牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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一口に淀川と言えどもめっちゃ長い

余っているのであれば使わな損、ということで平日に有休を取得。大きい本屋にでも行こうと前日の夜に朝の八時にアラームをかけたのだが、それよりも少し早い七時五〇分ぐらいに目が覚めてしまい、十分ほど布団の中でダラダラしてから身支度を始めた。九時には家を出るつもりだったけれど、いつもなんだかんだで予定通りには行かず、結局九時半あたりになって家を出た。天気はとても良くて雲ひとつない。駅までの道が明るい。駅に着いて電車に乗り込み茶屋町の丸善へと向かう。車窓から見える建物の屋根のほとんどはハの字になっている。知らない学校の運動場では、おそらく体育の授業でサッカーの試合が行われていて、男子生徒がボレーシュートをしていてすげぇと思った。


大阪の丸善に到着して、昨日のうちに目星をつけておいた小説を買うつもりだったが、それ以外の本も見ようということで、とりあえず五階の芸術・人文コーナーまでエスカレーターで上がった。棚の側面に書かれている本の分類をチラチラと見ながら歩いていると、文化人類学という文字を見つけて、最近「文化人類学の思考法」という本を読んだのもあって、何か面白そうな本はないかと棚に並ぶ本の背表紙に視線を滑らせていく。

 

 

外国人の著者の名前は同じ人物でも伸ばし棒があったりなかったりする。なんとなく面白そうと手に取ってみる本はどれも概論みたいなものばかりで、そういったものは浅くて広くてとっつきやすいけれど、そればかりを読むのもなんとなくよくない気がして、何かひとつの文化についてがっつり書かれたものでも読もうと、そんな本を探す。「ピダハン」というタイトルに目が止まり、そのナンとかフォカッチャみたいな柔らかいモチっとしたパンを想起させる語感の言葉をどこかしらで聞いたことがあるなあと思い、しばらく考えているとそれは「ハナムグリのように」というブログで読んだんだったと気づいた。

 

 

tomotom.hatenadiary.com

 

棚から取り出して表紙に付いている帯を見ると、(アマゾンに住む民族である)ピダハンには数がない、「右と左」の概念もない、などと書かれていて、「文化人類学の思考法」で読んだ西洋の文化が進化の最先端というわけではないといったことをぼんやりと思い出して、悩んだ末に購入を決めた。なんとなく保坂和志の「季節の記憶」で、まだ言葉を覚えていない子どもの可能性について書かれていたことなども思い出したけれど、読んだのは結構前だから果たして本当にそんなことが書かれていたかは自信がない(登場人物の子どもの名前がくいちゃんってことは確か)。そのあと2階に降りて、文芸誌コーナーでフリースタイルという雑誌を立ち読みした。今年の漫画ランキングという特集で松本大洋の「東京ヒゴロ」が一位になっていて、そんなに面白いんだろうかと気になる。そのまま少し奥の岩波文庫の棚で、電車で移動する小説が読みたいとネットで検索して見つけたミシェル・ビュトールの「心変わり」を探すも、なかなか見つからない。

 

 

アプリでは目の前の棚にあると表示されているのに。ネットの書影では彫刻の写真が表紙になっていて、岩波文庫の本の表紙はだいたい白地に本の内容を説明する文章、そして肖像画みたいなものが書かれているイメージがあって、この本の表紙はそれに該当しないのでここにはないのかもしれないと思い、検索コーナーで改めて調べてみたところ、やっぱり場所は間違っていないようだった。とりあえず書籍情報を感熱紙に印刷して持っていく。こうして本が見つからないときにたまに思うけれど、ネットに本の背表紙の画像も載せてほしい。もう一度さっきの棚に戻って探してみるもやっぱり見つけられず、印刷した紙をよく読むと岩波文庫の何色の何番という情報が書かれていて、それを手がかかりにしてようやく見つけた。


本を買った後には阪急の大阪梅田駅に移動した。井戸川射子の「ここはとても速い川」を読んだときに、そう言えば淀川って行ったことないなと思い、いっちょ行ってみっかということで、淀川のある阪急の十三駅へ向かうことに。

 

 

阪急梅田駅はそれほど綺麗じゃないのにホームが9番まであるから、余計に多く思える。十三駅に停まる電車は何番乗り場から出るのか。スマホで調べながらウロウロしていると、四番乗り場の階段の下の電光掲示板に停車駅十三と出ているのを見つけて、そのまま階段を登ってホームに停まっている電車に乗った。乗り込んだ車両の座席は通路を挟んで向かい合う長椅子タイプのもので、電車が出発してホームを抜けたときに、向かいの座席の後ろにある窓から日差しが入ってきた。そのまま外の景色を眺めていたかったけれど、目の前の座席におっちゃんが座っていて、そのおっちゃんはあまりスマホをいじるタイプではなく自分と同じように外を眺めているのか前を向いていて、なんとなく目線が交差しそうで気まずくなり景色を見るのをやめた。二駅で十三駅に着いて、車窓を見るのをやめた代わりにお昼ご飯に行こうとスマホで調べたモスバーガーが駅の西側にあるようだったから、西側の改札口から出るために一度階段を登り、別のホームに降りてそこにある改札から出た。個人的に改札がホームに直結しているのをあまり見たことがなくて新鮮に感じた。改札を出るとすぐに商店街に繋がっていて、出てきた人を迎えるようにたい焼き屋があって、ここが『今ちゃんの「実は・・・」』でよくロケが行われている場所、十三かと思う。十三は思っていたよりも栄えていて、天神橋筋商店街のあたりに少し似ていると思ったが、それほどちゃんと十三駅前の商店街を歩いたわけではないから間違っているかもしれない。町におじいちゃんの姿をよく見かけて、平日の昼間に町にいる人の年齢層は高いなと思ったけれど、それは先入観からそう考えただけな気もする。よくよく見れば、お昼休みのサラリーマンらしき人もいれば高校生の姿もあるから、平日の昼間は仕事がない人が外にいるもんだと勝手に思い込み、それに当てはまる人ばかりを目で追っていたのかもしれない。モスバーガーでお昼ご飯を済ませて淀川を目指す。大きな道を少し進んでから路地に入るとずっと先の方に堤防が見える。近づいてくると、堤防の天端まで続く坂を右から左に登っていく人の姿がちらほらと見えて、自分もそれに倣って堤防を上がる。天端に出ると視界が開けて淀川の姿が見え、強い風が吹いてきた。淀川はとてつもなく広くて、河川敷の高水敷の敷地も広い。

 

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川を渡った向こうにはビルの群れが立っているが、それを見て特に何か思うことはない。河川敷にはあまり人がいなくてランニングをしている人が数人といった程度。川の右の方では川面が太陽の光を反射して光っていた。電車に乗ると大阪駅ー塚本駅間で車窓から淀川が見えるのだが、そのときにあまり淀川の大きさとか流れの速さとか河川敷の広さとかについて考えたことがなくて、こうしていざ実地に赴いて目の当たりにすると、なんだか漠然と抱いていた印象とは違って少し呆気ないというか寂しい気がする。電車から眺めているときには野球をしている少年たちの姿が見えたりして、今日は平日の昼間だからいないのは当然なのかもしれないが、思っていたよりも人気が少なくて生活と結びついた場所って感じが希薄だ。高水敷が広すぎるから川まで遠く、川自体も大きすぎて近づくにはちょっと怖くて身近じゃない。それにとにかく吹く風が強い。耳元で風の音がしている。風の音がジャマをしている。いきものがかりは売れてきて風が吹いているのを感じ出したけれど、そんな大袈裟な応援ソングよりももっと恋のことばっかり、自分のことばっかり歌っていてほしかった。ゆずもそう。栄光の架橋なんて架けていらん。チャリでずっと坂を下っといてほしい。そっちのほうが好きだった。

 

河川敷を歩いていても景色が平べったくてあまり面白くなくて、天端に登った方が景色がいいかもしれないと階段のある堤防の方を向くと、川に面して、つまりはこちらを向いて立っている団地やらの建物と向かい合うことになった。ベランダの日当たりが良さそうで、遮るものがないから部屋の窓に風も強く吹き付けてきそう。天端からだと川の流れが見えやすい。川の手前をおっちゃんがノロノロと走っているが、淀川の流れはそれよりも遅い。井戸川射子の小説のタイトルが「ここは流れの速い川」だから、目の前の川の流れは多分速いのだろうが、あまりその実感が伴わない。家の近所の川も天端から見ていると流れはそれほど速そうに見えないが、川を渡るようにしてかかっている橋の上から眺めると、一転して流れが激しく見える。それは単純に距離の問題なのかもしれなくて、淀川ももっと近づいてみれば流れの速さが分かるのかもしれない。入ってみればもっと分かるのだろうけれど、入って速かったら終わり。堤防を歩いていると男性が何か声をあげていて、その向こうから中学生くらいの女子が走ってきて、男性はお父さんなのか、それとも顧問の先生なのか、何か一緒に練習をしている。一対一だからお父さんなのかもしれない。いや、分からない。この女の子は専属トレーナーがつくほどものすごい選手なのかもしれない。それも分からない。堤防から見下ろす川裏の路地がいい。次第に川よりもそっちに目が移る。どこかの沿線で電車の中から似たような街並みを見たような気がする。線路沿いか川沿いか、どちらも何かに沿っているから似ているのだろうか。団地がドミノみたいに倒してもちょうど届かないくらいの間隔で三棟続いていた。

 

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こういう団地の群れを見るとゲームの地球防衛軍を思い出す。地球防衛軍とは友達が持っていたプレステ2のシンプル2000シリーズのもので初めて出会い、時を経て進化したプレステ4の地球防衛軍4も面白かった(人気が出て、もはや値段が安くはなくなったけれど)。ほんで今や時代はプレステ5だってさ。鳥山明の「SANDLAND」ではプレステ6が出るころには人間の数は減って、地球は砂漠だらけになっていたけど、果たして未来は。訪れてみた淀川は思っていたよりもあっさりしていたけれど、自分が歩いたところが特に面白くないところだっただけかもしれない。もっと下流か上流か違うところに行けば、もう少し違った川の表情が見れた可能性もある。そう思って調べてみたら、そもそも淀川ってめちゃくちゃ長い。言われてみれば当たり前のことなのだが、淀川と言えば自分が目にする大阪駅や十三駅周辺のところとしか認識していなかった。きっと自分の知らない淀川がまだまだ存在していて、風が穏やかで自分好みのところもあるのだろう。人には人の淀川がある。自分に合った淀川を見つけられる日はいつか来るのだろうか。