寝ようと布団の上に仰向けになり、腕が痛くて寝返りを打てないまま眠りにつき、いざ朝を迎えて熱を測るといたって平熱であった。そのまま出社して帰ってきてからなんだかしんどくなり、夜になると熱が出てきて、次の日の朝に起きると体温は38℃にまで上がっていて、その日は会社を休んだ。摂取した2日後に熱が出るという遅さ。熱が出ると不思議と肩の痛みは和らいでいるのに気づいた。それから1日寝ていると熱は下がったのだが、その後の1日2日ぐらいはなんとなくしんどいのが続いた。そんなワクチンを打つとどうなるのかを知ってから迎える2回目はちょっと怖くて、2回目の摂取日が近づいてくると少しだけ憂鬱な気分になった。

 

2回目は摂取した翌日の朝に39℃の熱が出て、頭痛や気だるさは1回目よりもひどかった。なんか鼻水と咳が出ないちょっとショボめのインフルエンザみたいな感じで、39℃まで出ると夏でも掛け布団がほしいくらいの寒気がした。1回目の発熱から学習して、2回目を受ける前日には3日分の食糧を買い込んでいたのだが、水分を補給する飲み物は買っていなくて、急にそれが飲みたくなってきてマンションの一階にある自販機に買いに行った。なんとなく熱のときにはアクエリアスよりポカリスエットのほうがこう、体に浸透するというか、アクエリはどっちかって言ったらスポーツのときやな、とそんな謎のイメージがあるのでポカリを買おうと思ったのだけれど、2台ある自販機のどちらにもラインナップされていなかった。仕方なくスポーツ用のアクエリを買おうと自販機に小銭を入れると、全然飲み込んでくれずにそのままお釣りのところから返ってくる。何回やっても小銭が入らない。セルフレジや松屋の食券機(お店の食券機と言えばで浮かんだのが松屋のものでした)ではそんなことは起きないのに、なんで自販機だけは未だにこの体たらくなのか。まあなんかあるんでしょうけど、理由が。こっちは熱やぞ?と思いながら仕方なくお札を入れてアクエリのボタンを押す。ガタンと音がして取り出し口から取ろうとするとアクエリのペットボトルが見当たらない。あれ?と取り出し口のカバーを引いたりして探していると、右端に縦になって出てきているのを見つけた。縦になっているもんだから、取り出そうにも引っかかって簡単には出てきてくれない。いや、だからこっち熱やから、と思いながらしばらくガチャガチャしてなんとか引っこ抜いた。千円札を入れて買ったからお釣りがチャリンチャリン出てくる。一本じゃ足りないだろうしもう一本買おうと小銭を入れる。入らない。お札を入れる。縦で出てくる。ガチャガチャして取る。お釣りがチャリンチャリン。財布が小銭でパンパン。思いの外、苦労しながらアクエリ2本を手に入れ、東京オリンピック仕様になってるやん、とパッケージを眺めながら階段を登って部屋に戻り飲んだ。久しぶりのアクエリ。特に懐かしいなどといった感慨を覚えることもなく、蓋を閉めて布団の上に寝転がり、頭の近くにアクエリを置いた。ワクチンを受けて、この体へのダメージとそれを耐えた先に免疫を獲得して強くなるといった感じ、ドラゴンボールの超神水とか、幽遊白書の幻海婆さんの光る玉みたいやな、とか思う。ワンピースのゾロがバーソロミューくまにルフィの痛みを入れられたのにも似てるな、いや、あれは痛みに耐えた先に強くなるとかはないからまた別モンか、そういえば幻海婆さんの光る玉ってトランスフォーマーのマトリクスみたいやな、とかどうでもいいことを布団の上の39℃の体で考える。今は無事元気になり、3回目の摂取はちょっと受けたくないなあ、と思いながら過ごしている。


VIDEOTAPEMUSICが佐賀の嬉野で行われた滞在制作型のプロジェクトで作った曲「嬉野チャチャチャ」が非常にいい。

 


VIDEOTAPEMUSIC「URESHINO × CROSSING」Documentary

 

この曲は7インチレコードとして販売されているが、自分はレコードを聴いたりしないので買わずにサブスクで聴いている。いつかレコードで音楽を聴くようになったりするのだろうか。今はそんな日が訪れる気が全くしない。一緒に収録されている「ロマンス温泉」も良くて、この曲には様々な環境音が使われていて、お風呂の桶が床に当たってカコーンと鳴る音が気持ちいい。カコーンの反響音を聴くと、音を伝える媒体としての空気の存在を感じる。嬉野チャチャチャを聴いていると、なんだか昔の歌謡曲を聴きたくなってきて、とはいえ昔の歌謡曲をよく知っているわけではないし、オリジナルを聴いてきた素養があるわけでもないので、自分の知っている歌謡曲を最近の人がカバーしたバージョンを聴く。

 

 

 

夏にはオリンピックが始まったけれど、なんとなくテレビの気分ではなくて、あまり見ることはなく終わってしまい、それよりもそのあとのパラリンピックをよく見た。特に車いすバスケが面白くて、準決勝のイギリス戦の第4クォーターは手に汗握るトランディションゲームといった展開になっていて、赤石選手のディフェンスや香西選手のスリーポイントがすごかった。車いすバスケのスリーポイントの、車椅子にスーッと勢いをつけてから打つ感じがカーリングのストーンを投げるときみたいだなと思った。鳥海選手の車いすの動きもスルスルヌルヌルしていて、こっちもなにかの動きに似ている気がするのだけれど、それがなにかは出てこない。


香西選手は野球の筒香選手に少し似ている。筒香はパイレーツに移籍してから調子が上がってホームランをよく打つようになった。大谷はホームランを40本打ち、投手として10勝に王手となった。サッカー日本代表はワールドカップ予選の初戦でオマーンに負けた。ワールドカップが近づくたびに南アフリカ大会からブラジル大会までの期間のことを思い出す。デンマーク戦の本田と遠藤のフリーキックに、本田の岡崎へのパス、からのゴール。南アフリカ大会が終わって長友がインテルに、香川がマンチェスターユナイテッドに。マンチェスターユナイテッドに移籍するまでのドルトムントでの香川の輝き。J SPORTSで見たノリッジ戦での香川のハットトリック。その試合でのルーニーの優しさ。

 


車いすバスケが面白かったなんて書いたけれど、その興奮はきっとそう長くは続かなくて、次第に新しく出会った色んなものの下に埋もれていってしまうのだろう。

 


ネクライトーキーMV「音楽が嫌いな女の子」

 

ずっとついて行くとか

一生好きとか

言っていたような女の子揃って

いなくなったんだよな

 

中学、高校のころに夢中になったアーティストの中で、未だに新譜が出るたびに欠かさずに追いかけている人たちはほとんどいなくて、みんなどこかのタイミングで飽きてしまった、満足してしまった。でもハマっていたころのアルバムは今でも聴くし、これからも聴くと思う。これは音楽だけじゃなく他のものでもそうで、今の香川を追いかけたりはしていないけれど、昔の香川を思い出してはプレー集の動画を見たりする。多分、今後車いすバスケの試合に足を運んだりはしないだろうけれど、東京パラリンピックのときはすごかったなあ、面白かったなあ、と思い出すことはあると思う。たとえ最新の現在進行形を追いかけていなくても、夢中になっていたころのものは今でもずっと好きっていうのはたくさんある。ずっとついては行けないけれど(そもそもずっとついて行くなんてよう言わんけど)、好きだったころのことは本当に一生好きなまま、その気持ちに嘘はないっていうのは成立しないもんなんでしょうか。一生好きというのを証明するには、まだまだ寿命が残っているとは思いますけど。