牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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感動するというよりは気づくという感じ(オカヤイヅミ「ものするひと」)

オカヤイヅミの「ものするひと」という漫画を買った。

 

ものするひと 1 (ビームコミックス)

ものするひと 1 (ビームコミックス)

 

 

30歳の小説家の日常を描いたこの作品。本屋で見つけてなんとなく気になって一巻だけを買った。帯の紹介文に自分の好きな小説家である柴崎友香が感想を書いていたことにも影響されて。主人公が街の景色や人々の行動を見て様々な物思いに耽るのだが、その思考を漫画を読みながら一緒にたどるのが何とも心地よくて楽しい。なんか読んでたら落ち着くんよなあ。気づけばこの作品が好きになっていて、続きを買おうと思い調べたところ、なんと全3巻で既に完結していた。『え~、あと2巻だけなんや。』と思いつつも、次の日にはすぐに買いそろえて全部読んでしまいました。最後まで面白かった。わたしなんかはすぐに影響を受けまして、この漫画を読んだ次の日には、通勤途中の河川敷の景色を自転車を漕ぎながら、やたらと観察してしまった。河川敷に沿って電柱が並んでいることに気づいて、まあ正確には河川敷沿いを降りた道路に沿ってなんだけれども、そんな電柱の並びにも、はじまりの一本と終わりの一本があることを知った。そういえば、電柱の電線が途切れてるとこなんて初めて見たな。途切れてるかどうかなんて今まで意識したことがなかった。かといって全ての電柱が何かしらでつながっていて、「全ての道はローマに通ず」といった具合になっていると思っていたわけではないけれど。と思うと、電線が川を渡ってつながっている電柱同士もあって、なんだかそれは大げさに思えてしまった。『ここをわざわざ繋がなあかんかったん?大変やったやろ?』なんて余計な心配までしてしまった。そして、この電線の存在に気づいてから、この下を通るときは少し窮屈な感じがするようになってしまい、何にでも気を配って観察するのも考え物だなと思った。とはいえ、こんな気分は漫画を読んだ後の数日間しか続かないのであろう。数日後には普通になにも考えずに通勤するようになっている現実。それでも数日間でもこのような期間があったということを忘れないために日記を書こう。

 

帯に紹介文を書いていたこと、そしてこの漫画のように日常を淡々と描写している様子が似ているということで柴崎友香の小説を読みたくなり、「次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?」を読み返した。

 

次の町まで、きみはどんな歌をうたうの? (河出文庫)

次の町まで、きみはどんな歌をうたうの? (河出文庫)

 

 

東京を目指して走る車の中の男3人、女1人の会話を中心として書かれたこの小説。この関西弁をそのまま放り込んでる感じが良い。柴崎友香の作品は何が良いって聞かれると答えるのが難しい。多分自分の友達にオススメすると、「これといったストーリーがないしオチもないから、なんか物足りんかったわ。」と言われる気がする。ストーリーにオチって・・・、ねえ?まあ言いたいことが分からんでもないけど。でも何も起きないのが良いところやねんけどなあ。なんにでもストーリーとオチがあるわけじゃないし。ていうか自分の人生にストーリーもオチもあるんだろうか。「第一部 完」っていう感じすら一回もなかったぐらいにヌルヌルっと自分の人生は続いている。『ああ、ここがおれの人生の転換期やな。』なんて思える瞬間がこの先待っているんだろうか。多分ないでしょうよ。あったとしても、その瞬間を大分通り過ぎてから思うようになるんやろな、なんとなく。こんなことを考えていたら、歌人の山田航が書いたブログの記事を思い出した。

 

bokutachi.hatenadiary.jp

 

むしろ自分の周りでは泣きたいから映画を見たり、漫画を読んだりする、山田航の言う"詐欺"に自らハマりに行っている人は結構いる。それが自覚的に"詐欺"に合っているのか、無意識のうちに"詐欺"られることに夢中になっているのかどうかは分からないが。まあ私は詐欺とまでは思わないけれど、ある作品のストーリーに人工的な香りを感じて少し冷めてしまう瞬間はあるので、山田航の意見にある程度賛同できる。そして柴崎友香の小説は、そういった感動させる、人の心を動かすポイントを狙って演出しているといった感じは、比較的薄い気がする。ていうか薄いでしょうよ。あくまで人の様子を自然に誇張せずにそのまま描いている。感動する場面を作者が「ここですよ」と提示しているというよりは、読者が勝手に気づいた部分が人それぞれの感動する部分であるといったような。思えば生きていて日常生活で感動するのは、誰かに心を動かされるというよりも、こっちが勝手に感じて感動するといったことが多い気がする。受動的ではなくて、能動的というか。そりゃあドキュメンタリー番組とかを見せられたら感動してしまうけれど、そういったことではなくて。ストーリーによって導かれて気持ちをお膳立てされた感動ではなくて、その日の気分がたまたまその日のある場面と一致して、もしかしたら1日前に同じような場面に出くわしていたら何も感じなかった可能性もあるかもしれなくて、そういったものが日常における感動と思わずにはいられない。まあ、映画とかもその日の気分によって感動するしないはあるけれど、もっと瞬間瞬間の話というか。なんとなく真面目なコンビニのレジの店員に感動してしまうみたいな。結局、言いたいことが整理できなくて訳が分からなくなってしまった。