ようやっと呪術廻戦を読んだけど、面白かった。やっぱりジャンプって定期的に面白い漫画が出てくるからすごい。自分は東堂と金ちゃんがめちゃくちゃ好きで、でももし自分が小中学生とかだったら真っすぐ五条先生のことを好きになっていただろうなと、当時NARUTOでカカシ先生が好きだったことを鑑みて思う。小中学生くらいのころには余裕があってまだ底を見せていない強そうなキャラが好きだったのが、大学生ぐらいからは普通に熱いキャラが好みになってきた感じがあって、それは大学のころにハチワンダイバーにハマった影響があるような気がする。柴田ヨクサルの描くキャラのダメージを覚悟してガシガシ突き進んでいく感じがカッコいいってなったもんだから、っていうか澄野の「この場の人間の哲学は消えた」~とか言いながらボコボコ殴り始めるシーンが好きで、東堂と金ちゃんからはそういった澄野みたいなシンプルな思考でガシガシ突き進む男らしさが感じられて良い。フィクションだから行動原理がシンプルな方が爽快な感じがあって、同じ理由でゴールデンカムイにもハマった(柴田ヨクサルの漫画はテンポもいいから爽快さがより一層増している)。あと、東堂と金ちゃんは戦闘に関しては頭を使って賢く戦うのもカッコいい。東堂の不義遊戯で手を叩いたけどあえて位置を入れ変えないとか、虎杖&東堂VS.真人はかなり面白かった。ダメージ覚悟で真人の手を使って不義遊戯を発動させるのも、頭キレてんなあ、状況を考えて行動の取捨選択をするプロやなあってカッコいい。呪術廻戦は渋谷事変あたりから舞台設定がいいなっていう漫画になるというか、作者がこういうシチュエーションで描きたい、見せたいっていうのが感じられる場面が増えてくる気がする。まあガンツとか東京喰種とかでもやられてるとは思うけど、死滅回游の現実の場所を舞台にもってくるのはいい(どっちもちゃんと読んだことはないけど)。やっぱりフィクションに少しでも現実とつながる要素があると、退屈な現実世界にワクワクするフィクションの要素が少し滲んで来て、絶対現実のものではないって分かってるのに、そんなこと分かった上で、それにも関わらず、あっ、ここあのシーンの場所やって、現実にまで貫通してくる感じにワクワクさせられるところがある。自分の人生で一番最初にそういう設定に触れたアニメはデジモンで、でも当時は小学生だったから、お台場の団地っていう舞台設定に上で書いたようなワクワクを感じることはなかったけれど、それがある程度大人になって振り返るようになると、アニメ自体の懐かしさとともに、今は離れてしまった団地っていうものに妙な懐かしさが宿っていて、さらにそれが現実のお台場を舞台にしたものとなったら、あのころの日本みたいな感じも乗っかって来て、単純な郷愁以上に感じるものがある(何回もこの話をしている気がする)。自分はAmazonプライムで最初のデジモンの映画を買い切りで購入していて、今見てもやっぱり良い。
今思うと、グレイモンは言うことを聞かないし、「メガフレイム!」って技名を言うこともないし、状況の説明も少ないし、わりと大人向けの作品のように思え、ある程度大人になってから見たほうが良さがより分かるのかもしれない。ただ、自分はなんとなくアニメにおいてシリアスなシーンを迎えた際に、急に絵柄がリアルになるみたいな演出が苦手で、だからヒカリがボロボロ泣きながらホイッスルを吹くところは、しんちゃんのオトナ帝国の階段を上るところぐらい、ちょっと見てられない感じがある。まあそんなことは置いておいて、呪術廻戦において自分は金ちゃんと鹿紫雲がコンテナだらけの港湾で戦う舞台設定が好きで、なにより「少し痩せたか!?パンダ!!」と言いながらオーラ全開でゴオン!とコンテナをぶっ潰して降って来た金ちゃんがあまりにカッコいい。痺れる登場シーン。
自分は呪術廻戦23発売記念のPR動画がだいぶカッコ良くて何度も見ている。キャラは一切出てこないけれど遠景で象徴的なアイテムを出す演出により、誰と誰のどこのシーンかをこちらが察するといったものになっていて、察するっていうただそれだけで少し興奮度が増すのはなぜなんだろうか。あとはキャラクターが一番アニメっぽさを醸し出す要因なんだと、この動画を見て気づかされる(自分はコスプレとか全然まだまだ見慣れない)。だから、キャラを一切出さずに現実とリンクするようなこんな動画を作ったのは、めっちゃセンスが良いなと思う。あと、地味にエピローグの冥冥の駄菓子屋のエピソードとか好き。最後に姉様カッコいい!ってなった。
ニコルソン・ベイカーの「室温」を久しぶりに読み直していたら、ゾンビーズを懐メロと評する文章が出てきて、ちょっと前にGinger Rootがゾンビーズの曲をカバーしていた動画をよく見てたから、おっ、となったのだが、こんなこと書かれてたっけと全く覚えてなかった。
Ginger Root cover "This Will Be Our Year" by The Zombies
ゾンビーズ自体は昔名盤とされるアルバムを聴いていくかと思ったときにTSUTAYAで借りたことがあったのだが、そんなにハマることもなく、でもGinger Rootのカバーは拡声器を通したみたいなエフェクトのかかった歌声で歌っていて、声を荒らげて歌うところとかは普通にかっこよくてハマった。The Strokesの「The Modern Age」の「Don't want you here right now, Let me go」のところとか、他にももっとあるはずで今はこれしか思いつかないが(桑田佳祐の「可愛いミーナ」の最後のサビ、「帰らぬ夏の思い出に」の「おーも」も良い)、そういうバンドとかで声がしゃがれる瞬間ってかっこいい。拡声器と言えば日本だと椎名林檎って感じで、椎名林檎が提供したTOKIOの「雨傘」とかもそういうしゃがれ気味に歌うところがあってカッコいいんだけれど、今は季節的に「花唄」って感じ。「花唄」も好きな曲だから定期的に聴き返す。あるときに誰が作ったんやろうと調べてみたら、作曲がセンチメンタル・バスの人で、そう言われれば確かに「花唄」って「Sunny Day Sunday」の従兄弟というか、もはや兄弟感があるなと納得した。ダダダダ、ダダダダ、ダダダダダダってリズムとか「Sunny Day Sunday」感ある。
自分はBase Ball Bearの「YUME is VISION」から「HIGH COLOR TIMES」までの期間の、まだポップ過ぎずギターの音がジャキジャキしていたころが好きなのだが、当時は貸し出しされていなかったそんな時期のBase Ball Bearの、Baconとのスプリットシングル「B Beginning!!」が、今ではサブスクで配信されていて、そのおかげで「B Beginning!!」に収録されている「TRAGIC HEROINE」を聴くことができ、それにも最近ハマってよく聴いている。やっぱりギターの音とかフレーズが、このころのBase Ball Bearって感じで良い。でも自分がBase Ball Bearにハマったころには、Base Ball BearはNUMBER GIRLのパクリとネットで言われていて、確かにイントロのフレーズとか丸パクリの曲もいくつもあるのだけれど、自分は世代的にNUMBER GIRLよりも先にBase Ball Bearを知り、さらには当時の自分からしたらBase Ball Bearのほうが聴きやすかったから、結果的にBase Ball Bearのほうが好きってなった。まあでもこんなふうに、最初に触れた作品がどれかによって、参照元よりもそっちのほうがしっくりくるなんてことはありふれているんだろうことで、呪術廻戦なんかも先に読んだ人からしたらハンターハンターよりもしっくりくるんだろうし、もっと言えば自分はAKIRAを通らずにサイキック的な描写をすんなりと受け入れている。とはいえハンターハンターのヨークシン編は名作で、アニメで見ていた時のあの暗く重い空気なんかは、今でもまだ覚えているというか、思い出そうとしたときにじわぁっとにじみ出てくる独特の雰囲気がある。大学生の頃に0巻が欲しくて、友達と新バージョンのアニメの映画を見に行ったら声が変わっていて、自分は自分の時代のアニメのほうがいいという価値観を揺らがずに持っていたから、全然良くないと思った。絵柄も雰囲気もずいぶんポップになっていて、主題歌のゆずの曲も、なんやこれ、全然雰囲気にあってないやんって、当時のアニメは黒沢健一とか「太陽は夜も輝く」とかもっとダークかつカッコいい雰囲気があったのに、今はなんでこんなことになってんのよ、と思った。でもまあターゲットはもう自分の世代ではなくて、当時の小中高生ぐらいに変わっていたんだろうし、余命○日の花嫁とかいう映画もCMを見るたびに、何回やんねん、もういいってって感じになるけれど、それもターゲットは余命何日っていう概念にまだ触れてない若者たちということだろうから、自分は完全に製作サイドからしたらアウトオブ眼中の存在、いつまで首ツッコんできてんねんって話なんだろう。それでも言わせてもらったら、「THE FIRST SLAM DUNK」も声ちゃうやんって思って入ってこんかったし、宮城に悲しい過去とか別に付け足さんでいいとか思ったし、山王戦最初の敵味方のプレーに驚く宮城の内心とかもマジで原作のキャラと合ってないテンションでの驚き方に見えて、結局すぐに見るのをやめた。キャラの背景ってある一定の濃度の濃さまで来ると、『こいつはこういうキャラやな』っていう自分のある種の理想というか偏見というか捉え方を流し込む余地がなくなって、『なんか違うねんなあ』となることがある。『そんな悲しい過去見せられたら、もうそういうやつって見るしかないやん』というか、見方を決められる、把握できるキャラ造形になってしまうというか。「THE FIRST SLAM DUNK」は配信で見たから途中でやめれたけれど、もし映画館で流れでそのまま最後まで観ていたら、なんやかんやで感動していた可能性もあるが、悲しい過去とか付け足されたときに自分は『ここで感動するでしょう?』っていう、作った側がそこまで考えているのか分からん裏に透ける意図を勝手に読み取って、『んな舐められても困るわ』と冷める傾向にあり、「THE FIRST SLAM DUNK」でもそれが発動してしまった始末。ワンピースの過去編なんかも、ゾロとかウソップのときはまだ短かったのにだんだん長くなってきて、ちょっとしんどいなあとか思うようになったし。ただ、空島編に関しては、ジャンプで読んでるときは過去編長いなあとか思いながら読んでいたところ、単行本でまとめて読み返したら、最後の黄金の鐘の音が鳴り響く中、青海の雲にルフィの影が映ったのをクリケットさんが目にして、黄金郷は本当にあったんだってなるシーンで、それまでのクリケットさんが何度も海に潜ってたこととか、先祖であるノーランドの話とかががっちり噛み合って、尾田っちうまぁ、こんな演出で空島の存在を教えるとか天才やんって改めて思い直したというか、単行本で一気に読んで初めて感動した。本当にロマンって感じだった。だからみんな、うまく自分をだまして感動させてほしい。