夏目漱石の草枕にはこんなことが書いてある。
詩人とは自分の
屍骸 を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近 なのは何でも蚊 でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠 に上 った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直 に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟 りであるから軽便だと云って侮蔑 する必要はない。軽便であればあるほど功徳 になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人 が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否 やうれしくなる。涙を十七字に纏 めた時には、苦しみの涙は自分から遊離 して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉 しさだけの自分になる。
私は別に詩人ではないし、形式こそ俳句ではないが、草枕のこの一節に書いてあることに近い感覚でブログやTwitterをしているところがある。今の時代、多くの人がブログやTwitterを通して自分の感情をインターネット上に流している。最初は、「ようそんな個人的な感情をネット上に吐き出せるわ。赤の他人のことなんて、みんな興味ないやろ。」と考えていた。だけど、草枕を読んでそんな行動に少し肯定的になれるようになった。自分の悩みや考えも何か形にして外に出すことで少し距離を置くことができ、フィクションっぽく、客観的にとらえられるようになる。誰かに自分の気持ちを分かってもらいたいという側面も少しはあると思うけど、自分のことを俯瞰して見れるようになり、気持ちが軽くなるからやってる人もいるんだ。そんなことに気が付いた。夏目漱石さん、ありがとうございます。
山路 を登りながら、こう考えた。
智 に働けば角 が立つ。情 に棹 させば流される。意地を通 せば窮屈 だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高 じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟 った時、詩が生れて、画 が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣 りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束 の間 の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降 る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑 にし、人の心を豊かにするが故 に尊 とい。
まあ今更引用するまでもない有名な文章だが、改めて素晴らしいと思う。私自身、なんか毎日楽しくないなあという時期があったが、井上雄彦のバガボンドをひたすら読むことで耐えることができた。バガボンドの37巻読んだら、めっちゃお米食べたくなんねんな。で、食べたらめっちゃおいしく感じる。いつもよりなんか甘いんよ。すんごい。井上雄彦さん、ありがとうございます。
まあそんなふうにして、漫画や小説、音楽、映画などの芸術作品は、私たちの心を救ってくれて、少しでも生きやすくしてくれる。
そんななか、PUNPEEの「MODERN TIMES」に関するあるレビューを読んで気づかされた。
自分たちは、そういった芸術作品を消費することでつらいことから離れ、一時の安息を得ることができる。しかし、それは一時しのぎで根本的な解決にはならないじゃあないか。自分の人生を変えるには、自分が能動的に動くしかないぞと。まあ、そういったことには、みんな薄々気づきながらもそれが難しいんだけども。何も考えずに聴いてたら気づかないことに気づかせてくれるめちゃくちゃいいレビューなんやけど、リンク貼っていいか分らんから、みなさん探してみてください。
まあ、なんせ夏目漱石や井上雄彦やPUNPEEは偉大だなと。そして、自分の人生をどうにかするには、自分で考え続けるしかないかというよくある漠然とした結論に落ち着くわけやけども笑
そして結局、なんやかんやで夏目漱石の草枕を通して全部読んだことがない。毎回途中でやめてしまって、そのたび最初から読んで素晴らしいなあと思い、途中で読まなくなる。高校時代の物理の参考書も、最初の力学のところは頑張るけど、電磁気のところで、もう疲れて途中でよくやめた。時間がたってまたやらねばと思い、力学から始めて電磁気で力つきる。そして、それを何度も繰り返す。その結果、力学しか解けない悲しきモンスターと化す・・・。いつか頑張って夏目漱石の草枕を全部読みます。