夜、小さくて細い、糸を吐かないタイプの蜘蛛が部屋の中を歩いていた。このタイプの蜘蛛が歩いているということは、何か羽虫みたいなのが部屋の中で繁殖しかけているのだろうか、掃除をしなければならない。寝ている間に口とか鼻とか耳とか、自分の持ち合わせているどこかしらの穴から体内に入ってくるかもという心配はあったが、益虫って聞くから益虫って信じて殺さずに寝ることにして、布団の上に寝転がった。なんとなく感じる湿気のせいで、何度寝返りを打っても体にまとわりつく不快感を拭えるポジションにつけず、なかなか眠りにつけない。昼寝をしてしまったせいもあるのかもしれない。明日は休みだし寝れないのはしょうがないから諦めて本でも読むかと電気をつければ、さっき見つけたときには布団の足側にいたはずの蜘蛛が頭の側に移動してきている。益虫やんな?そういう約束やんな?って信じていた心が少しぐらつく。それでも信じて放っておくことにするが、完全に放っておくには不安だったから、とりあえず部屋の隅の方まで追いやろうと息を吹きかけると、蜘蛛の体はずいぶん軽いようで、一瞬で結構な距離へと飛んでいく。ワープ先で固まったまま動かなくなるが、しばらくするとまた動き出すから、息を吹きかけた程度じゃ死ぬことはないようだった。翌朝、掃除をしようとクーラーを動かしつつも窓を開けて掃除機をかけていたら、あっ!蜘蛛!って昨日の蜘蛛がまだ部屋の中にいた。寝ている間に自分の体内に入ってなかったことに安堵し、思えば蜘蛛サイドとしても自分の体内に入りたいわけがなかった。蜘蛛のすぐ近くに毛が落ちている。あの毛を吸ってしまいたい。とはいえ、このまま掃除機をかけようものなら蜘蛛まで一緒に吸い込んでしまう。益虫なのに。でもまあ掃除機をかけて部屋が綺麗になれば益虫もお役御免かと、昨日の夜のおれとは違う今のおれは判断して、そのまま毛と一緒に掃除機で吸い込んでしまった。果たしてこの吸い込んでしまった蜘蛛の恨みが、後々の人生に効いてくることはあるのだろうか。もしくは死後の世界、地獄に落ちた自分のもとに蜘蛛の糸が垂れてくるチャンスの条件に、生前に蜘蛛を殺していないみたいなものがあったりしないだろうか。でもあれを垂らしたのは確かお釈迦様で、しかも吸い込んでしまった蜘蛛は小さくて細い、糸を吐き出さないタイプのものだったから大丈夫だと思いたい。それにこれまでの人生で一匹も蜘蛛を殺してこなかった自信もないし。そういえば一週間ほど前の夜、ワイヤレスイヤホンを挿したまま音楽を流さずにホームに突っ立って電車が来るのを待っていたときに、腕にくすぐられるような微かな感覚を覚え、シャツの袖に蜘蛛が張り付いていたのを思い出した。こそばかったのは、ホームの天井かどこかから降りてきた蜘蛛の垂らした糸が、半袖から伸びる腕を撫でたからだろう。蜘蛛には毒があるという、多分タランチュラから来たイメージが強迫観念とは言わずとも観念としてあり、直接つかむ勇気がなくてデコピンではじき飛ばした。そんなふうに蜘蛛を払ったはずなのに、乗り込んだ比較的きれいな車両の中で、クーラーの風を浴びて襟足が微かになびくたびに、蜘蛛が這ったような感触にとらわれて、大げさに首の後ろを何度も手で払った。あの日は何か考えごとがしたくて、蒸し暑いにもかかわらず夜の散歩に出たのだった。本当は考えごとがしたいってわけではなくて、なんか暇やし考えごとでもするかって感じで外に出た。なにかが閃くのはだいたい頭を洗ってるときか散歩をしているときってことに、自分も大学生のころに気づきましたから、まあ歩くかってなったわけです。河川敷をちょっと歩いて、川を渡った先にある駅で電車に乗り、適当な駅で折り返して帰ってくるという行程に決め、とりあえず河川敷に向かった。夜の散歩に出るのは、六月に頻繁に行っていたのが風邪を引いたせいで突然途切れて以来で、そのころは散歩に出るたびに月が満ちていく様子を観察しており、満月に近づいてきたころに天気が曇りがちになって、結局満月が見られなかったことをなんとなく覚えている。一度月の満ちていく過程を丁寧に観察すると、これまで、あ、浮かんでる、ってたまたま気づくだけで終わりだった満月が、時間をかけてようやく出会えるものだというふうに思えてくる。ちょうど月が満ちる夜の天気が晴れだとも限らないし。昔はそんなにいいか?と思っていた月のことをなかなか好きになってきたのは、稲垣足穂や江戸川乱歩や武宮閣之の作品を読んで月への関心を刺激され、そうして気にして眺め出した月からのブルーツ波を瞳からたっぷりと吸収してようやくだった。河川敷を離れ駅に向かって歩く町中で、直近で読んだ江戸川乱歩の「目羅博士」に出てきたようなシチュエーションのビルとビルの隙間を探してみる。
窓のそとには、向こう側のビルディングが、五階の半ばから屋根にかけて、逃げ去ろうとする月光の、最後の光をあびて、おぼろ銀に光っていました。こちらの窓の真向こうにそっくり同じ形の窓が、やっぱりあけはなされて、ポッカリと黒い口をあけています。何もかも同じなのです。それが怪しい月光に照らされて、一層そっくりに見えるのです。
僕は恐ろしい予感にふるえながら、それを確かめるために、窓のそとへ首をさし出したのですが、すぐその方を見る勇気がないものだから、先ず遙かの谷底を眺めました。月光は向こう側の建物のホンの上部を照らしているばかりで、建物と建物との作るはざまは、まっ暗に奥底も知れぬ深さに見えるのです。『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩集(創元推理文庫)』「目羅博士」 p477
探してみるとはいえども、本気で探すわけではなくて、あれぐらいのビルが向かい合ってたらありえそうと漠然としたイメージをもとにちょっと気にしてみるぐらいのことなのだが、いかんせん街灯に照らされた町は明るく、そもそもこの日の夜の天気は、満月でもない上弦よりもちょっと満ちたぐらいの月が雲間からたまにのぞけるぐらいの薄曇りで、そんな隙間は見つけられそうにもなかった。でもどこかにはそんな場所がありそうな気もする、そう思えるぐらいの気分で町を歩いて駅に到着し、ホームで電車を待ちながら蜘蛛に糸を引っかけられ、降りてきた蜘蛛を払って乗り込んだ車両でクーラーの風を浴び、首筋に不快感を覚えて手で空を払うに至る。通路を挟んで向かい合った対面の横に長いシートの、自分とは対角線に位置する端っこに、半ズボンを履いた50歳くらいの男性が足を組んで座っているのに気づき、その男性の半ズボンからむき出しになった足の素肌を見て、一瞬変態かと思った。自分はまだまだ大人の半ズボンをファッションとして受け入れられない感性で生きている。みたいなしょうもないことをスマホのメモに書いて、あーとか思って顔を上げた正面の窓外に夜の街の明かりが光る。まばらな家々の明かりの中に、滑走路のように直線に連なっている光があって、地球もめちゃくちゃ宇宙的やんって思う。月の様子を眺めて歩いてきたから、自然とここでも稲垣足穂が随筆で書いていたこと*1の雰囲気を思い出し、そこに車内のクーラーの冷たい空気とまだまだ新品の匂いを発散させているシートの匂いとが相まって、どっかの遠くの何かの記憶に繋いでくれそうな気になったが、結局どこにも繋がることはなかった。
*1:『一千一秒物語(新潮文庫)』の「美のはかなさ」のp311あたりに書かれている内容。