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コウテイとandymoriと色んな作品に対するレビューについて

文庫版Dr.スランプ3巻に収録されている「サイレント ナイト ドリーム」というエピソードがめちゃくちゃ好きだ。このエピソードは基本的にセリフがなく、絵だけで話が進んでいく。千兵衛博士がみどり先生とデートをしている夢を見ていると、夢の中でアラレちゃんやガっちゃんに邪魔をされる。そして夢の中で邪魔されたことに腹を立てて、現実世界で寝ているアラレちゃんたちに八つ当たりをしてキレまくるという話だ。実際のアラレちゃんたちは寝ているだけで何もしていないから、何で怒られているのかが分からない。もうこのキレてる博士のクレイジーっぷりが笑えて仕方がない。

 

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Dr.スランプ 3 (集英社文庫―コミック版) p210より

 

セリフがないから、博士がキレては夢の世界に戻っていく展開がテンポよく進んでいって、読んでいて楽しくなる。Dr.スランプに出てくるキャラの造形はみんな可愛くて、読んでるだけで元気が出る。鳥山先生のセンスに脱帽。確かに寝ようとしているときや、寝ているときに邪魔されるのってめっちゃ腹立つよな。自分も寝ようと思い布団入って横になっていると、同じ部屋で寝ている家族の一人が目のマッサージ機を付けながら寝ていて、そのマッサージ機のウィーン、ウィーンって音が気になり全然寝付けなくなったときはめちゃくちゃ腹が立った。一回でも腹が立ったらもう寝れない。キーッてなる。でもアキナ山名の「寝れるとき寝ときや」シリーズは面白くて好きです。やられた方はめっちゃ腹立ってると思うけど。

 

そしてこの前、NHKで放送していた「バナナマンの爆笑ドラゴン」という番組で知ったお笑い芸人のコウテイの漫才が面白かった。こっちも見ていて元気がでる。もう今ではすっかり夢中になっていて、コウテイの動画ばっかり見ている。ズィーヤッ。でも、こういう新しい人たちが出てくると、みんな誰々に似ているとか言いたがるよね。コウテイも別のコンビの〇〇に似ているなどと言われている。そうは思わんけどなあ。日本人はカテゴライズすることで理解したつもりになり、それによって安心するという話は聞いたことがあるけれども、表面だけを見て分類しすぎではなかろうか。

 

これに似て、バンドのPVを見ていて個人的に気になるのが「andymoriっぽい」というコメント。言葉を詰め込んでいて、ギターをジャキジャキかき鳴らしていれば、確かにandymoriっぽいんだけど、andymoriの良さはそこ以外にもあるわけで、そういう分かりやすい特徴だけを見てandymori っぽいというのはやっばり安易というか、敬意が足りないというか。それはandymoriにも、似ていると言われているバンドにも。確かにandymoriの衝撃はすごくて、みんながandymoriみたいなバンドを求める気持ちはわかる。けれども、上に挙げた分かりやすい特徴以外にも、もっとandymoriにしかない迫真性みたいなものがあるとわたしは思う。

 


andymori "ナツメグ"

 

音楽のことを言葉だけで伝えようとするのは難しいから、ある意味で似ているバント(同じ音楽というフォーマットの)で例えるのは、1番伝わりやすい形であるとは思うけれど。

 

かといって、こういうブログで好きな本や漫画、音楽について書くときに、同じフォーマットの他のものに例えずに、文章だけでその作品の良さを表現しようとすると、過剰に大袈裟なものになってしまう。難しいよね。最終的に「めっちゃいい」を連呼するだけになってしまう。素人が趣味で書いているブログでさえこんなことを思うのに、文章だけで確かに感じたことのある感情を引き出してくれる小説家はやっぱり偉大だ。

 

だから結局のところは、その音楽の本当の良さは聴いているときにしか味わえない。文章で表すことができたら、音楽の形をとらなくていい訳だし。保坂和志も小説は小説を読んでいる間にしか存在しないと言っていた。

 

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

 

 

じゃあブログに感想なんか書くもんじゃないやろとも思うけれど、まあこれは自己満足ですよ。なんていうか、確かに小説を読んでいる間しか本当の小説を味わうことはできないけれど、小説を読んだ時に感じた感情の一端を書き記すことはできると思うので。自分のためにね。そして、あわよくば自分と同じような気持ちを抱いた人たちとそういった感情を共有できたら嬉しいなという。だから、自分はすでにいいと知っている作品のレビューを読むのが好きだ。例えば、car10の2ndアルバム「RUSH TO THE FUNSPOT」のAmazonレビューに関してODENBOYという方が書いてある

 

朝方の銭湯みたいな深いリヴァーブ

 

という表現はめちゃくちゃ共感できる。聴いた人は絶対に共感できる、これ以上も以下もない最高の例えだと思う。

 

RUSH TO THE FUNSPOT

RUSH TO THE FUNSPOT

 

 


CAR10 - Bustard Blues - OFFICIAL MV

 

こういう自分では言葉にできないけれど、言われたらしっくりくる表現に出会えたら、なんか嬉しくなるんよなあ。けれどもこの曲を聴いたことがない時点でこの表現に出会っていたとしたら、聴きたいと思うようにはならなかっただろう。聴いたことがない人が聴きたくなるような表現と、聴いた人と感情を共有できるような文章は違うということを学んだ。じゃあやっぱり聴いたことがない人にオススメするときは、すでに有名な他のバンドに例えるのが分かりやすい気がする・・・。う~ん、難しい。

 

そして、「春と盆暗」のAmazonレビューにMiyaHaという方が書かれているレビューが、芸術作品に触れる喜びや素晴らしさを最高に表現してくれていると思う。

 

僕は時々、空想に寄生されます。 世界が白黒に見えたり、背後に知らない気配があるのは序の口です。

 

たまに向かい側の家に空から死体が降ってきたりとか、 逆立ちしながら歩く人が逆さになった口から何かピンク色のドロドロしたのを吐き出していたりとか、 向こうに見える山が巨大な胃袋に見えて、針で突いたら中から内臓がドバドバ湧いてきそうだなぁ、とか。

 

本当の話です。 僕の脳内でしか発生しないから、誰にも話さないし誰にも信じてもらえるとは思っていない。

 

自分を頭おかしいなと思う時もあるけれど、大なり小なり、皆そういうイカれた部分を内包していてくれたら、と願っていました。

 

そしてついに、この漫画によってこの妄想が僕だけのものじゃないと気づけた。

 

この漫画はとにかく意味不明で変人なキャラしか出てこなくて、 その独特の会話や素っ頓狂な空想力が心地よくて、 「やっぱ妄想するよね! だよね!」 と安心できました。

 

今、このレビューをお読みいただいた方、 「うわーファッションキチが自己陶酔しながらレビューしてるよ」 とお思いかもしれません。 そうなのかもしれません。 別にそう思っていただいて構いません。 ただ、 学校にテロリスト襲撃、自分が好きなあの子を救出して英雄に! とか、 大観衆の前で大演奏、ボーカルとしてキャーキャー言われる! みたいな妄想は、皆するでしょう。

 

それと大差ないんです。 目に月をぶち込むことも、 突然日本が沈没することも、 アロサウルスとサボテンで恋をすることも、 全世界のスイーツを巡り世界大戦が勃発することも。

 

僕はこの漫画に出会えて、ある意味救われたと思った。 誰かの脳内はこういうものが渦巻いていて、それはおかしいわけでもダメなわけでもなくて、 形が違うだけでみんなそういう世界を持っている。

 

だから、理解される事はなくても、確かに妄想に溺れる人は存在している。

 

だから僕は、読み終えてこう思った。 「感動のラスト!」

 

めっちゃいいレビュー。最高です。果たして、他に「春と盆暗」を読んだ人が、この作品に対してどこまでのものを求めているのかは分からないけれど、この切実なレビューに心が打たれて仕方がない。

 

春と盆暗 (アフタヌーンKC)

春と盆暗 (アフタヌーンKC)

 

 

このレビューに近いことをもっとポップに表現したものが、Twitterで話題となった藤岡拓太郎のこの漫画だろう。

 

 

 

作品を読むと同時に、他の人が書いたレビューを読むことで、自分が読んだだけでは気づけなかった作品の素晴らしさを知ることができるから、やっぱり評論家やレビューといったものは必要だなと感じる。

 

 

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