牛車で往く

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2020年の5月のみんなはどんな感じなんだろう

夜、なかなか眠れないなあと思いながら布団の上でうつ伏せになっていると、息を吐き出すときにだけ、自分の心臓の鼓動が布団から跳ね返ってくることに気がつく。息を吸うときにはピタリと止まるのに、吐き出すときにはまるで傷口が痛むように鼓動が心臓の位置を知らせてくる。そんなことが気になって、余計に眠りに集中できなくなったため、仰向けになるように体を転がした。それでもしばらく目を閉じていても全く寝付けるような気がしない。なんとなく閉じていた目を開いて天井に向かって腕を伸ばすと、部屋の隅に置かれたルーターからの微かな光のおかげで、黒く塗りつぶされた腕のシルエットだけがぼんやりと目の前に浮かんだ。自分の腕であるにもかかわらず、その立体感のない様子が画用紙を切り取ったみたいで不思議に思えた。夜とはいえ、どこかから光は漏れてきており、完全な暗闇になることはない。そんなことを思いながらしばらく腕を伸ばしたまま見つめていると、階段を踏んで上がってくる足音が玄関の向こうから聞こえてきて、このマンションに住んでいる誰かはこんな時間に家に帰ってくるような生活を送っていることを知る。少しして足音がしなくなり、ドアの鍵を回す音がガチャリとして、その人物が自分よりも上の階の住人であることが窺えた。すると、なぜか急にユニバーサルスタジオジャパンのことが頭に浮かんできて、この時間、仮に大阪環状線からゆめ咲線へと乗り換えてユニバーサルシティ駅まで自分を運んでくれるような夜行電車が出ていたとして、ユニバーサルシティウォークを文字通り歩いてみたら、どんな街並みが広がっているのだろうかということが気になり始めた。もちろん、こんな時間には人っ子ひとりいないだろうが、果たしてキングコングの看板には明かりが灯ったままなのだろうか。日中の賑わっている光景しか知らないわたしにとって、想像上の閑散としたユニバーサルシティウォークからは、そこだけが誰にも相手されていないような寂しさを勝手に感じてしまう。そもそもあそこの周辺に人は住んでいるのだろうか。住んでいるとすれば、そこの住人たちの日常生活はどんなものなのだろうか。同じマンションの深夜に帰ってくる人や、ユニバーサルシティウォーク周辺の人々のように、わたしとは違う日々を営んでいる人たちはもちろんのごとくたくさんいる。そんな人たちにとっての日常がどんなものなのか、わたしには全く想像がつかない。いつ目を覚まして、どこに向かい、何をして、再び家に帰ってくるのか。自分とは全く異なる生活をしている人がこの世にいることは、頭では分かっているはずなのに、彼ら彼女たちがどのような生活をしているのかを想像することはひどく難しい。

 

ということで、暇すぎてユニバーサルシティ駅周辺にマンションなどの住宅は存在しているのかを調べたところ、当たり前のように存在していた。ユニバーサルシティ駅がUSJとともに2001年に開業するより前からここに住んでいた人はいたわけだし、それに加えて2005年ごろからはマンションが数多く建設されるようになったらしい。駅の近くにはスーパーだってある。

 

usjhack.com

 

ユニバーサルシティ駅にはUSJがあるだけではなく、普通に生活する環境も整っているのだ。とはいえ、ユニバーサルシティ駅周辺の住みやすさの口コミなどを調べてみると、住みやすいという声もあれば、住みにくいといった意見もある。例えば同じ交通の便に関するコメントをとってみても、USJのあるおかげで電車の本数が多くていいという人もいれば、USJに訪れるお客が多すぎて電車が窮屈だという人もいる。さっきは普通に生活を送る環境が整っているなんて書いたけれど、その普通の中身はそれぞれ人によって異なる。他人の生活を想像することが難しいのに加えて、そもそもそれぞれが望む普通の生活、満足する生活は十人十色だ。そんなこと、言わずもがなではあるのだが、様々な意見が飛び交うコロナ禍の真っただ中ではそのことがより強く意識させられる。自分は自分以外の人間の生活の様子を、自分の家族や会社のひとたち、連絡を取り合う周囲の人間などの話からでしか、リアリティをもって感じることができない。そこから感じ取れるのはあまりにも狭い世界のことかもしれない。ましてや、それらはあくまで生活の断片であり、本人でもない限りその人の生活の全体を知ることはできない。

 

少し前に、コロナ禍であるにもかかわらずバーベキューを開催した集団のことがニュースになった。その主催者とされている人物はコロナの影響で友人が何人も亡くなっており、ストレス発散の意味で開催したと言っていた。ネットではそんな何人も死ぬなんてどんな生活をしているんだなどの声が挙がっていたけれど、わたしは本当にそんな環境で生活している人たちもいるんじゃないかと思う。これは別に、死ぬかもしれないからやけになってバーベキューをした人たちの気持ちが分かるというわけではなく、そう考えてしまう人たちが集まっていてもおかしくないということだ。コロナでの自粛生活を余儀なくされた今、働いている会社が倒産せずに生活できるような人たちの周りには、同じような環境で働いている人たちが多くて、自営業で苦しんでいる人たちの周りには、同じように苦しんでいる自営業の仲間が多くてもおかしくない気がする。夏目漱石の「草枕」において

 

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。

 

と書かれているように、それぞれ個人は、ニュースで報道されているような広い世界ではなく、本当に身の回りの向こう三軒両隣りのことでしか世界を捉えられないのではないだろうか。自分のことを考えてみるとそんな風に思う。自分の知り合いに話を聞いてみても、実際にコロナウイルスの影響で本当に生活が苦しくなったという声は耳には届いてこない。STAY HOMEなんて言葉は、ある程度の余裕のある人たちが使う言葉で、STAY HOMEしてるだけじゃ生活が成り立たなくなる人たちだっている。かといって、STAY HOMEが愚かな考え方だというわけではなく、少しでもこの自粛生活での苦しみをみんなで支え合おうとする合言葉であることも分かる(まあ中にはコロナウイルスによって本当に愚かであったと改めて浮き彫りになった考え方もあるが。)。「自分以外の人間のことをもっと考えよう、想像力が足りない」なんて言葉こそ、そんなことで解決できるような簡単な話でもない、本当に想像力が足りていない言葉であると思うし、わざわざ今さらこんなことをこんなブログで書いてどうなんねんって話だけれども、本当に自分の近く以外のみんなはどんな感じなんだろう?と思って、こんなことを書いてしまった。