牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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皇居ランと曲で歌われる東京の寂しさ(東京旅行 2日目)

引き続き東京旅行2日目。

 

www.gissha.com

 

天気がとても良く、雲ひとつ無い青空。友達が鉄道博物館に行きたいということで、ひとまず埼玉の大宮へと向かった。大宮で埼玉新都市交通ニューシャトルに乗り換えて鉄道博物館に行ったのだが、このニューシャトルがまあ綺麗なこと。最近できたばっかりの車両なんだろうか、清潔感があった。調べてみると、私が乗った車両は2015年から順次導入されている2020系というものであったらしく、この車両は2016年にはグッドデザイン賞を受賞していた。道理でなんかイケてたわけや。乗っている客層としては、幼稚園児もしくは小学生の子どものいる家族連れが多かった。夏休みの終わりが近づいてきた8月終盤、子どもたちはギリのギリまで楽しく遊ぶのだろう。社会人になった今、私に与えられた夏休みは一週間しかない。かたや彼らは1ヶ月以上も夏休みがある。羨ましい・・・。でも、おれには宿題なんてないからな。君らはたんまり出されていると思うけど。日記はちゃんとこまめに書いとかな、どんどん忘れていくで。その日の出来事の絵とかも書かなあかんのちゃうん?そう思うと、子どものころは夏休みや土日の休みに出される宿題の「先生あのね」、いわゆる日記を書くのがめんどくさかった。それなのに、今じゃあ誰に言われることもなく自主的に日記を書いている。あのころの自分は全く想像していなかっただろうよ。宿題の日記は、なんとなく日記帳の方眼紙の7、8割くらいは埋めないといけないような気がしていて、どうにかして行の上の方で句点を打って改行しようと必死であった。語尾はほとんど「思いました。」であった。懐かしい。あのころめんどくさいなと思いながら書いた日記は実家のどこかに眠っているのだろうか。ちょうど小学生たちの詩を集めた本「一年一組せんせいあのね」を読んでいることもあって、なんだか小学生のころの自分がなにを考えていたのかを知りたくなってきた。

 

一年一組せんせいあのね―詩とカメラの学級ドキュメント

一年一組せんせいあのね―詩とカメラの学級ドキュメント

 

 

原点回帰。


無事、鉄道博物館に到着。

 

www.railway-museum.jp

 

入場料を払うと、ICカードを模した入場券が渡された。そのカードを改札となっている入り口にタッチすることで入場できるという粋な仕組みであった。この時点で鉄道博物館はもう始まっているのだ。子どもにとっては、ICカードをピッする機会はそこまで頻繁にあるものではないと思われるから、さぞ楽しいことであろうよ。でもおれはもう大人だからなんぼでもピッとできるんだよ。君らみたいにもう1ヶ月も夏休みをもらえないけれど、その分ICカードはピッピピッピできるんだよ。もちろんお金は取られるけど。一体、自分は誰と張り合っているんだろう・・・。

 
改札を通り抜けて右手に曲がると、そこには色んな年代の車両がたくさん展示されており、かなり迫力があった。

  

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それらの車両は中に入ることができ、実際に座ることもできた。私は色んな時代の電車の広告を見るのが楽しくて仕方なかった。

 

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これとか青春18きっぷのポスターを彷彿とさせる雰囲気を出していて、とてもいい。さぞ詩情あふれる一文が書かれているのだろうと思い読んでみると、意外と普通の宣伝文句が書かれていてガッカリした。なんじゃい。その他にもズラーっと車両年表が並べられたブースや、電車の仕組みを分かりやすく科学的に説明したフロアなどがあり、電車にほとんど興味をもっていなかった私でも十分に楽しむことができた。鉄道にまつわる出来事をまとめて書かれていた絵が可愛かった。

 

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でも、この機会に自分の幼少期を振り返ってみると、乗り物にはほとんど興味を示さなかったなあと思う。ミニカーもプラレールも全然欲しいと思わなかった。それよりもウルトラマンに夢中であった。ウルトラマンと怪獣の人形をお風呂に持ち込んで、湯船の中で戦わせるのが楽しかった。そのままの状態で戦わせると、人形の内部は空洞となっており空気を含んでいるために湯船に浮いてしまうことになる。だが、ウルトラマンの人形は胴体の部分で上半身と下半身と分かれるようになっており、それを活かして上半身と下半身をパッカーンと割り、その中にお湯を入れてもう一度合体させると、湯船の中に沈めながら遊ぶことができるようになる。ちょうどお湯で人形が少し柔らかくなっていることもあり、分けた上半身と下半身を再び組み合わせるのも、比較的容易に行えた。下半身側の上半身内部に食い込むようになっているヒダみたいな部分の一部をクニッと折り曲げて、上半身にねじ込むという方法だ。まあそんな風にして、鉄道博物館に来ている子どもたちの姿を見ることで、幼少期の自分のことをやたらと思い出し比較してしまった。

 
鉄道博物館を後にして、お昼ご飯を食べてから浅草へと赴いた。仲見世を歩いて浅草寺へと向かう。お賽銭を目前として、お寺ってどういう風にお賽銭をするのが作法だったっけ?と思う。神社での作法は主に二礼二拍手一礼であるけれど、お寺はどうであったっけ?とりあえず分からないので周りの人たちのまねをして、音を立てずに手を合わせた。まあ、こういうのは気持ちが大事だから。フォームじゃないから。でも、このお寺スタイルのフォームを知っているかどうかにお寺に対する敬意、ひいては仏様に対する敬意が表れるんじゃないだろうかとも思ってしまう。でも知らんしなあ。調べると、一礼したのちに静かに合掌し、その後一礼して去るのがお寺での作法とのこと。周りの人のまねをして、それっぽくできたから良しとしよう。それにしても、寺に対しては"お"をつけて"お寺"というのに、神社に対しては"お神社"とは言わないよな、なんてことを思った。

 
お参りを済ませると、虎ノ門に向かって国会議事堂を見に行った。虎ノ門には人が全然いなかった。まあでもそりゃそうか。ここに用事がある人なんて、そんなにいないだろうよ。だから余計に自分たちが浮いて見えて、ミーハー感が丸出しになっていた。さらには警備している警官が結構短い間隔で立っており、何も悪いことはしていないのに、その前を通るときは少し緊張した。そんな風にビクビクしながら国会議事堂前に到着したのだけれど、ここにも警官が立っていたため、特に写真も撮らずにサッとその場を離れました。そのまま皇居へと歩いて向かう。皇居に着くと皇居ランをしている人が多く目につく。みんなこんなに走っているんだ。そこで友達と歩きながらしゃべっていて、ふと「みんなわざわざ皇居まで走りに来てるの?」という話題になった。皇居周辺って別に人が住んでそうなところもないから、皇居ランをする人たちはみんな、電車とかに乗って皇居まで来てるんじゃないか?じゃあさ、もう皇居に来るまでの道を走った方が早くない?家から電車に乗って、皇居に着いたら走り出して、終わったら電車に乗って帰るん?なんか違和感を覚えるなあ。いや、本当に詳しいところは分からないけれど。皇居周辺の様子を見ていると、すでにランニングの格好をして訪れている人が多い。みんな家を出るときにはすでにランニングウェアを着ているんだろうか。道中この格好のまま来ているんだろうか。う~ん、どうなっているんだろう。ただ、歩いていて気づいたのだが、確かに皇居の周りだけは道が広くて信号がない。振り返ってみれば、東京は道が狭くて信号も多く、走るに適したところはあまりなさそうであった。サカナクションが「ユリイカ」で東京のことを

 

蔦が這うようにびっしり人が住む町

 

と歌っていた通り、どこもなかなかの人口密度(「ユリイカ」のPVって裸の人をなでるシーンがあるから、視聴制限かけられてるんやね。知らんかった。)。

 

 

なるほどね。さすが東京。東京旅行1日目の日記には、東京から感じる都会的なイメージは薄れてきたと書いたが、ランニングする環境を探すという目線に立ってみれば、私が住んでいる街よりも人が多くてごみごみしているように思える。わざわざ皇居まで来てランニングする理由が少し分かった気がした。それにしても皇居周辺は開放感があり、このあたりだけとりわけ風の通りが良いような気がして気持ちが良い。これもあって、みんな皇居ランするのか。芝生も綺麗だし。皇居周辺には、ランニングだけでなく、お散歩やお昼寝、ヨガにダンスなど様々なことをしている人で溢れていた。そんな人たちを見ながら、友だちとの間で、皇居散歩に皇居お昼寝、皇居ヨガに皇居ダンスと、目につく人たちの動作を見て皇居〇〇と呼ぶプチ大喜利大会みたいなことが始まってしまった。ところで、大喜利のまえにプチをつけるのは正しいんやろか・・・。プチと大で中和されてただの喜利になるんじゃないだろうか・・・。てか喜利って何?調べると大喜利でひとつの言葉であるようで、別にプチをつけるのはおかしくなさそうだ。良かった良かった。世の中知らんことばっかりやから。


皇居からそのまま東京駅まで歩き、晩ご飯を食べて東京を去ることに。エンヤサンの「メローグッバイトキオ」が頭の中に流れた。

 


エンヤサン『メローグッバイトキオ』

 

 

ヤバい友達と出会う

囲まれる関西弁 笑いしかなかった

だけど最高とはこれから出会う

お前らもそう そう

 

という、あくまでおれたちにはそれぞれの人生があると歌っている部分が切なくていい。エンヤサンのメロディセンスは最高。ただ、東京について歌った歌は寂しさを歌ったものが多いけれど、ぶっちゃけ私にはいまいちピンと来ない。でもそれは、夢を追いかけて訪れる東京と、ただの観光で訪れる東京では目に映る姿が違うからであろう。ミュージシャンは完全に前者に該当すると思われるから、自然とそんな歌になるのかもしれない。私はただの観光で来ており、東京で生活することはないため、特にそんな寂しさは感じない。ただ、寂しいという感情それ自体は、どこで生きていても感じるものであり共感はできる。みんな一人で走るのは寂しいから、わざわざ皇居まで集まって走ってるのかなっていうのは無理やりな考えでしょうか。でしょうな。そんな中、YUKIの「笑い飛ばせ」は、東京で生きる喜びを歌っていて歌詞が明るい。冷静に考えれば、東京で生活している人がみんな寂しいはずなんてないんだけれどもね。

 

旅行を振り返ってみると、もっと良い感じの観光プランがあったんじゃないかと思うけれど、楽しかったから良しとしよう。東京を離れる日の夜は涼しく、大変名残惜しい気持ちになった。また来よう。