牛車で往く

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エアコンクリーニングという名の夏を迎える準備

去年は夏前に、自分で買ってきた洗浄スプレーを使ってエアコンを洗ったのだけれど、いざ夏が来てスイッチをオンにすると、なんとも言えないにおいの風が吹いてきた。だから今年は業者に頼んでちゃんと洗ってもらおうと、ネットでクリーニングの依頼を申し込んだ。希望する訪問日の候補を決めるページがあって、平日のほうがすぐに来てもらえるんだろうなと思いながらも、仕事があってそれは無理だから土日のどちらかがいいと希望を出すと、日曜日の朝9時に伺いますとの連絡が来た。

 

クリーニング予定日の前日、晩ご飯を買いにスーパーに行くと、よりによってステーキが安くなっていて、それを見たらめちゃくちゃステーキが食べたくなってきて、でも今日食べたら絶対に部屋が牛肉臭くなって、業者の人にも『コイツ、前日にゴリゴリ牛肉焼いてるやん。普通そんなんせんやん。ヤバいって。』と思われるだろうな、どうしたもんかな、となり、結局においを気にして買うのをやめた。晩ご飯に牛肉を焼いてそれから一歩も家から出ずに過ごしていると、意外とにおいはしないな、なんてふうに思うことがあるが、あれはずっと牛肉のにおいの充満している部屋に居て鼻が麻痺しているだけであり、その証拠に家で焼肉をしたあと、腹ごなしに外に散歩に出て、デザートにバニラアイスでも食べようとコンビニに寄り、朗らかな気分で帰ってきた家のドアを開けると、お帰りぃと待っていたかのようにお肉のにおいが自分を迎え入れてくれる。焼いている間は窓を開けて換気扇を回すなど換気を徹底し、お肉は全て胃の中に収まり、油の付いた食器や調理器具も洗い終えたはずなのに、どこからともなく泉のように湧き出てくる牛肉のにおいのしぶとさを思い知る。

 

 

クリーニング当日になり、朝9時に来るらしいからと色々と準備をする。とりあえず歯を磨いて寝癖を直して髭を剃った。髭に関してはマスクをするからいいかと思ったけれど一応剃っておいた。それが終わると、なんとなく部屋着はダメなんじゃないかと思い、ちゃんとした服に着替えた。業者の人がエアコンを掃除している間はどうやって過ごしていればいいのだろうか。なんとなく気まずい。でも向こうからしたら呼んだのそっちやんって感じであろうし、なんならこっちはホームで向こうはアウェイだから向こうの方が気まずいはずだ。テレビは消しているけれど、逆に付けておいた方が音があって気まずくないだろうか。友達とか呼んじゃったりしてもいいのだろうか。いや、でも逆の立場で客にそんなことされたら嫌やな。飲み会に行って誰かが勝手に自分の知らんやつを呼んできたときとか普通にめっちゃ嫌やし。なんでそんな勝手なことができるんやろう?神経疑うわ、とまで思うし。などと色々考える。

 

するとチャイムが鳴って、業者の人がやって来た。若いおにいさんと50代ぐらいのおっちゃんの二人組だった。おにいさんの方は家に上がるときに持ってきたスリッパを履き、リビングに敷いているカーペットの前まで来るとその上にビニールシートを3枚広げてからスリッパを脱いで足を下ろすといったように、土足で色んなところを踏まないように注意しながら作業を始めた。やっぱりこんなふうに色々と気をつけているんだなあと感心していると、あとから来たおっちゃんの方は、スリッパも何も履かずに家に上がってきて、せっかくおにいさんが敷いたシートも無視してカーペットの上を普通に歩いたりした。正直、自分も家に帰ってきてから靴下を履いたまま普通にカーペットの上を歩くし、自分の足だけが綺麗だとも思わないからいいんだけれど、先に来たおにいさんの方が気を遣いながら作業していた分、おっちゃんの一連の行動を見て、ジェンガをなぎ倒されたような気分になった。おにいさんとの落差よ、落差。

 

おにいさんは早速、クーラーの周りの養生を始め、その間におっちゃんはクーラーの洗浄の際に飛沫が飛び散らないように取り付けるフードを組み立てていた。このときも、おにいさんは持ってきた様々な器具を、カーペットの上にはみ出さないようにしてシート上で準備をしていたのだが、おっちゃんはあんまりそんなことを気にしていないのか、普通にカーペットの上にものを置いたりしていた。野良のスギちゃんに遭遇す、といった気持ち。色々準備が整って、おにいさんは部屋のエアコン本体を、おっちゃんはお風呂場で取り外した部品を、といったように分担しての清掃が始まった。エアコンの清掃中に自分はどうしていたらいいか分からなくて、なんとなく立ったまま部屋での作業を見守っていた。眺めていると、クーラーを洗浄しているおにいさんのシャツの背中に色が濃くなっている部分を見つけて、汗が滲んできているのが分かった。

 

 

佐渡島ぐらいの汗染みを見て扇風機のスイッチを入れると、おにいさんはありがとうございますと言ってくれた。自分は何もしていないから暑くもなんともないけれど、何か作業をしているとそりゃあ汗をかくぐらいの季節ではあって、そんな中、赤の他人の汚したものを汗をかきながら洗ってくれているもんだから、どちらかと言えば、ありがとうございますと言わなければいけないのはこちら側だ。でも、心の底からそう思っているわけではなくて、おにいさんからお礼を言われたからそう考えただけであり、何も言われてなければ、特に感謝の気持ちなど抱かないままであっただろう。だからわざわざ口に出してそれを伝えたりはしなかった。

 

洗っている様子を見ていると、まず最初に洗剤を吹き付け、その後に高圧洗浄機みたいなものを使って汚れを洗い流していた。送風口からカスの混じった黒い水がどんどん出てくるのが後ろから見える。それが出てくるのを見れば見るほど、今まさに綺麗になっているんだという実感が湧いてきて、なんだか心が開けて弾んでくる。その感じは、天気の良い日に散歩をしながら、こうして歩いている間にもベランダに干している洗濯物はどんどん乾いていってるんだと考えたり、煮込んでいた茄子の煮浸しの火を止め、冷ましているその間に刻一刻と味が染みていっているのを想像したりするときに似ている。

 

最初の方は汚れが出てくるのが面白くて作業を見ていたが、次第にそれにも飽きてきて、途中からは隅にしゃがんで、前日に25%オフのクーポンを使って買ったあだち充の「いつも美空」の電子書籍をスマホで読みながら終わるのを待った。

 

 

電子書籍を購入しているサイトからは定期的にメールで割引クーポンが送られてきて、個人的に本は紙媒体でほしいと思っているのだけれど、たまに割引率の高さにやられて電子書籍で買ってしまうことがある。自分が紙媒体の方でほしいと思っているのは、ただただ本棚に並んだものを眺めることで満たされる所有欲があるからである。しかしそれと同時に、紙媒体で購入すると嵩張って場所を取るなあといったことも感じてはいて、紙媒体の良い点も悪い点も、質量があるという同じ特徴から来ているから物事はそう簡単ではない。本棚に並べたいけど場所を取って邪魔って、一見するとめちゃくちゃなことを言っているけれど、本当にその二つの気持ちが同居しているから、もうどうすることもできない。まだ物体としての所有欲の方が勝っているというのが現状である。


そうこうしている内にエアコンの洗浄が終わったようで、おにいさんがバケツに溜まった廃液をこんな感じですと満を持した表情で見せてくれた。洗浄サービスを始めたばかりのころには、わざわざ見せてはいなかったのかもしれないが、お客さんの中にどれだけ汚れが落ちたのかを知りたくて、どんな感じですか?と聞いてくる人が多くて、次第に業者の方から見せるようになっていき、そして今や通販番組みたいに業者の方から、どうですかこれ?と見せるようになったのだろう。そして自分自身もどれだけ汚れが出てきたのかを見たいとワクワクしていたし、実際に見てうわあっとなんだか楽しい気持ちになったし、ここではありがとうございますとお礼を言ったりなんかもした。


お風呂場で洗っていたおっちゃんも部屋に帰ってきて、おっちゃんの方で洗ってくれていた部品をエアコン本体に取り付け、クーラーがちゃんと動くかどうかの確認を取り、その結果、においのしない綺麗な風が吹いてきて、最後に送風口のパネルを取り付けて終わりという段階になった。そのときに、おにいさんがおっちゃんに、ここのパーツはどこに行ったか分かります?と聞いていて、二人の会話からどうやら送風口のパネルの端に付いていたプラスチックでできたネジがどこかにいってしまったことが窺えた。パネルを洗ったのはおっちゃんで、多分そのときに気づかずに取れてしまったのだろう。おっちゃんは、ちょっと待って、と言ってお風呂場に探しに行き、そこで見つからなかったのか、次は外に出て車に片付けた洗浄道具の中に紛れてないかを探しに行った。部屋にはおにいさんと自分が二人きりで残されて、おにいさんはしばらくクーラーの細かい部分を拭いたりしていたが、なかなかおっちゃんは帰って来ず、今がどんな状況なのかをちゃんと説明していないことに耐えきれなくなったのか、すみません、ここのパーツがちょっと見当たらなくて今探しています、と話しかけてきた。失くしたのは多分おっちゃんの方で、ましてやこのおにいさんが大して親しくもない自分の使っているエアコンを汗を流しながら洗ってくれているのを目の前で見ていたから、自分の方は何も強くは言えず、なんなら元からそんなに強く言えない性格だから、はい、としか答えられなかった。しばらくしておっちゃんは戻ってきたけれど、結局パーツは見つからなかったようで、申し訳ございませんが後日改めてパーツを手配します、とおにいさんに言われた。自分は再び、はい、としか答えることが出来なかった。

 

最後に清掃が終わったので領収書にサインを下さいと言われ、え、ここでサインしたら作業がちゃんと終わりましたと認めることになって、パーツが失くなったことがうやむやにされたりするんちゃう?とか、このサインはパーツの手配が終わってからするもんじゃない?とか思いながらも、そんなことは聞けず、おにいさんが悪い人には見えなかったのもあって、なんやかんやで流されてサインをしてしまった。ちなみに別にイラついてもいないけれど、おっちゃんからの謝罪の言葉はなかった。自分はいつか、何か問題が起きても押し切られてしまい、損をすることがあるんじゃないかと思いながら、それと同時に自分以上に押し切られてしまいそうな知り合いの何人かの顔が頭の中に浮かんだ。最後にせめてもの念押しということで、パーツ手配の連絡をお待ちしています、と声をかけた。


二人が帰った後、家にある小さいプラスチックの脚立をエアコンの下に持ってきてその上に乗り、どれだけ綺麗になったのかを確認した。パーツが失くなって、片側が固定されず宙ぶらりんになってだらんとしている送風口のパネルを上にクイッと上げ、中を覗き込む。去年に自分でスプレーを使って掃除したときよりも格段に綺麗になっていたが、少しだけ黒い斑点が残っている部分もあって、そこを割り箸の先にエタノールの除菌シートを巻いて拭いた。ドラマに出てくる意地悪な姑みたいなことをしているなと思ったが、そうしたくなる気持ちも少しは分かる。綺麗になったと思っていたものが、自分が思うほど綺麗になっていなかったときの複雑な気持ち。そして、一通りの洗浄が終わったあとにもう一回高圧洗浄してほしかったな、と無茶なことを思う。自分は何かを綺麗にするときには、見た感じが綺麗になってからさらにもう一回洗いたくなるときがあって、例えば焼き上がったステーキを切るために使ったまな板などは、一度洗剤を付けたスポンジで洗ったあと、指で触った感じで脂が落ちているようであっても、なんだかまだ脂が残っているような気がして、もう一度洗剤を付け直して洗ってしまう。そうすると、実際には違いなんてないのかもしれないが、やっぱり二回洗ったあとのほうが指でこすったときのグリップ感が強い気がするのだ。

 

そうして洗い終わったエアコンを見ているとインターホンが鳴って、出ると部品が見つかったと戻ってきた業者の人だった。すみません、と謝りながらおにいさんはすぐに取り付けてくた。後日また来てもらわなくてもよくなって、来る業者側も、来てもらうこちら側も、お互いにめんどうなことにならずに済んでよかったですとの意味を込めて、すぐ見つかってよかったです、と言ったのだが、それを聞いたおにいさんがノーコメントで苦笑いだけを返してきたので、ちょっと嫌味みたいに聞こえてしまったのかもしれなかった。むずいぜ。でもこの程度のすれ違いなどよくあることだから気にせずいくぜ。


その日の夜、お風呂に入ろうと浴室のドアを開けると、おっちゃんが取り外したパーツを洗うときに使ったのであろう洗剤のにおいが残っていて、それは床に塗るワックスみたいなにおいで、そんな普段とは違うにおいがお風呂場からしてきたからなんだか変な感じがした。そもそもにおいがないのが自分の家といった感じ。そんなにおいを感じながらシャワーの蛇口をひねり頭にお湯をかけると、その間は水のにおいが強くなり、ワックスのようなにおいはかき消された。シャワーを止めると再びワックスのようなにおいがしてきて、シャンプーで頭を洗い始めると今度はシャンプーのにおいが強くなった。いつもと違うにおいがしているおかげで、いつものにおいがいつも以上に感じられるようになり、ああ、自分が使ってるシャンプーってこんなにおいだったんだ、と改めて認識した。ワックスのようなにおいは数日経った今でもまだ残っていて、今度の週末はいっちょ食べられなかったステーキでも焼いて、牛肉のにおいで上書きでもしてやろうと思う。